冷泉彰彦
<この最悪のタイミングでガザ難民受け入れを表明すれば、アラブ圏全体を敵に回すことになる>
アメリカ現地時間の今週4日、イスラエルのネタニヤフ首相との首脳会談を終えたトランプ大統領は、突然、ガザ問題に関して提案を行いました。
「ガザはアメリカが長期領有する。領有にあたっては、必要に応じて米軍を投入する。占領の後、パレスチナ人は全員退去させ、その上で武器と瓦礫の除去を行う。ガザは『中東のリビエラ』つまりリゾート都市として再生させ、経済成長させる」
という驚愕の提案でした。直後から世界各国では、驚きとともに反対の声が多く上がっています。アメリカに近いサウジアラビアもそうですし、当事者となるガザの統治機構であるハマスも勿論、即座に反対を表明しました。
一夜明けた5日の午前7時過ぎには、長年中東における戦場記者として活躍してきたNBCのリチャード・エンゲル記者が、トランプの構想を強く批判していました。ですが、騒動はその辺りまでで、以降は報道が収束していきました。CNNやFOXなどのニュース専門局は、このニュース一色になるかと思うとそうではなく、他のニュースを中心に編成しており、まるで「ガザの米軍占領案」などなかった「かのように」振る舞っていました。
本来であれば、このトランプ発言は、「イスラエル=パレスチナの2カ国体制の終焉」を意味しますし、「アメリカの非介入主義」を転換することにもなるわけで、9.11同時多発テロ級のビッグニュースです。ですから9時半のNY市場の開場にあたっては、ダウが1000ドル以上暴落してもおかしくありません。ですが、市場は全く無反応でした。ダウは300ドル(0.7%)の値上がり、また原油は2%の下げとなったのです。
マーケットはひたすら様子見
保守系が多数の金融業界では、いくら「驚愕の提案」であってもトランプ発言を契機に株が下がっては、大統領の政策に不信任を突きつけるようで、そこには「忖度」があった、そんな印象もあります。ですが、巨大な株式市場や原油市場というのは、日々が真剣勝負であり大統領に遠慮して売買が決定されるようなものではありません。では、爆弾発言から一夜明けたアメリカでは何が起きているのかというと、ひたすら「様子見」ということだと思います。
あまりにも荒唐無稽、驚天動地の提案ですので、「大統領がどこまで本気なのか分からない」し、国際社会としても「正式な反応を保留している」、そんな判断が共有されています。問題の記者会見の際に、大真面目に喋っているトランプの横で、紛れもない当事者の一方であるイスラエルのネタニヤフ首相が「どこかニヤニヤ」した表情を浮かべていたのも気になります。そんな映像が国際社会に流れたことが、この提案全体への「リアクションを保留しておこう」という判断を招いている一因となっているのかもしれません。
それはともかく、表面的には市場もアメリカの政財界も、そして国際社会も「様子を見る」というスタンスで推移しています。異例の状況ですが、内容が重すぎるがゆえに、誰もがそのような態度を取らざるを得ないとも言えます。
そんな中で、石破首相が現地7日、つまり問題の会見の2日半後に首都ワシントンでトランプとの首脳会談に臨みます。最悪のタイミングと言ってもいいでしょう。様々な困難が予想されますが、最低限、石破首相が留意しなくてはならないのは、この中東の問題には一切言及しないということです。問題があまりにも大きく、そして流動的である中では、日米の会談には全く馴染みません。
実は、石破首相は「シリア難民の受け入れ事例」を参考にして、ガザ難民を医療と教育の分野で受け入れる検討をしていると発言しています。国会質疑で議事録にも残っていますから、これは消せません。公明党の岡本幹事長の質問への答弁ですから連立与党内で検討が進んでいたようです。
仮に、万が一、トランプにこの計画が「事前に漏れて」おり、今回の「ガザからの住民の全員退去」と結びつけて「受け入れ要請」がされた場合は、日本外交は行き詰まります。絶対に、このことを話題にしてはいけないと思います。
何故かというと、これは日本の国是の問題だからです。日本政府は国是としてイスラエル=パレスチナの2国家体制を支援してきました。承認も早かったですし、承認後はパレスチナを正式な国家として扱い首脳の相互訪問などを続けてきました。ですが、仮に今回のタイミングで「ガザ難民の受け入れ」の話をトランプと交わしてしまうと、2国家体制の否定を日本が追認しているという印象を与えます。
