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週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった

ニューズウィーク日本版 2025年1月30日 16時18分

西谷 格
<中居正広・フジテレビ問題に関して、週刊文春が「訂正」を出した。「フジ社員の関与」の有無について誤りがあったというのだが、該当記事を丁寧に読むと、訂正を出すようなものではないと分かる>

中居正広・フジテレビ問題に関して週刊文春は28日、記事内容に誤りがあったとして「訂正」を出した。重要ポイントの一つであった「フジ社員の関与」の度合いが大きく後退し、SNSやワイドショーでは文春への非難が相次いだ。

私もこの場を借りて、文春の対応を強く批判したいと思う。それは、誤報を出したからではない。誤報ではないにも関わらず、訂正を出したからだ。文春は訂正を出す必要などなかった。以下、説明する。

決して断定はしていない

まず、文春が発表した訂正文を確認すると、このように書かれている(<>内は引用部分)。

<【訂正】本記事(12月26日発売号掲載)では事件当日の会食について「X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた」としていましたが、その後の取材により「X子さんは中居に誘われた」「A氏がセッティングしている会の"延長"と認識していた」ということがわかりました。お詫びして訂正いたします。また、続報の#2記事(1月8日発売号掲載)以降はその後の取材成果を踏まえた内容を報じています。>

訂正文では<『X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた』としていました>とあるが、該当記事(12月26日発売号掲載の記事)を何度読んでも、そこまで断定的には書かれていない。

記事ではまず、文春に先んじて第一報を報じた『女性セブン』を間接的に引用し、こう書いた。

<記事によると、2023年にX子さんは中居、フジテレビの編成幹部A氏と3人で会食する予定だったが、A氏がドタキャン。彼女と中居は2人で会食することになったが、そこでトラブルが発生。>

トラブルが起きた日の出来事を記しているが、ここでは会食について「A氏がX子さんを誘った」とは書かれていない。誰がX子さんを誘ったかは、これを読んだだけでは分からない。

別の段落では、X子さんの知人がこう証言している。

<「あの日、X子は中居さん、A氏を含めた大人数で食事をしようと誘われていました。多忙な日々に疲弊していた彼女は乗り気ではなかったのですが、『Aさんに言われたからには断れないよね』と、参加することにしたのです」>

<「飲み会の直前になって彼女と中居さんを除く全員が、なんとドタキャン。結局、密室で2人きりにさせられ、意に沿わない性的行為を受けた。『A氏に仕組まれた』と感じた彼女は、翌日、女性を含む3名のフジ幹部に"被害"を訴えているのです」(同前)>

これを読むと確かに(あっ、X子さんはAさんに誘われて中居の家に行ったっぽいぞ)と思ってしまう。だが、断定はできない。これらの文章から読み取れるのは、「『X子さんは会食にA氏から誘われたと認識していた』と知人が言っている」ということだ。

意図的に「誤認させた」可能性

少し話がややこしくなってきたので、例をあげて説明したい。これから述べるのは無根拠な憶測ではなく、現時点で報じられている内容に基づいた推測の一つである。

たとえば、中居正広とX子さんの間に、以下のようなやり取りがあった可能性が考えられる。やり取りは電話だったかもしれないし、LINE等だったかもしれない。中居正広本人ではなく、マネージャー等が連絡を取った可能性もある。あくまでも一例、一つの可能性としてお読み頂きたい。

中居「週末にAさんと一緒にみんなで飲み会やるんだけど、X子さんも来ませんか?」
X子「Aさんも来られるんですか?」
中居「うん、Aさんが『みんなで飲もうよ』って言ってて、X子さんにも是非来て欲しいんだって」
X子「分かりました。私も参加します」

そして、当日の集合時間直前に中居がX子さんに対して「ごめん、今日は大雨のせいでAさんは来られなくなったみたい」と伝えたとしたら、X子さんの脳内でA氏の立ち位置はどうなるだろう。(Aさんに騙された!)と思い込み、そう誤認してしまうのではないか。

このように中居がX子さんに嘘をつき、A氏が関与していると誤認させた可能性があると私は見ている。あるいは、ここまで露骨でなくても「いつも通りAさんのセッティングした会なのだろう」とX子さんが思い込み、中居も敢えて説明しなかったのかもしれない。

直近のバーベキューもA氏から誘われており、X子さんから見れば、中居とA氏は常にセットで動いている。実際、事案の発生した翌月には、入院中のX子さんのもとをA氏が訪れ、中居からの見舞い品を持ってきたという。

