西田亮介(日本大学危機管理学部・同大学院危機管理学研究科教授) アステイオン
<コロナ危機に対する社会科学の知見の活用に関する議論は経済学以外の分野でも活発化しつつあるが...>
しばしば経済学は「社会科学の女王」であると言われる。
物理学が「自然科学の王」と評されることとの対比であると言われるが、確かに経済学はその説明力、体系性、そして他領域や実務への応用や実装の貪欲さにおいて他の社会科学の追随を許さないことは明らかだ。
ノーベル賞には社会科学で唯一経済学賞が設けられ、その行方が世界的な話題になる。
経済学者はもっぱらグローバルな英語論文の世界で評価されることから、文系のなかでは一般メディアよりも「白い巨塔」に閉じこもりがちな印象もあったが、日本でも最近は違う。映像メディアやネットメディアで経済学者がオピニオンリーダーになったり、知見を活かした起業や新しいキャリアも注目されている。
一時期は経営学と絡めたビジネス書が人気だったが、最近はむしろ経済学と関連したそれのほうが人気なほどではないか。
いずれにせよ『アステイオン』101号の「コロナ禍を経済学で検証する」特集を一読して、改めて経済学の力強さを印象付けられた。本特集の論考、対談は今後の感染症対策にとどまらず、社会科学における経済学の地位や、現実政治や行政との関わり方を強く認識させる。
読者も日本のコロナ対策には様々な感想を持っているだろうが、本特集の付録資料にも収録される人口あたり死者数を基準とすれば、定量的に、そして総論としては「成功」であったことは疑う余地はあまりない。
そうはいっても経済、政策過程の正統性や合理性などに多くの課題が残っていることもまた間違いない。それは経済学の視点では、どのように読み解けるのだろうか。
本特集に収録される論考や対談はいずれも社会科学の観点でのパンデミックの検証、そして危機への備えと学界の関わり方を考えさせる。他の社会科学の研究者にとっても大いに参考になるはずだ。まず、なにより政策過程への経済学者の関わり方の記録としての側面だ。
大竹論文「感染症対策における日本の経済学(者)」や田中・土居対談「コロナ対策の『事後検証』」などにおいて、前者ではどのようにコロナ対策に経済学者が要望され、関わるようになったのかというごく基本的な、しかしこれまで断片的にしか公開されてこなかった経緯が体系的に紹介されている。
後者においては、「会計検査院の視点」という、論壇誌や新聞などでもなかなか目にする機会の乏しい知見が披露される。
いわゆる「アベノマスク」政策が1000億円超の予算で投入され、笑うに笑えないかたちで国民に受け止められたことをそれなりに記憶されているかもしれない。
だが、そもそも事業者とのあいだに仕様書が存在せず、口頭のやり取りのみで製造され、問題が生じたときの瑕疵担保責任が不明確だったことから、不良品対応がなされないケースがあり、検品を厚労省自ら行うというような事実はほとんど認識されていないだろう。重要な指摘である。
「緊急事態」の一言では済まないと多くの国民は考えるのではないか。こうした事実はもっと広く知られるべきだ。
その他に、雇用対策(酒井論文、山本論文)、ゼロゼロ融資(植杉論文)、医療資源の分配(伊藤論文)が所収されている。取り上げられるのは、多くの人が当時、いちどは耳にしたであろう重要政策が中心だ。いずれの掘り下げも、学術のみならず政策に対する具体的示唆に富む。
雇用対策では、酒井論文は本来緊急避難的な性質が強い雇用調整助成金事業の期間の長さ、規模の妥当性等に異議を唱える。
リーマン・ショック後の雇用調整助成金の特例措置の分析が存在するにもかかわらず、コロナ対策でそのことが省みられた形跡が乏しいことを指摘する。今流行りのEBPMやデータに基づく政策の実現可能性に対しても重要な示唆を与えている。
植杉論文は、担保不要で金利ゼロの「ゼロゼロ融資」の効果を検討する。
当座の資金繰り支援に対する効果は評価できるが、業績改善や負債返済可能性には寄与しておらず、「ゾンビ企業」については「延命」に寄与した可能性を示唆する。そのうえで「負債リストラ」を通じた企業のパフォーマンス改善の受容性を提起している。いずれも説得的だ。
伊藤論文は医療資源の分配にアプローチする。病床確保料が病床は確保されたとしても、医療人材が確保できず、実際の診療数増に結びつかなかった可能性を示唆し、人材確保をしっかり抑えてはじめて現実的な受け入れ体制拡大を実現できることや、そもそも人材配置に関する情報を政策当局が持ちえていない現状などを批判する。
こうした論考を目にするとき、その他の問題を経済学でアプローチするとどのような分析と提案がなされるのだろうかと興味が湧く。特別定額給付金や「Go To トラベル」など、本特集で取り上げられていないが、コロナ危機で目にした諸政策が残っている。