トランプ発言の直後であり、各国首脳からの明確な意思表示が揃う前に日本の首相が、たとえ100人だけでも「受け入れ」の相談を、トランプ本人と行うということは、これは非常に大きな意味を持ちます。最低でも、アラブ世界全体を敵に回すことになります。そうなれば、過去半世紀、日本の歴代政権が必死で守ってきた資源確保政策が完全に破綻します。
事態は全く流動的
では、イスラエルは歓迎してくれるかというと、これも疑わしいと思います。彼らにとっては半世紀前に日本発の凶悪な日本赤軍というテロ集団に攻撃されて多くの犠牲者を出した記憶は消えていません。ですから、今でも日本のパスポートはイスラエルでは「最も滑りの良い」扱いはされていません。そんな中で、日本がパレスチナ難民を受け入れるというのは、冷静に考えれば無害かもしれませんが、万が一ということを考えてしまう危険があります。イスラエルとの関係においても、日本として得することはないと思います。
アメリカの反応についても、非常に心配です。トランプ個人は、もしかしたら「有り難い、感謝する」などとリップサービスをしてくれるかもしれません。ですが、現在のアメリカを支配しているトランプ派の抱えている感情論、その深層心理はかなり異なっていると考えられます。
基本的に現在のアメリカ、特に保守派の感覚としては「ガザ難民への同情」はありません。そもそも、今回の騒動と並行して、アメリカは「国連人権委員会」から脱退し、国内では「国際開発局(USAID)」の廃止を進めています。そんな中で苦労して「難民受け入れ」を実行しても、全く感謝もされないし、むしろ「悪質なポリコレ」や「テロ支援」と言われる危険性すらあります。
石破首相としては、いやいやそれ以前の人道問題や、パレスチナとの信義で予定通り、教育と医療目的で100人前後の受け入れはやる、それが日本国の威信だというような姿勢があるのかもしれません。仮にそうだとしても、今週のタイミングでこの問題に言及するのは国家として自殺行為になります。
それ以前の問題として、国際社会や市場の反応がそうであったように、事態はあまりにも流動的であり、誰もが様子を見ている状況です。ですから、今回の首脳会談では、この話題はスルーの一択しかないと考えます。
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アメリカ現地時間の今週4日、イスラエルのネタニヤフ首相との首脳会談を終えたトランプ大統領は、突然、ガザ問題に関して提案を行いました。
「ガザはアメリカが長期領有する。領有にあたっては、必要に応じて米軍を投入する。占領の後、パレスチナ人は全員退去させ、その上で武器と瓦礫の除去を行う。ガザは『中東のリビエラ』つまりリゾート都市として再生させ、経済成長させる」
という驚愕の提案でした。直後から世界各国では、驚きとともに反対の声が多く上がっています。アメリカに近いサウジアラビアもそうですし、当事者となるガザの統治機構であるハマスも勿論、即座に反対を表明しました。
一夜明けた5日の午前7時過ぎには、長年中東における戦場記者として活躍してきたNBCのリチャード・エンゲル記者が、トランプの構想を強く批判していました。ですが、騒動はその辺りまでで、以降は報道が収束していきました。CNNやFOXなどのニュース専門局は、このニュース一色になるかと思うとそうではなく、他のニュースを中心に編成しており、まるで「ガザの米軍占領案」などなかった「かのように」振る舞っていました。
本来であれば、このトランプ発言は、「イスラエル=パレスチナの2カ国体制の終焉」を意味しますし、「アメリカの非介入主義」を転換することにもなるわけで、9.11同時多発テロ級のビッグニュースです。ですから9時半のNY市場の開場にあたっては、ダウが1000ドル以上暴落してもおかしくありません。ですが、市場は全く無反応でした。ダウは300ドル(0.7%)の値上がり、また原油は2%の下げとなったのです。
マーケットはひたすら様子見
保守系が多数の金融業界では、いくら「驚愕の提案」であってもトランプ発言を契機に株が下がっては、大統領の政策に不信任を突きつけるようで、そこには「忖度」があった、そんな印象もあります。ですが、巨大な株式市場や原油市場というのは、日々が真剣勝負であり大統領に遠慮して売買が決定されるようなものではありません。では、爆弾発言から一夜明けたアメリカでは何が起きているのかというと、ひたすら「様子見」ということだと思います。
