小泉淳子(ライター)
<海藻を食い荒らすイスズミやアイゴは臭いが強すぎて「焼却処分」するしかない──そんな食害魚が学校給食や飲食店の人気メニューに>
アカムツにサバにアナゴ。周囲を海に囲まれた長崎県対馬は豊かな水産資源に恵まれた水産業が盛んな地域だ。海岸の岩場をのぞけば、アワビやサザエがたくさん捕れる。かつての海を知る対馬の大人たちはそう口をそろえる。
ところが今、対馬の海で魚が捕れなくなっている。1982年に4万7000トンあった水揚げ量は、2020年には1万1000トンにまで減少。海藻や海草が繁茂し多様な生き物の産卵や生息の場となっている藻場が衰退し海が枯れる「磯焼け」の被害が深刻であることが一因とされる。
対馬市役所SDGs推進課の前田剛によれば、対馬沿岸では80年代から磯焼けが見られるようになったという。近年は対馬だけでなく、全国的に磯焼けが拡大し、対策が急務となっている。
藻場が消失すると、そこにすむ稚魚を食べにくる魚がいなくなり漁業に影響を与えるほか、海洋植物が光合成によって海中の二酸化炭素を吸収し固定するブルーカーボン生態系も失われることになる。
磯焼けの発生にはさまざまな要因が絡み合っているとされ、地球温暖化による海水温の上昇で海藻の生育が不良になっていることがその1つ。
また、ウニの一種のガンガゼやイスズミ、アイゴといった南方系の植食性魚類の活動が年間を通して活発化し、エサとなる海藻を食べ尽くしていることも要因とみられている。
対馬市では藻場再生や海藻を食べる食害魚の駆除など対策に取り組んできたが、一度崩れた生態系のバランスを立て直すのは容易ではない。後継者不足も加わって漁業者の数は減少の一途をたどり、対馬の水産業は危機にさらされていた。
臭みが強くて食べられなかったアイゴ MIT
ネコも食べない魚が変身
そんな対馬で豊かな海を取り戻そうと、食べる磯焼け対策「そう介(すけ)プロジェクト」を始めたのが、水産物の加工・販売を行う丸徳水産を家族で経営する犬束ゆかりだ。海に行っても何も捕るものがなく、どんどん海が枯れていくのが分かり胸を痛めていたという。
ある時、丸徳水産が営む飲食店「肴や えん」を訪れた客から、駆除したイスズミやアイゴが焼却処分(当時)されていると聞き、資源として活用できないかとメニュー開発に取り組むことを決めた。
イスズミやアイゴは臭いが強く、まずくてネコも食べないといわれている魚。昔から対馬に生息していたものの、海が豊かだった時代は他の魚が捕れたため漁業者が関心を持つことはなかった。だが海で捕れるものがないのなら、捕れるものを食用にしようと犬束は試行錯誤を重ねた。
メニュー開発が加速したのは、19年。対馬を拠点に活動する一般社団法人MITや市役所と協力し、そう介プロジェクトがスタート。イスズミという名前にはネガティブなイメージがあるため、イスズミを「そう介」と呼ぶことにした。そう介の「そう」には海藻のそう、創意工夫のそう、惣菜のそう、とたくさんの思いが込められている。
最初は「おなごに何ができる、と言われたこともある」と犬束は笑う。だが、決してめげなかった。
「女性でもできるということを示したかったし、私たちは海で育てられてきたから恩返しの気持ちもある。漁村を取り巻く環境を少しでも改善して、捕れるものに付加価値を付けて漁業者にお金が落ちる仕組みをつくりたい」
毎日試作品を作り、漁業者たちに味見してもらったり、長崎県の水産課に持参して試食してもらったりを繰り返すうちに応援してくれる人が増え、風向きが変わっていった。
やがてさばいたイスズミを水に漬け、何回も水を替えて丁寧に血抜きの下処理をすると臭みが取れることが分かり、すり身にして玉ねぎなどの野菜と混ぜ合わせてカツを作ったところ、ネコまたぎだったとは思えない美味な一品が完成した。
