Infoseek 楽天

街に住居に公園に...今日の防犯対策に生かされる「城壁都市のDNA」 理にかなっている理由とは?

ニューズウィーク日本版 2025年1月16日 10時15分

小宮信夫
<ヨーロッパはもちろん中国にも見られる城壁都市。ポイントは「領域性(入りにくさ)」と監視性「(見えやすさ)」に>

犯罪機会論とは、犯行の動機があっても、犯行のコストやリスクが高くリターンが低ければ(つまり、犯罪の機会がなければ)、犯罪は実行されないと考える立場だ。その研究により、犯罪の機会は、「入りやすく見えにくい場所」に集中することがすでに分かっている。

この犯罪機会論は、海外では普通に実践されているが、日本では普及していない。その最大の理由が、日本では城壁都市が作られたことがない、という歴史的な事実だ。

一方、海外ではほとんどの国で城壁都市が形成されてきた。ローマも、ロンドンも、パリも、元は城壁都市だ。この城壁都市こそ、「犯罪機会論」のルーツなのだ。

例えば、ルーヴル美術館は城壁都市だった中世パリの西端を守る要塞が起源だ。城壁の外周が同心円状に拡大し、要塞が城内に取り込まれると、要塞は宮殿になった。そして、王宮がヴェルサイユに移されると、宮殿が美術館へと変貌したのだ。

今でも、海外に行くと、街の境界を一周する城壁が高くそびえているのに驚かされる(写真1)。かつて民族紛争が続き、地図が塗り替えられていた海外では、異民族による侵略を防ぐため、人々が一カ所に集まり、街全体を壁で囲むしかなかった。こうして城壁都市は誕生した。

写真1 筆者撮影

一方、日本はといえば、城壁都市を建設する必要がなかった。というのは、四方の海が城壁の役割を演じ、しかも台風が侵入を一層困難にしていたからだ。実際、日本本土は建国以来一度も異民族に侵略されたことがない。

要するに、日本は領域性(入りにくさ)と監視性(見えやすさ)に配慮した都市づくりを経験してこなかった。この経験値の低さこそ、犯罪機会論の普及を阻害している最大の要因である。

こうしたことはヨーロッパだけではない。古い歴史を誇る中国も、犯罪機会論の宝庫だ。

例えば、世界遺産として有名な「万里の長城」がそうだ。それは、紀元前の春秋戦国時代に諸国が個別に建設した壁を、中国統一を果たした秦の始皇帝がつなぎ合わせたものが原形である(写真2)。その後、明の時代まで増改築が繰り返された。2000年以上にわたって築き続けた壁の全長は、2万キロを超えるという。

写真2 筆者撮影

この「世界最大の建築物」を作った目的は、北方の遊牧騎馬民族による略奪を防ぐため、中国を「入りにくい場所」にすることだった。「巨大な竜」に例えられるように、山の稜線を縫うように走っているので、そこは「見えやすい場所」にもなっている。

現在では食欲増進のキャッチコピーとして用いられる「天高く馬肥ゆる秋」は、元々は北方民族が夏の放牧で肥えた蒙古馬に乗って秋の収穫期に襲来し、略奪することへの警戒を促す中国のことわざだ。つまり、遊牧民族の強盗から農耕民族を守るためのハード面の対策が万里の長城で、「天高く馬肥ゆる秋」という警句がソフト面の対策なのだ。

「万里の長城」は「線」だが、それを「面」に拡充したのが城壁都市だ。中国では、まず城壁が築かれ、続いて街が発展した。そのため、中国語で「城」は「都市」を意味し、都市住民は中国語では「城市居民」と言う。同じ漢字でも、日本では姫路城や熊本城という使い方でも分かるように、「城」という言葉は「要塞」のことで、意味が異なる。

その中国で、世界遺産「平遥古城」は3000年の歴史があり、中国でも人気の城壁都市だ。周囲6キロの街が高さ10メートルの城壁で囲まれ、城内では今も5万人が昔ながらの暮らしを営んでいるという(写真3)。

写真3 筆者撮影

彼らの住む家屋も城壁都市のミニチュア版である。それは「四合院」と呼ばれ、中庭を囲んで四方に部屋を配した漢族の伝統的住居だ(写真4)。3000年前の周代から存在するという。北側にあるのは年長者の部屋で、東西に残りの家族の部屋を置き、南側は台所や倉庫だ。