あまりにも荒唐無稽、驚天動地の提案ですので、「大統領がどこまで本気なのか分からない」し、国際社会としても「正式な反応を保留している」、そんな判断が共有されています。問題の記者会見の際に、大真面目に喋っているトランプの横で、紛れもない当事者の一方であるイスラエルのネタニヤフ首相が「どこかニヤニヤ」した表情を浮かべていたのも気になります。そんな映像が国際社会に流れたことが、この提案全体への「リアクションを保留しておこう」という判断を招いている一因となっているのかもしれません。
それはともかく、表面的には市場もアメリカの政財界も、そして国際社会も「様子を見る」というスタンスで推移しています。異例の状況ですが、内容が重すぎるがゆえに、誰もがそのような態度を取らざるを得ないとも言えます。
そんな中で、石破首相が現地7日、つまり問題の会見の2日半後に首都ワシントンでトランプとの首脳会談に臨みます。最悪のタイミングと言ってもいいでしょう。様々な困難が予想されますが、最低限、石破首相が留意しなくてはならないのは、この中東の問題には一切言及しないということです。問題があまりにも大きく、そして流動的である中では、日米の会談には全く馴染みません。
実は、石破首相は「シリア難民の受け入れ事例」を参考にして、ガザ難民を医療と教育の分野で受け入れる検討をしていると発言しています。国会質疑で議事録にも残っていますから、これは消せません。公明党の岡本幹事長の質問への答弁ですから連立与党内で検討が進んでいたようです。
仮に、万が一、トランプにこの計画が「事前に漏れて」おり、今回の「ガザからの住民の全員退去」と結びつけて「受け入れ要請」がされた場合は、日本外交は行き詰まります。絶対に、このことを話題にしてはいけないと思います。
何故かというと、これは日本の国是の問題だからです。日本政府は国是としてイスラエル=パレスチナの2国家体制を支援してきました。承認も早かったですし、承認後はパレスチナを正式な国家として扱い首脳の相互訪問などを続けてきました。ですが、仮に今回のタイミングで「ガザ難民の受け入れ」の話をトランプと交わしてしまうと、2国家体制の否定を日本が追認しているという印象を与えます。
トランプ発言の直後であり、各国首脳からの明確な意思表示が揃う前に日本の首相が、たとえ100人だけでも「受け入れ」の相談を、トランプ本人と行うということは、これは非常に大きな意味を持ちます。最低でも、アラブ世界全体を敵に回すことになります。そうなれば、過去半世紀、日本の歴代政権が必死で守ってきた資源確保政策が完全に破綻します。
事態は全く流動的
では、イスラエルは歓迎してくれるかというと、これも疑わしいと思います。彼らにとっては半世紀前に日本発の凶悪な日本赤軍というテロ集団に攻撃されて多くの犠牲者を出した記憶は消えていません。ですから、今でも日本のパスポートはイスラエルでは「最も滑りの良い」扱いはされていません。そんな中で、日本がパレスチナ難民を受け入れるというのは、冷静に考えれば無害かもしれませんが、万が一ということを考えてしまう危険があります。イスラエルとの関係においても、日本として得することはないと思います。
アメリカの反応についても、非常に心配です。トランプ個人は、もしかしたら「有り難い、感謝する」などとリップサービスをしてくれるかもしれません。ですが、現在のアメリカを支配しているトランプ派の抱えている感情論、その深層心理はかなり異なっていると考えられます。
基本的に現在のアメリカ、特に保守派の感覚としては「ガザ難民への同情」はありません。そもそも、今回の騒動と並行して、アメリカは「国連人権委員会」から脱退し、国内では「国際開発局(USAID)」の廃止を進めています。そんな中で苦労して「難民受け入れ」を実行しても、全く感謝もされないし、むしろ「悪質なポリコレ」や「テロ支援」と言われる危険性すらあります。
石破首相としては、いやいやそれ以前の人道問題や、パレスチナとの信義で予定通り、教育と医療目的で100人前後の受け入れはやる、それが日本国の威信だというような姿勢があるのかもしれません。仮にそうだとしても、今週のタイミングでこの問題に言及するのは国家として自殺行為になります。
それ以前の問題として、国際社会や市場の反応がそうであったように、事態はあまりにも流動的であり、誰もが様子を見ている状況です。ですから、今回の首脳会談では、この話題はスルーの一択しかないと考えます。
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