筆者の専門に照らせば、政策過程がテレビでの話題やSNSなど「可視化された民意」に過度に影響を受けたのではないかという懸念(「耳を傾け過ぎる政府」(拙著『コロナ危機の社会学』等))や、政治日程や力学が緊急事態宣言をはじめとする諸政策の決定に与えた影響なども気になるところである(後者は最近、当事者らの手記や、政治学などで幾つかの研究が出始めている)。
コロナ危機に対する社会科学の知見の活用可能性に関する議論は経済学以外の分野でも活発化しつつある。それらの医療分野、政策実務を含めたネットワーク化も期待されるところである。
しかし、過去10年のあいだに日本では経済学を含む、社会科学系の博士課程進学者が半減している現実もある。そのなかでどれだけ新型コロナ対策をはじめとする社会科学における非伝統的分野を専門、あるいは副専門とするような人材が生まれているかといえば経済学においてさえ、いささか心許ないのではないか。
感染症対策、危機管理を専門とする医療関係以外の大学、研究職ポストも管見の限りではそれほど多くはない。
研究費の多くがテーマ(と予算の使途)が定められた競争的資金化し、大学における裁量的研究費が減じているというとき、急な危機を眼の前にしても研究者が対応できない、対応するための資源が乏しいという問題も残っている。
分野を越えた共同研究どころではないほどまでに、学問の基盤が弱まっているのが2020年代の日本の大学の現実でもある。
本特集は「経済学の女王」としての経済学の現時点の力強さと可能性を一般読者含めて、平易にまた説得的に示唆するとともに、前述のような諸課題を想起させる価値あるものといえる。読者諸兄姉に一読を勧めたい。
西田亮介(Ryosuke Nishida)
1983年京都生まれ。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学。立命館大大学院特別招聘准教授、東京工業大学大学マネジメントセンター准教授、同大学リベラルアーツ研究教育院准教授などを経て、現職。著書に『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)、『メディアと自民党』(角川書店)、『ネット選挙』(東洋経済新報社)ほか多数。
『アステイオン』101号
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
CCCメディアハウス[刊]
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<コロナ危機に対する社会科学の知見の活用に関する議論は経済学以外の分野でも活発化しつつあるが...>
しばしば経済学は「社会科学の女王」であると言われる。
物理学が「自然科学の王」と評されることとの対比であると言われるが、確かに経済学はその説明力、体系性、そして他領域や実務への応用や実装の貪欲さにおいて他の社会科学の追随を許さないことは明らかだ。
ノーベル賞には社会科学で唯一経済学賞が設けられ、その行方が世界的な話題になる。
経済学者はもっぱらグローバルな英語論文の世界で評価されることから、文系のなかでは一般メディアよりも「白い巨塔」に閉じこもりがちな印象もあったが、日本でも最近は違う。映像メディアやネットメディアで経済学者がオピニオンリーダーになったり、知見を活かした起業や新しいキャリアも注目されている。
一時期は経営学と絡めたビジネス書が人気だったが、最近はむしろ経済学と関連したそれのほうが人気なほどではないか。
いずれにせよ『アステイオン』101号の「コロナ禍を経済学で検証する」特集を一読して、改めて経済学の力強さを印象付けられた。本特集の論考、対談は今後の感染症対策にとどまらず、社会科学における経済学の地位や、現実政治や行政との関わり方を強く認識させる。
読者も日本のコロナ対策には様々な感想を持っているだろうが、本特集の付録資料にも収録される人口あたり死者数を基準とすれば、定量的に、そして総論としては「成功」であったことは疑う余地はあまりない。
そうはいっても経済、政策過程の正統性や合理性などに多くの課題が残っていることもまた間違いない。それは経済学の視点では、どのように読み解けるのだろうか。
本特集に収録される論考や対談はいずれも社会科学の観点でのパンデミックの検証、そして危機への備えと学界の関わり方を考えさせる。他の社会科学の研究者にとっても大いに参考になるはずだ。まず、なにより政策過程への経済学者の関わり方の記録としての側面だ。
大竹論文「感染症対策における日本の経済学(者)」や田中・土居対談「コロナ対策の『事後検証』」などにおいて、前者ではどのようにコロナ対策に経済学者が要望され、関わるようになったのかというごく基本的な、しかしこれまで断片的にしか公開されてこなかった経緯が体系的に紹介されている。
後者においては、「会計検査院の視点」という、論壇誌や新聞などでもなかなか目にする機会の乏しい知見が披露される。
