アンチャル・ボーラ(フォーリン・ポリシー誌コラムニスト)
<アサド失脚で迫害の恐れが消えた今、ヨーロッパに逃れた難民たちも母国に帰れるはずだ。ドイツやオーストリアは出国命令などを検討中だが、強制送還は条約違反で──>
シリアで反体制派のイスラム武装勢力がバシャル・アサド大統領を国外逃亡に追い込み、首都ダマスカスを掌握したのは昨年12月8日。以来、欧州ではシリア人の難民認定申請の手続きを一時停止する国が相次いでいる。
EUは対シリア制裁の解除に乗り出す可能性を示唆。かつて国際テロ組織アルカイダの関連組織だった「シャーム解放機構(HTS)」が主導する暫定政権の出方を注視している。
【関連記事】アサドを倒した「シャーム解放機構(HTS)」は「過激派」なのか、それとも「穏健派」なのか?
HTSは共存を呼びかけているが、シリアの少数派(クルド人やイスラム教シーア派の分派であるアラウィ派、キリスト教徒など)は、イスラム勢力から宗教上の敵やアサド派と見なされる懸念を抱いたままだとの報告もある。
ワシントン・ポスト紙によれば、少数派を狙った報復殺人も数件起きている。
だが欧州での議論は、大半のシリア難民を一斉に出国させるよう奨励または強制すべきか否かという段階に移っている。専門家や人権団体は、難民認定を申請中のシリア人と、既に欧州に滞在している120万人を超えるシリア人の将来に危機感を抱いている。
オーストリアのゲルハルト・カルナー内相は内務省に対し、「秩序ある帰還と強制送還」のためのプログラムを準備するよう要請した。
この議論が最も活発なのは100万人近いシリア人を受け入れており、2月23日に総選挙を控えているドイツだ。
移民・難民の初期受け入れ施設で昼食の列に並ぶ人々。大半がシリア出身者だ(2023年10月、ドイツ東部のアイゼンヒュッテンシュタット) SEAN GALLUP/GETTY IMAGES
ドイツのアンナレーナ・ベアボック外相は1月3日、ダマスカスでシリアの実質的な指導者アフマド・アッシャラア(別名モハマド・ジャウラニ)と会談。その直後にナンシー・フェーザー内相が、ドイツ在住の一部のシリア人の保護資格を取り消し、国外退去を命じる可能性があると表明した。
「シリア情勢の安定化を受け、ドイツでの保護が必要なくなったなら、わが国の法律が規定するとおり連邦移民・難民局はシリア難民への保護資格を見直し、取り消すことになる」と、フェーザーは語った。「この措置は居住権を持たず、自主的にシリアに帰国しない人々にも適用される」
キリスト教民主同盟(CDU)のイェンス・シュパーン議員は、自主的に帰国するシリア難民に政府が1000ユーロを支給する計画を提案。さらにキリスト教社会同盟(CSU)のアレクサンダー・ドブリント議員は帰国を保証する代わりに、シリア再建へ財政支援を行うべきだと表明した。
相次ぐ政治家の発言に、ドイツ在住シリア人の間には動揺が広がっている。シリア難民は、市民の役割を果たすことでドイツ社会にかなり溶け込んでいるとみられる。
約22万6600人が就職して社会保険料を納め、約27万9600人が求職者として登録されているなど、他の難民グループより社会に貢献する資質があると考えられている。
ダマスカスを掌握して軍事パレードを行う暫定政権のメンバー(昨年12月) AP/AFLO
昨年12月、ドイツ中部のワイマールにあるシリア料理店に、3人のシリア難民がいた。ユスフとモハメド、そしてイッサは口々に、祖国には戻りたいが、一時的に訪問して状況を確認したいだけで再定住するつもりはないと話した。
学生のイッサはシリア東部デリゾールの出身。故郷は今、アメリカが支援するクルド人主体のシリア民主軍(SDF)が実効支配している。彼はトルコが支援するシリア反体制派との緊張状態を懸念し、「まだ安全ではない」とドイツ語で語った。ドイツ北部のメクレンブルクで理容師をしているモハメドは、今後もドイツで暮らしたいと話した。
人権活動家のみるところ、ドイツ在住のシリア人は生活を立て直すために多大な投資を行っているので、いきなり全てを放り出すのは難しい。
ドイツの難民支援団体プロ・アジールで活動する社会学者のカール・コップは、欧州にいるシリア人の大半、特に仕事と収入があって子供を学校に通わせているシリア人はこのままとどまるだろうと言う。「高齢の人たちは祖国に帰って余生を過ごしたいと思うかもしれないが」
高齢化が進む欧州の労働市場の穴を埋めるためにシリア難民が重宝されている今、社会に溶け込んだシリア人を「引き剝がすのは愚かだ」と、コップは言う。ドイツでは介護業界だけでも、20万人近くを確保する必要がある。
強制送還は条約違反