玉ねぎの分量にもこだわったカツは、水産庁や漁業共同組合などが後援するFish-1グランプリで19年の国産魚ファストフィッシュ部門グランプリを獲得。新しい水産資源の開発や加工技術が評価された。
イスズミのカツやアイゴのフライは、今では「肴や えん」での人気メニューだ。対馬の学校給食にも採用され、子供たちが海の環境を学ぶ格好の教材になっている。
意識変容がカギを握る
犬束の功績は、未利用魚に高い付加価値を与えたことだけではない。漁業者をはじめ島の人たちの意識を変えた点が大きい。海の仕事をしているとはいえ、全ての漁業者が海の持続可能性を意識しているわけではない。イスズミもアイゴも、漁業者にとっては補助金をもらって駆除する対象でしかなかった。
そんな漁業者の意識が変わったのは、犬束の行動力と明るい人柄が周囲を巻き込んでポジティブなうねりを生み出したからだろう。捕獲されたイスズミやアイゴの鮮度が保たれたまま丸徳水産に運ばれる流通経路も確立された。
今も補助金による駆除は続くが、いつかイスズミやアイゴが水産資源として捕獲されるようになることを目指したいと犬束は言う。
「食べる人の意識も変わり、イスズミやアイゴがみんなを良い方向につないでいるように思う。海の環境はすぐには良くならないかもしれないが、食害魚を焼却してCO2を出すよりもおいしく食べたほうがいいし、地産地消にもつながっている」
人を巻き込むことの大切さを実感した丸徳水産がいま力を入れているのが、漁業者らが海の現状を語るツアー「海遊記」だ。参加者に釣りや魚の餌やりなど海の楽しさを体験してもらうとともに、磯焼けや海洋ゴミなど海を取り巻く課題を紹介することで海への関心を高めるのが狙いだ。
対馬の豊かな海を取り戻し、持続可能な漁業を次世代につなぐために、犬束の挑戦はまだまだ続きそうだ。
<海藻を食い荒らすイスズミやアイゴは臭いが強すぎて「焼却処分」するしかない──そんな食害魚が学校給食や飲食店の人気メニューに>
アカムツにサバにアナゴ。周囲を海に囲まれた長崎県対馬は豊かな水産資源に恵まれた水産業が盛んな地域だ。海岸の岩場をのぞけば、アワビやサザエがたくさん捕れる。かつての海を知る対馬の大人たちはそう口をそろえる。
ところが今、対馬の海で魚が捕れなくなっている。1982年に4万7000トンあった水揚げ量は、2020年には1万1000トンにまで減少。海藻や海草が繁茂し多様な生き物の産卵や生息の場となっている藻場が衰退し海が枯れる「磯焼け」の被害が深刻であることが一因とされる。
対馬市役所SDGs推進課の前田剛によれば、対馬沿岸では80年代から磯焼けが見られるようになったという。近年は対馬だけでなく、全国的に磯焼けが拡大し、対策が急務となっている。
藻場が消失すると、そこにすむ稚魚を食べにくる魚がいなくなり漁業に影響を与えるほか、海洋植物が光合成によって海中の二酸化炭素を吸収し固定するブルーカーボン生態系も失われることになる。
磯焼けの発生にはさまざまな要因が絡み合っているとされ、地球温暖化による海水温の上昇で海藻の生育が不良になっていることがその1つ。
また、ウニの一種のガンガゼやイスズミ、アイゴといった南方系の植食性魚類の活動が年間を通して活発化し、エサとなる海藻を食べ尽くしていることも要因とみられている。
対馬市では藻場再生や海藻を食べる食害魚の駆除など対策に取り組んできたが、一度崩れた生態系のバランスを立て直すのは容易ではない。後継者不足も加わって漁業者の数は減少の一途をたどり、対馬の水産業は危機にさらされていた。
臭みが強くて食べられなかったアイゴ MIT
ネコも食べない魚が変身
