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なぜリベラルは勝てないのか?...第2次トランプ政権発足に際して、今こそ学び直すインターネットと政治の歴史

ニューズウィーク日本版 2025年1月19日 9時25分

大橋完太郎(神戸大学大学院人文学研究科教授)
<本来リベラルであったインターネットのサブカルチャーは、どのように右傾化し、メインストリームを征服していったのか?>

オルタナ右翼の専門家・アンジェラ・ネイグルによる話題書『普通の奴らは皆殺し インターネット文化戦争 オルタナ右翼、トランプ主義者、リベラル思想の研究』(Type Slowly)より「あとがき」を一部抜粋。

人類にとってひとつの「黒歴史」になるであろう歴史の軌跡を「サブカルチャー」という視点から丁寧に叙述した話題書について。

 

◇ ◇ ◇

本書はソーシャル・メディア(SNS)黎明期から、2016年のトランプ大統領選出に至るまでのインターネットを主戦場とした文化政治の歴史をなぞった稀有な書籍であろう。

おそらくは人類にとってひとつの「黒歴史」になるであろう歴史の軌跡を「サブカルチャー」という視点から丁寧に叙述したという意味で、トランプの第二次政権誕生を目前とした2024年の今日においても、様々に参照すべき箇所があることは間違いない。

とりわけ、おそらくは筆者が女性であることから持ち得たであろう視点は、政治家やセレブ、著名ブロガー、プラウド・ボーイズや無名のトロールたちまでも含めた「男たち」の基本的な心性や素行の姿を浮き彫りにして、そこでの問題の所在を明らかにしているように思える。

その意味で、とりわけ本書の第6章[マノスフィア(男性空間)に入会すること]と第7章[つまらないビッチ、普通の奴ら、そして絶滅寸前メディア]での分析は多くの示唆に富む。(もちろん、筆者の視点自体もまた、「男たち」によって大いに問題にされることになるであろうし、訳者であるわたしによるここでの指摘が、様々な立場から何がしかの非難を受けるであろうことも想像に難くない。)

とはいえ訳者であるわたしは、メタ的な批判の可能性をあえて括弧に入れて、この解説を締めくくろうと思う。

本書は、非歴史的なものの歴史であり、非歴史的であることによって歴史的であろうとしたものたちの歴史を──それが右派であれ左派であれ──最大限の誠実さと注意を持って書き留められた「歴史」である。


フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、論考『汚辱に塗れた人々の生』において、罪人に対して費やされたほんの微かな記述を手がかりに、歴史から抹消されかけた人々の生を描き出した。

今やわたしたちは、SNSでの書き込みやコメント、あるいはメールや携帯、LINEの履歴など、さまざまな「汚辱」を撒き散らす可能性の下で生きるようになってしまっている。

わたしたちはたいていが「普通の奴ら」の一員であり、歴史的な存在たる人はそう多くはない。

だが、わたしたちの生とともに生み出されるパン屑のような言葉や記号の断片こそが、本書で様々な例を尽くして述べられているように、わたしたちの歴史を構成し、それに動きを与えてしまえるような、そんな時代を迎えているのではないだろうか。

大橋完太郎(Kantaro Ohashi)
1973年生まれ。神戸大学大学院人文学研究科教授。専門は近現代フランス思想、表象文化論、芸術哲学。著書に『ディドロの唯物論』(2011年、法政大学出版局)。訳書にマーク・フィッシャー『ポスト資本主義の欲望』(2022年、左右社)、リー・マッキンタイア『ポストトゥルース』(2020年、監訳、人文書院)など。

 『普通の奴らは皆殺し インターネット文化戦争 オルタナ右翼、トランプ主義者、リベラル思想の研究』(Type Slowly)
 アンジェラ・ネイグル[著]
 大橋完太郎[訳]/清義明 [監]

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