さらに人権活動家らは、保護されるべき資格を持つ人々を国外退去処分にすれば、さまざまな問題が生じると主張する。その人々には、国や地域の法律や国際法に由来する保護が重なり合うように提供されているからだ。
彼らを強制送還すればいかなる形でも、1951年の難民条約の「ノン・ルフルーマン原則」(難民を迫害の危険に直面する国へ送還してはならないという原則)に違反する。難民の資格は満たさないが、母国に戻れば迫害を受ける恐れのある「補完的保護」の対象者も、EUの人権憲章で保護されている。
「ドイツにいるシリア人の大半は保護資格を持っている」と、コップは言う。「だが強硬派は、ドイツ社会に溶け込んでいるシリア人はそのままでもいいが、犯罪者や社会福祉に依存している人々は帰国させるべきだと考えている」
ドイツの大半の政党も、犯罪歴のある移民は帰国させるべきだという見解で一致している。2月の総選挙で第1党になると予想されるCDUはさらに踏み込み、補完的保護制度の撤廃を提案している。
アサドとその体制が消えたため、保護を求める(あるいは提供する)理由はなくなったという考えがドイツでは広まっている。アサド政権は獄中での拷問などの人権侵害を行っていたと非難されており、多くのシリア人が亡命を求める理由はここにあった。
「国外に逃れる理由がもはや存在しない以上、帰国は可能なはずだ」と、CSU議員のドブリントは言う。
ドイツ連邦移民・難民局は「迫害状況が恒久的に変わったか適用されなくなり、対象者が帰国しても危険に直面しなくなった」「対象者が犯罪を犯した」などの場合、同局には対象者の難民認定を取り消す法的義務があるとする。
51年の難民条約は、対象者が「任意に国籍国の保護を再び受けている場合」や「任意に国籍を回復した場合」、あるいは「迫害を受ける恐れがあるという恐怖を有するため、定住していた国を離れていたが、再びそこに任意に定住するに至った場合」などにおいて適用を終了すると規定。
対象者が「難民と認められる根拠がなくなった場合」にも適用を終了すると明記する。
一部の人権活動家は、保護資格の取り消し条項は安全な状況が長期にわたって続くような変化があった場合、つまり単にアサド体制から解放されただけでなく、そのほかの人権侵害の恐れがないことも保証される場合に適用されるものだと主張する。
プロ・アジールのウィーブケ・ユディト法務担当広報は、1つの保護資格が取り消されるとしても、ドイツ連邦移民・難民局や裁判所は別の保護資格が適用されるかどうかを考慮すべきだと指摘した。「例えば欧州人権条約第4議定書第3条は国民の追放禁止を定めている」とユディトは言う。
「この条項は拷問や非人道的、または屈辱的な扱いを受けるリスクがある場合のいかなる国外退去処分も禁止している。シリアの差し迫った人道状況を考えれば、このリスクには貧困も含まれる」
一時帰国のチャンスを
ドイツの法律は移民に対し、国外退去処分に異議を唱える法的手段を提供している。だがユディトはドイツで永住権を持たないシリア人には、実用的な観点から別の選択肢を考えるよう勧めている。
「例えばきちんと就職したり、専門職や高資格者ならEUブルーカードを取得すれば定住資格を得られる可能性がある」
人権活動家は、欧州諸国はシリア人を強制送還するのではなく、希望する人には帰国を支援し、そのほかの人々は人的資源として国内に滞在させるべきだと主張する。
フランスの難民支援団体ラ・シマーデのジェラール・サディクは、欧州諸国はシリア人に対し、保護資格を維持したまま、いったん帰国して現地の状況を確認できるようにすべきだと語る。
「問題は、帰国できる状況にあるかどうかを確認するためにシリアにいったん渡っただけでも保護資格を失う可能性があることだ」と、サディクは言う。「帰国が可能ならば帰国させるべきであり、自分の家が残っていることを確認したいならそのチャンスを与えるべきだ」
From Foreign Policy Magazine
<アサド失脚で迫害の恐れが消えた今、ヨーロッパに逃れた難民たちも母国に帰れるはずだ。ドイツやオーストリアは出国命令などを検討中だが、強制送還は条約違反で──>
シリアで反体制派のイスラム武装勢力がバシャル・アサド大統領を国外逃亡に追い込み、首都ダマスカスを掌握したのは昨年12月8日。以来、欧州ではシリア人の難民認定申請の手続きを一時停止する国が相次いでいる。
EUは対シリア制裁の解除に乗り出す可能性を示唆。かつて国際テロ組織アルカイダの関連組織だった「シャーム解放機構(HTS)」が主導する暫定政権の出方を注視している。
【関連記事】アサドを倒した「シャーム解放機構(HTS)」は「過激派」なのか、それとも「穏健派」なのか?