いわゆる「アベノマスク」政策が1000億円超の予算で投入され、笑うに笑えないかたちで国民に受け止められたことをそれなりに記憶されているかもしれない。
だが、そもそも事業者とのあいだに仕様書が存在せず、口頭のやり取りのみで製造され、問題が生じたときの瑕疵担保責任が不明確だったことから、不良品対応がなされないケースがあり、検品を厚労省自ら行うというような事実はほとんど認識されていないだろう。重要な指摘である。
「緊急事態」の一言では済まないと多くの国民は考えるのではないか。こうした事実はもっと広く知られるべきだ。
その他に、雇用対策(酒井論文、山本論文)、ゼロゼロ融資(植杉論文)、医療資源の分配(伊藤論文)が所収されている。取り上げられるのは、多くの人が当時、いちどは耳にしたであろう重要政策が中心だ。いずれの掘り下げも、学術のみならず政策に対する具体的示唆に富む。
雇用対策では、酒井論文は本来緊急避難的な性質が強い雇用調整助成金事業の期間の長さ、規模の妥当性等に異議を唱える。
リーマン・ショック後の雇用調整助成金の特例措置の分析が存在するにもかかわらず、コロナ対策でそのことが省みられた形跡が乏しいことを指摘する。今流行りのEBPMやデータに基づく政策の実現可能性に対しても重要な示唆を与えている。
植杉論文は、担保不要で金利ゼロの「ゼロゼロ融資」の効果を検討する。
当座の資金繰り支援に対する効果は評価できるが、業績改善や負債返済可能性には寄与しておらず、「ゾンビ企業」については「延命」に寄与した可能性を示唆する。そのうえで「負債リストラ」を通じた企業のパフォーマンス改善の受容性を提起している。いずれも説得的だ。
伊藤論文は医療資源の分配にアプローチする。病床確保料が病床は確保されたとしても、医療人材が確保できず、実際の診療数増に結びつかなかった可能性を示唆し、人材確保をしっかり抑えてはじめて現実的な受け入れ体制拡大を実現できることや、そもそも人材配置に関する情報を政策当局が持ちえていない現状などを批判する。
こうした論考を目にするとき、その他の問題を経済学でアプローチするとどのような分析と提案がなされるのだろうかと興味が湧く。特別定額給付金や「Go To トラベル」など、本特集で取り上げられていないが、コロナ危機で目にした諸政策が残っている。
筆者の専門に照らせば、政策過程がテレビでの話題やSNSなど「可視化された民意」に過度に影響を受けたのではないかという懸念(「耳を傾け過ぎる政府」(拙著『コロナ危機の社会学』等))や、政治日程や力学が緊急事態宣言をはじめとする諸政策の決定に与えた影響なども気になるところである(後者は最近、当事者らの手記や、政治学などで幾つかの研究が出始めている)。
コロナ危機に対する社会科学の知見の活用可能性に関する議論は経済学以外の分野でも活発化しつつある。それらの医療分野、政策実務を含めたネットワーク化も期待されるところである。
しかし、過去10年のあいだに日本では経済学を含む、社会科学系の博士課程進学者が半減している現実もある。そのなかでどれだけ新型コロナ対策をはじめとする社会科学における非伝統的分野を専門、あるいは副専門とするような人材が生まれているかといえば経済学においてさえ、いささか心許ないのではないか。
感染症対策、危機管理を専門とする医療関係以外の大学、研究職ポストも管見の限りではそれほど多くはない。
研究費の多くがテーマ(と予算の使途)が定められた競争的資金化し、大学における裁量的研究費が減じているというとき、急な危機を眼の前にしても研究者が対応できない、対応するための資源が乏しいという問題も残っている。
分野を越えた共同研究どころではないほどまでに、学問の基盤が弱まっているのが2020年代の日本の大学の現実でもある。
本特集は「経済学の女王」としての経済学の現時点の力強さと可能性を一般読者含めて、平易にまた説得的に示唆するとともに、前述のような諸課題を想起させる価値あるものといえる。読者諸兄姉に一読を勧めたい。
西田亮介(Ryosuke Nishida)
1983年京都生まれ。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学。立命館大大学院特別招聘准教授、東京工業大学大学マネジメントセンター准教授、同大学リベラルアーツ研究教育院准教授などを経て、現職。著書に『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)、『メディアと自民党』(角川書店)、『ネット選挙』(東洋経済新報社)ほか多数。
『アステイオン』101号
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
CCCメディアハウス[刊]
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