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ウーマン村本大輔テレビから消えたが「スクリーンに出ました」米移住後きついのは「円安」

日刊スポーツ 2024年7月6日 16時10分

ウーマンラッシュアワー村本大輔(43)が6日、東京・ユーロスペースで、自身に密着したドキュメンタリー映画「アイアム・ア・コメディアン」(日向史有監督)初日舞台あいさつに、拠点を置く米ニューヨークから帰国して登壇した。劇中にも描かれるが、17年のインターネット番組「ABEMA Prime」出演以降、政治をネタに盛り込んだり政治的な発言をきっかけにネットで炎上し、テレビへの出演が激減しただけに、村本は「そんなネタして欲しくない、見たくないと言ってきたヤツに言いたい…スクリーンに出ました!」と胸を張った。

映画は、2013年(平25)「THE MANZAI」で優勝後、テレビの稼働が翌14年に130本、15年に200本、16年に250本と例年、200件前後で推移してきたが、コロナ禍の20年には、ついに1本と激減と、テレビに居場所を失った村本に、日向監督が19年から密着。劇場、ライブに活路を見いだし、スタンダップコメディーを追求する。本場アメリカへの武者修行、韓国での出会い、パンデミックの苦悩、知られざる家族との関係。世間から忘れ去られた芸人の真実を3年間、記録した。

村本は、移住後の現状について聞かれると「これにつきますよ、円安」と即答。「1年、予定していた貯金が4カ月で亡くなった。出稼ぎで帰ってきました」と言い、観客を笑わせた。その一方で「映画、ノーギャラですよね!?」と、今のところ、ギャラは受け取ってないと明らかにした。

映画は、撮影開始から3年後の22年に完成し、23年10月には東京国際映画祭で上映されたが、配給が決まらず、公開がずれ込んだ。日向監督は「テレビ企画として立ち上げたけれど、うまくいかず、どこに上げるか考え、試行錯誤してきました」と振り返った。村本も「テレビは受け入れてくれるところがなく、配給も見つからず…気持ち的に核のごみみたい…誰も受け入れてくれない。傷つく」と本音も口にした。

ただ日向監督にとって、村本に密着した3年は、充実していたと振り返った。「独演会に圧倒された。米国に行って…日本だと炎上芸人、反日左翼芸人とか、いろいろ言われているんですけど…お笑いに一途。いろいろやゆされたり、ラベリングされる中、一緒にニューヨークに行ったら楽しかった。タクシーのドライバーやレストランの人に、ネタ見せたり一途。楽しそうな姿…自分の未来にワクワクしている」と、お笑いへの村本のいちずな姿勢にほれたと強調。「日本でラベリングされることを超え、自分の価値は自分で決めるところにほれて密着した」と目を輝かせた。

村本は「(密着は約)4年ですからね…最初はカメラ、意識するけど3、4年たつと意識しなくなる。同い年でビール飲みながらカメラを回す、適当なところで楽になった。いいところ、撮ってもらったんじゃないですか?」と撮影を振り返った。一方で「僕は撮られている。牛が、自分の足を説明しているようなもの。監督のものなんで」と映画の評価などは言及しなかった。

村本は19年11月に、40歳の誕生日の20年11月25日をめどに、本格的に米国での活動を開始する意向を示していた。21年12月には、22年3月6日に「最後のライブ」を行うことを告知。「来年の3月末にニューヨークに移住します」と報告し「最後にきてください。いいライブします。おれにとって芸人とはなにか。ここでお見せします。」と公演への意欲をつづった。ただ、ビザの問題で延期が続いていた。23年11月18日、インスタグラムとX(旧ツイッター)を更新。「2年間待った!!!!!! とりあえず年末か来年から3年間!!ニューヨーク!!!」と米ニューヨークに移住すると報告した。またXでは「アーティストVISAとれた…2年待った…友達に性犯罪者みたいと言われた…」とビザの写真を引き合いにつづった。

この日は、スポーツ紙、週刊誌、ウェブメディアに加え、村本が居場所を失ったというテレビ局も、TBSとテレビ朝日が取材した。

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