HTSは共存を呼びかけているが、シリアの少数派(クルド人やイスラム教シーア派の分派であるアラウィ派、キリスト教徒など)は、イスラム勢力から宗教上の敵やアサド派と見なされる懸念を抱いたままだとの報告もある。
ワシントン・ポスト紙によれば、少数派を狙った報復殺人も数件起きている。
だが欧州での議論は、大半のシリア難民を一斉に出国させるよう奨励または強制すべきか否かという段階に移っている。専門家や人権団体は、難民認定を申請中のシリア人と、既に欧州に滞在している120万人を超えるシリア人の将来に危機感を抱いている。
オーストリアのゲルハルト・カルナー内相は内務省に対し、「秩序ある帰還と強制送還」のためのプログラムを準備するよう要請した。
この議論が最も活発なのは100万人近いシリア人を受け入れており、2月23日に総選挙を控えているドイツだ。
移民・難民の初期受け入れ施設で昼食の列に並ぶ人々。大半がシリア出身者だ(2023年10月、ドイツ東部のアイゼンヒュッテンシュタット) SEAN GALLUP/GETTY IMAGES
ドイツのアンナレーナ・ベアボック外相は1月3日、ダマスカスでシリアの実質的な指導者アフマド・アッシャラア(別名モハマド・ジャウラニ)と会談。その直後にナンシー・フェーザー内相が、ドイツ在住の一部のシリア人の保護資格を取り消し、国外退去を命じる可能性があると表明した。
「シリア情勢の安定化を受け、ドイツでの保護が必要なくなったなら、わが国の法律が規定するとおり連邦移民・難民局はシリア難民への保護資格を見直し、取り消すことになる」と、フェーザーは語った。「この措置は居住権を持たず、自主的にシリアに帰国しない人々にも適用される」
キリスト教民主同盟(CDU)のイェンス・シュパーン議員は、自主的に帰国するシリア難民に政府が1000ユーロを支給する計画を提案。さらにキリスト教社会同盟(CSU)のアレクサンダー・ドブリント議員は帰国を保証する代わりに、シリア再建へ財政支援を行うべきだと表明した。
相次ぐ政治家の発言に、ドイツ在住シリア人の間には動揺が広がっている。シリア難民は、市民の役割を果たすことでドイツ社会にかなり溶け込んでいるとみられる。
約22万6600人が就職して社会保険料を納め、約27万9600人が求職者として登録されているなど、他の難民グループより社会に貢献する資質があると考えられている。
ダマスカスを掌握して軍事パレードを行う暫定政権のメンバー(昨年12月) AP/AFLO
昨年12月、ドイツ中部のワイマールにあるシリア料理店に、3人のシリア難民がいた。ユスフとモハメド、そしてイッサは口々に、祖国には戻りたいが、一時的に訪問して状況を確認したいだけで再定住するつもりはないと話した。
学生のイッサはシリア東部デリゾールの出身。故郷は今、アメリカが支援するクルド人主体のシリア民主軍(SDF)が実効支配している。彼はトルコが支援するシリア反体制派との緊張状態を懸念し、「まだ安全ではない」とドイツ語で語った。ドイツ北部のメクレンブルクで理容師をしているモハメドは、今後もドイツで暮らしたいと話した。
人権活動家のみるところ、ドイツ在住のシリア人は生活を立て直すために多大な投資を行っているので、いきなり全てを放り出すのは難しい。
ドイツの難民支援団体プロ・アジールで活動する社会学者のカール・コップは、欧州にいるシリア人の大半、特に仕事と収入があって子供を学校に通わせているシリア人はこのままとどまるだろうと言う。「高齢の人たちは祖国に帰って余生を過ごしたいと思うかもしれないが」
高齢化が進む欧州の労働市場の穴を埋めるためにシリア難民が重宝されている今、社会に溶け込んだシリア人を「引き剝がすのは愚かだ」と、コップは言う。ドイツでは介護業界だけでも、20万人近くを確保する必要がある。
強制送還は条約違反