そんな対馬で豊かな海を取り戻そうと、食べる磯焼け対策「そう介(すけ)プロジェクト」を始めたのが、水産物の加工・販売を行う丸徳水産を家族で経営する犬束ゆかりだ。海に行っても何も捕るものがなく、どんどん海が枯れていくのが分かり胸を痛めていたという。
ある時、丸徳水産が営む飲食店「肴や えん」を訪れた客から、駆除したイスズミやアイゴが焼却処分(当時)されていると聞き、資源として活用できないかとメニュー開発に取り組むことを決めた。
イスズミやアイゴは臭いが強く、まずくてネコも食べないといわれている魚。昔から対馬に生息していたものの、海が豊かだった時代は他の魚が捕れたため漁業者が関心を持つことはなかった。だが海で捕れるものがないのなら、捕れるものを食用にしようと犬束は試行錯誤を重ねた。
メニュー開発が加速したのは、19年。対馬を拠点に活動する一般社団法人MITや市役所と協力し、そう介プロジェクトがスタート。イスズミという名前にはネガティブなイメージがあるため、イスズミを「そう介」と呼ぶことにした。そう介の「そう」には海藻のそう、創意工夫のそう、惣菜のそう、とたくさんの思いが込められている。
最初は「おなごに何ができる、と言われたこともある」と犬束は笑う。だが、決してめげなかった。
「女性でもできるということを示したかったし、私たちは海で育てられてきたから恩返しの気持ちもある。漁村を取り巻く環境を少しでも改善して、捕れるものに付加価値を付けて漁業者にお金が落ちる仕組みをつくりたい」
毎日試作品を作り、漁業者たちに味見してもらったり、長崎県の水産課に持参して試食してもらったりを繰り返すうちに応援してくれる人が増え、風向きが変わっていった。
やがてさばいたイスズミを水に漬け、何回も水を替えて丁寧に血抜きの下処理をすると臭みが取れることが分かり、すり身にして玉ねぎなどの野菜と混ぜ合わせてカツを作ったところ、ネコまたぎだったとは思えない美味な一品が完成した。
玉ねぎの分量にもこだわったカツは、水産庁や漁業共同組合などが後援するFish-1グランプリで19年の国産魚ファストフィッシュ部門グランプリを獲得。新しい水産資源の開発や加工技術が評価された。
イスズミのカツやアイゴのフライは、今では「肴や えん」での人気メニューだ。対馬の学校給食にも採用され、子供たちが海の環境を学ぶ格好の教材になっている。
意識変容がカギを握る
犬束の功績は、未利用魚に高い付加価値を与えたことだけではない。漁業者をはじめ島の人たちの意識を変えた点が大きい。海の仕事をしているとはいえ、全ての漁業者が海の持続可能性を意識しているわけではない。イスズミもアイゴも、漁業者にとっては補助金をもらって駆除する対象でしかなかった。
そんな漁業者の意識が変わったのは、犬束の行動力と明るい人柄が周囲を巻き込んでポジティブなうねりを生み出したからだろう。捕獲されたイスズミやアイゴの鮮度が保たれたまま丸徳水産に運ばれる流通経路も確立された。
今も補助金による駆除は続くが、いつかイスズミやアイゴが水産資源として捕獲されるようになることを目指したいと犬束は言う。
「食べる人の意識も変わり、イスズミやアイゴがみんなを良い方向につないでいるように思う。海の環境はすぐには良くならないかもしれないが、食害魚を焼却してCO2を出すよりもおいしく食べたほうがいいし、地産地消にもつながっている」
人を巻き込むことの大切さを実感した丸徳水産がいま力を入れているのが、漁業者らが海の現状を語るツアー「海遊記」だ。参加者に釣りや魚の餌やりなど海の楽しさを体験してもらうとともに、磯焼けや海洋ゴミなど海を取り巻く課題を紹介することで海への関心を高めるのが狙いだ。
対馬の豊かな海を取り戻し、持続可能な漁業を次世代につなぐために、犬束の挑戦はまだまだ続きそうだ。