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学術的引用すら許されない?...「コンプライアンス」が追い詰める「学問の自由」

ニューズウィーク日本版 2025年1月29日 11時0分

渡辺 裕(東京大学名誉教授) アステイオン
<「著作権法上の理由」で教材にモザイク、先行文献の引用が「剽窃」...。この奇妙ながんじがらめを後世の人はどう思うのか? 『アステイオン』101号より「『コンプライアンス』という正論」を転載> 

もう半年以上も前[編集部注:2024年11月時点]になるが、《不適切にもほどがある!》というテレビドラマが話題になった。

1986年からタイムスリップして現代の日本に来てしまった、「昭和」を絵に描いたような主人公が、両時代の価値観の激しい乖離のなかで巻き起こすトラブルを通して、「コンプライアンス」優先の現代社会の問題点を、宮藤官九郎流のコミカルなタッチで描き出したものだ。

このドラマが大きな反響を呼んだのは、何かにつけ「コンプライアンス」重視の「正論」に振り回されがちな現代社会のあり方に疑問をいだいている人がそれだけ多いということでもあろう。

もちろん、迷惑行為、不公平や差別がまかり通っていた時代を、「昔は大らかで良かった」などと讃美するつもりなどないが、この種の「正論」にどこかおかしいと感じたような体験は誰でも一度や二度はあるだろう。

私自身が最近そんな疑問を感じた事例を2件ほど取り上げてみたい。どちらも著作権に関わる問題である。

ひとつは私自身が最近、ある大学で講演を行った際に体験したことで、講演の映像を大学のウェブサイトで公開するにあたり、講演内で使用した動画や音源、さらには本などの文字テクストの引用までが「著作権上の理由」でほとんど削除されたりモザイクをかけられたりしたという事態である。

著作権法上、他人の著作を勝手に使うことは許されないが、著作権法には例外事項があり、学術的な著作等で自説の補強や他人への論評のために適切な範囲内で引用することは認められている。

今回のケースでは(少なくとも私自身の認識では)いずれも適切な範囲内で典拠も記載して引用しているつもりなのだが、公開された動画ではそのほとんどすべてが削除・モザイクの対象となってしまった。

著者の死後70年以上が経ち、そもそも著作権保護の対象ではない本の引用まですべてモザイク処理になっており、これには驚いてしまった。

どこまでが「適切な範囲内」なのかの具体的な基準が著作権法自体には書かれていないため、線引きのしようがなく、許諾のないものはすべて削除・モザイクの扱いにしたということだったようだが、著作権法があえて具体的な規定を避けたのは、事例ごとのきめ細かい判断の余地を残すためであり、「著作権法上の理由」という「正論」を曖昧に適用し、すべてを一括して削除してしまうのはあまりにも乱暴である。

YouTubeで配信するため、そちらのチェックで引っかかることを怖れたことなどもあろうが、そんな「自己規制」や「忖度」が積み重なり、既成事実化してゆけば、本来認められていた引用というカテゴリー自体が有名無実化することにもなる。

他人の説を批判するための引用にも相手の許諾が必要というようなことになれば、健全な言論活動は阻害されてしまうだろう。

もうひとつの事例も同じく著作権に関わる、こちらは私の友人が巻き込まれた事件である。

大学の出版物に投稿した論文が米国で出版されている先行文献の剽窃とみなされて学内のコンプライアンス委員会に通報され、懲戒解雇処分になってしまったという事案である。この処分を不当として訴訟を起こしたものの、一審の東京地裁では主張が認められず敗訴し、現在東京高裁に控訴して係争中である。

解雇の不当性を争う裁判なので、基本は労働法の案件ではあるが、少なくともこの解雇にいたる事実関係の中心にあるのは著作権問題であり、そこで下された不正という判断は、音楽研究のみならずおよそ人文学の研究に関わる者には由々しき大事である。

というのも、ここで問題とされた先行文献の使い方は、この分野ではかなり普通に行われているものだからである。

もちろん、研究論文はオリジナルなものでなければならず、他人が言っていることと自分の言っていることとはっきり区別し、典拠を示さなければならないというのは、研究のイロハであり、全くもって「正論」には違いない。

だが人文学の場合、実際にはその記載がどこまで求められるかの線引きにはかなりのグレーゾーンがある。

たとえば「バッハの《マタイ受難曲》は1729年に初演された」と書くとき、ほとんど全ての人は自分で上演記録を調べたわけでもなく、何かの文献から得た知識を流用しているに違いないが、その際に典拠を記載するというようなことはまずない。

もちろんそれは、個人の所有物ではない「歴史的事実」とみなされているからであるともいえるが、それも実は決定的なポイントというわけではない。

《マタイ受難曲》は長いこと1729年初演とされてきたが、実は1727年であったという説が1970年代に登場し、ひとしきり議論になった。

「1729年説」は1829年に復活上演が行われる際に「100周年」の年として大々的に祝われる中で定着していったということが明らかにされたのである。仮にこのあたりの経緯をテーマとした論文であれば、これは「歴史的事実」などではなく、典拠を抜きにして言及するようなことはありえないということになるだろう。