さらに人権活動家らは、保護されるべき資格を持つ人々を国外退去処分にすれば、さまざまな問題が生じると主張する。その人々には、国や地域の法律や国際法に由来する保護が重なり合うように提供されているからだ。
彼らを強制送還すればいかなる形でも、1951年の難民条約の「ノン・ルフルーマン原則」(難民を迫害の危険に直面する国へ送還してはならないという原則)に違反する。難民の資格は満たさないが、母国に戻れば迫害を受ける恐れのある「補完的保護」の対象者も、EUの人権憲章で保護されている。
「ドイツにいるシリア人の大半は保護資格を持っている」と、コップは言う。「だが強硬派は、ドイツ社会に溶け込んでいるシリア人はそのままでもいいが、犯罪者や社会福祉に依存している人々は帰国させるべきだと考えている」
ドイツの大半の政党も、犯罪歴のある移民は帰国させるべきだという見解で一致している。2月の総選挙で第1党になると予想されるCDUはさらに踏み込み、補完的保護制度の撤廃を提案している。
アサドとその体制が消えたため、保護を求める(あるいは提供する)理由はなくなったという考えがドイツでは広まっている。アサド政権は獄中での拷問などの人権侵害を行っていたと非難されており、多くのシリア人が亡命を求める理由はここにあった。
「国外に逃れる理由がもはや存在しない以上、帰国は可能なはずだ」と、CSU議員のドブリントは言う。
ドイツ連邦移民・難民局は「迫害状況が恒久的に変わったか適用されなくなり、対象者が帰国しても危険に直面しなくなった」「対象者が犯罪を犯した」などの場合、同局には対象者の難民認定を取り消す法的義務があるとする。
51年の難民条約は、対象者が「任意に国籍国の保護を再び受けている場合」や「任意に国籍を回復した場合」、あるいは「迫害を受ける恐れがあるという恐怖を有するため、定住していた国を離れていたが、再びそこに任意に定住するに至った場合」などにおいて適用を終了すると規定。
対象者が「難民と認められる根拠がなくなった場合」にも適用を終了すると明記する。
一部の人権活動家は、保護資格の取り消し条項は安全な状況が長期にわたって続くような変化があった場合、つまり単にアサド体制から解放されただけでなく、そのほかの人権侵害の恐れがないことも保証される場合に適用されるものだと主張する。
プロ・アジールのウィーブケ・ユディト法務担当広報は、1つの保護資格が取り消されるとしても、ドイツ連邦移民・難民局や裁判所は別の保護資格が適用されるかどうかを考慮すべきだと指摘した。「例えば欧州人権条約第4議定書第3条は国民の追放禁止を定めている」とユディトは言う。
「この条項は拷問や非人道的、または屈辱的な扱いを受けるリスクがある場合のいかなる国外退去処分も禁止している。シリアの差し迫った人道状況を考えれば、このリスクには貧困も含まれる」
一時帰国のチャンスを
ドイツの法律は移民に対し、国外退去処分に異議を唱える法的手段を提供している。だがユディトはドイツで永住権を持たないシリア人には、実用的な観点から別の選択肢を考えるよう勧めている。
「例えばきちんと就職したり、専門職や高資格者ならEUブルーカードを取得すれば定住資格を得られる可能性がある」
人権活動家は、欧州諸国はシリア人を強制送還するのではなく、希望する人には帰国を支援し、そのほかの人々は人的資源として国内に滞在させるべきだと主張する。
フランスの難民支援団体ラ・シマーデのジェラール・サディクは、欧州諸国はシリア人に対し、保護資格を維持したまま、いったん帰国して現地の状況を確認できるようにすべきだと語る。
「問題は、帰国できる状況にあるかどうかを確認するためにシリアにいったん渡っただけでも保護資格を失う可能性があることだ」と、サディクは言う。「帰国が可能ならば帰国させるべきであり、自分の家が残っていることを確認したいならそのチャンスを与えるべきだ」
From Foreign Policy Magazine