写真4 筆者撮影

興味深いことに、外周を壁で囲み、壁には窓を設けていない。出入り口も南面に置かれた門の一カ所だけだ(つまり、入りにくい場所)。壁をよじ登ったとしても、降りる先は中庭なので、侵入者は四方から丸見えである(つまり、見えやすい場所)。

この「囲む」という発想は、「国」という漢字の起源(城壁の形が【口】)と共通する。明・清代の宮殿だった北京の紫禁城も大規模な四合院である。そういえば、パラダイス(楽園)の語源と言われる古代ペルシャ語の「パイリダエーザ」も「壁で囲まれた庭」を意味する。

実は、台湾の台北もかつて城壁に囲まれていた。琉球への影響力を弱めた清政府が日本(明治政府)の中国侵攻を恐れ、台湾を中国防衛の最前線基地とするため築城したのだ。城壁は高さ5メートルで、全長5キロに及んだという。

日清戦争の結果、台湾が日本の植民地になると、台北の城壁は撤去されることになった。しかし、取り壊しに地元民が反対したため、四つの城門だけは残された。ここにも、城壁都市に対する日本人と中国人の意識の違いが見て取れる。

今も、中国人は城壁都市が好きなようだ。例えば、坑鄭村には、現代版の城壁都市がある(写真5)。ここは、浙江省台州市にある人口300人ほどの村。山間部に位置しているため、かつては平穏な集落だった。しかし近年、目の前を省道が通るようになり(つまり、入りやすい場所になった)、それ以降、侵入盗が多発するようになったという。

写真5 筆者撮影

そこで、三方を山に囲まれた特殊な地形を利用して、唯一平地に面した一方に城壁を築いた(つまり、入りにくい場所にした)。城門も夜間は閉じられる。完成は2011年。建設費600万円の7割は住民の寄付で賄われ、残りを行政が支援したという。この地域でも、城壁都市のDNAが受け継がれているのだ。

城壁都市のDNAはヨーロッパでも確認できる。例えば、ウィーン(オーストリア)の低所得者向け市営住宅は、城壁都市のミニチュア版のような集合住宅だ(写真6)。

写真6 出典:拙著『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)

マンションの入り口にはゲートバーが設置され、手動で開閉しなければ出入りできず、各住戸にも中庭側からしかアクセスできない。つまり、居住空間は「入りにくい場所」になっている。

中庭に造られた公園(遊び場)は、周囲360度から視線が届くので「見えやすい場所」だ。

さらに、この公園を「入りにくい場所」にするため、①公園の通り抜けをしないよう歩行者を誘導する舗装道を左右に設け、②近づいてくる人に子供が気づける時間を確保するバッファーゾーン(緩衝地帯)として、遊具と歩道の間に芝生を植えている。

また、西洋諸国では公園にも城壁都市のDNAを見ることができる。例えば、バルセロナ(スペイン)の公園では、遊具のある遊び場がフェンスで囲まれていて、入りにくい場所になっている(写真7)。その姿はさながら城壁都市のミニチュアのようだ。

写真7 筆者撮影

ウェリントン(ニュージーランド)の公園もフェンスに囲まれ、ゾーニングされている(写真8)。子供が連れ去られるケースのほとんどは、子供がだまされて自分からついていくパターン。だが、ゾーニングされている公園では、子供専用のスペースに入るだけで、子供も周りの大人も警戒するので、だまして連れ出すことは難しい。

写真8 出典:拙著『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)

さらに、ここには遊具を背にしたベンチがフェンス外周に置かれている。こうすることによって、物色中の犯人にいち早く気づける。SP(要人警護官)の立ち位置や視線方向と同じスタンスのベンチだ。これも城壁に立つ見張りのイメージと重なる。子供を守りたければ、子供を見るのではなく、子供を見ている人を見なければならない、というわけだ。この遊び場は、物色も接触も困難な「入りにくく見えやすい場所」である。

このように、海外では犯罪機会論が自然に(無意識に)実現されてきた。しかし、日本ではそうはならない。日本人が意識して取り組まなければ、安全な場所は作れないのである。

この記事の関連ニュース