記事を読むと、A氏が会食をセッティングしたのではないかという疑惑を非常に強く感じる。恐らく、X子さんの頭のなかではそう認識されており、知人に対してもそのように話したのだろう。知人の話を聞いた文春記者も、その可能性が高いと考えたに違いない。

だが、記事を最初から最後まで何度読んでも、「A氏がX子さんを誘った」と明言する文章はない。書かれているのは、A氏の関与を強く疑わせる知人の証言だけだ。

そう考えると、文春の出した訂正文はまったく不正確であり、私から見れば「訂正の訂正」を出すべき事案と言える。

グレーを黒と決めつける人々

記事はあくまでも「フジ社員が関与している疑惑」を報じたに過ぎない。それを勝手に「フジ社員が関与していた!(断言)」と読み替えたのは、SNS上の人たちである。彼らは有料媒体である週刊文春に1円も金を払わず、タイムラインに流れてくる断片情報や伝聞、偏頗な見解や偽情報やらを適当にくっ付けて速断する。

ゆえに、文春記事をちゃんと読めば「疑惑レベル」と分かるものが、SNSの腐海に浸っていると分からなくなってしまう。こうして誤読する人々が一定量を越えて来ると、もはやSNS上では「フジ社員が会食をセッティングした! 文春にそう書いてある!」という極端化した言説が大勢を占めるようになる。

そうなるともう、該当記事は「フジ社員が関与したと書いてあるもの」として人々に認識されてしまう。断定などしていないのに、断定したと曲解されてしまう。ゆえに、曲解する人々に向けて訂正を出さねばならない事態となったのだ。すなわち、文春編集部はSNSにはびこる衆愚の餌食となったのである。「白」と「黒」の2パターンしか識別できない集団に、グレーのものを見せてはいけないのかもしれない。

飲食業界では「良い店は良い客が育てる」と言われるが、メディアも同じである。味も作法も分からないドケチな客が押し寄せてきたら、どんな良い店でもおかしくなる。変な食べ方をする人に向けて、不必要な注意書きを貼ることになるだろう。今般の文春の訂正騒動は、それと同じことではないだろうか。

訂正記事を出したきっかけは、橋下徹からの指摘だという。ネット世論を知悉する稀代の切れ者に訂正を出すべきだと滔々と迫られ、言いくるめられてしまったのかしらんと私は思っている。

「たかが」と「されど」の間

とはいえ、ここ数年は文春のイメージが異常なほど高止まりしており、今回の騒動は良い冷や水になったようにも思う。「もっと裏取りをしてから記事を出せ」と訳知り顔で批判する声も多いが、十分な裏取りをした信憑性の高い記事だけ読みたいという人は、週刊誌など読まないほうが良い。そういう方々には日本経済新聞や朝日新聞、読売新聞といった一般紙の定期購読を強くお勧めする。

ネットニュース全盛となった今、読み手のメディアリテラシーは恐ろしく低下している。リテラシーなんて言葉がなかった紙時代の読者のほうが、リテラシーは自然と保たれていたのではないか。

紙のスポーツ新聞で、あの巨大なド派手フォントで「ネッシー発見」と印字されたものを見ても、真に受ける人はほとんどいない。だが、同じ文言がネットニュースやSNS上で流れてくると、もう少し信憑性のあるような文字列となって液晶画面に出現する。「石破首相がASEAN首脳会議に出席」と「ネス湖でネッシー発見」が、まったく同じ体裁で流れてくるのだ。

これでは混乱するなというほうが無理がある。「俺は混乱なんかしてないぞ」と思っている人は、自分が混乱していることにすら気付いていないのだろう。

週刊誌も同じである。あのザラザラとした安っぽい再生紙にいささか下品で大袈裟なタイトルが特大フォントで踊っているからこそ、読者は(これ鵜呑みにしたらあかんわ)と分かる。

最近、文春は世の中からちょっと持ち上げられ過ぎて権威化しかけていた。文春砲は確かにすごい。でも、どこまで行っても文春は「たかが週刊誌」なのである。新聞の使命が「事実を伝える」ことにあるとしたら、週刊誌の使命は「話を伝える」ことにあると私は思っている。それは客観的事実というより主観的事実であり、ニュースであると同時に読み物であり、物語でもある。

それでもたまさか、新聞やテレビからは生まれないようなスクープや斬新な記事が飛び出すから不思議だ。それを雑誌ジャーナリズムと呼ぶのだろう。新聞と週刊誌は重なる部分も確かにあるが、根底に流れる思想が異なっている。両者を同じ態度で読んではいけない。

文春砲すごい! と手を叩いている人には「たかが週刊誌」、あんなの全部デタラメでしょと疑っている人には「されど週刊誌」という言葉を捧げたい。


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