学術論文の「プロ」の読み手たちはそのように、論文の目的や性格、当該分野の研究状況や書き手のクセなども考慮して論の微妙な呼吸をよみとり、論証の中での当該の箇所の位置や役割をはかりつつ、妥当性を判定する。

今回の問題論文は、これまでほとんど顧みられてこなかった古典文献の内容を紹介し、その歴史的意義を論じる趣旨のものであるから、著者の生涯など、中心的な論点に関わらない背景記述の部分では、先行研究を主たるよりどころに、それをまとめ直しながら記述を進めてゆくのはむしろごく一般的なやり方である。

文章の巧拙などもあり、その関係が多少わかりにくい部分などもあるにせよ、この種の論文を読み慣れた「プロ」の読者であれば、逐一ページ数などの記載がなくても、全体が先行研究に依拠した要約になっていることを読み取るのは容易であり、剽窃の疑いをかけられるなどということはまず起こりようがなかろう。

それにもかかわらず地裁判決では、全ての箇所での出典表示の有無だけを機械的にチェックするようなやり方で剽窃が認定された。

固有の判断基準や慣習にかかわるローカルルールのようなものがあるのは音楽研究だけではなかろうが、そういうそれぞれの領域固有の微妙な凹凸のような要因を無視して、すべてを一律にブルドーザーで平らにしてしまった印象である。

今回取り上げたふたつの事例に共通しているのは、知の営みというものがそもそもどのように成り立っているのかという最も根本の部分がないがしろにされ、「著作者の権利」の部分だけが、現実離れした形で振り回され、形骸化する結果になっていることだ。

人文学に限らず、およそ知と呼ばれるようなものは、そのコミュニティに関わる人々がさまざまな知恵を提供し、それらがパブリックドメイン化しつつ共有財産として蓄積された土台を形作り、そこにさらに新たな知見がもたらされ、積み上げられてゆくというような形で成り立っている。

もちろん新たな知をもたらす者への敬意やそれにふさわしい見返りが必要であることは言うまでもないが、それらが皆で共有されることによってこそ、次なる新たな知の積み上げが可能になるということを考えるならば、それらが囲い込まれることなく、皆が共有財産として利用できる仕組みをどのように確保してゆくかを、それぞれの領域の状況をふまえてきめ細かく考えてゆくことこそが必要であろう。

「正論」はもちろん「正論」だが、それが実質を欠き形骸化したお題目になってしまうと、著作権法本来の目的にも反し、「角を矯めて牛を殺す」結果にもなる。ましてそれが懲戒解雇のような、ひとの一生を左右することに直結するとなれば、事は重大である。

最初に言及したドラマ《不適切にもほどがある!》では、「この作品には、不適切な台詞や喫煙シーンが含まれていますが、時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み、1986年当時の表現をあえて使用して放送します」といったテロップが随所で出る。

ところが最終回の末尾には、今度は2054年から逆に現代に戻ってきた人物が登場し、そこでは「この作品は不適切な台詞が多く含まれますが、時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み、2024年当時の表現をあえて使用して放送しました」というテロップが出てきて、現代の価値観自体が相対化される。

コンプライアンスにがんじがらめになったこの時代の動画や判決文は、30年後の人々の眼にはどのようにうつるのだろうか。

付記:本論中の講演映像の問題は、講演を担当した教員のご尽力で、当該部署に粘り強く交渉していただいた結果、本稿入稿後に改善がなされ、多くのモザイクを取り去ったものがあらためてアップロードされた。また、論文の引用が剽窃として懲戒解雇になった問題については、控訴審の東京高裁で昨年末に和解が成立し、懲戒解雇は撤回され、合意退職に変更された。こちらは基本的には労働法事案であり、著作権法自体についての考え方を判例として残すような形にならなかったことは少し残念だが、常に法の基本的な趣旨にたちかえり、それに照らしながら、その趣旨を本来の意味で生かし続けてゆくためにきめ細かい努力を傾け続けることがいかに重要であるかということをあらためて痛感させられた。

渡辺 裕(Hiroshi Watanabe)
1953年生まれ。東京大学文学部卒業、同大学大学院修了。玉川大学文学部助教授、大阪大学文学部助教授、東京大学大学院人文社会系研究科教授、東京音楽大学教授などを歴任。専門は音楽社会史、聴覚文化論。著書に『聴衆の誕生』(春秋社、サントリー学芸賞)、『日本文化 モダン・ラプソディ』(春秋社、芸術選奨文部科学大臣新人賞)、『歌う国民──唱歌、校歌、うたごえ』(中公新書、芸術選奨文部科学大臣賞)、『校歌斉唱!──日本人が育んだ学校文化の謎』(新潮選書)など。

 『アステイオン』101号
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]
 

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