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村本大輔「政治絡めバチンと受け、シンプルに面白いねと言われ気持ちいい」米お笑い大会初V裏側

日刊スポーツ 2024年7月6日 18時13分

ウーマンラッシュアワー村本大輔(43)が6日、東京・ユーロスペースで、自身に密着したドキュメンタリー映画「アイアム・ア・コメディアン」(日向史有監督)初日舞台あいさつに、拠点を置く米ニューヨークから帰国して登壇した。 村本は、米国に移住して以降の現状も語った。芸人がスタンダップコメディーなどを披露する、コメディークラブを毎晩、渡り歩き、ネタを披露しているという。「英語を始めて2年とかで舞台に立って、しゃべり方とか、まねしたり嫌なヤツもいるけど、そいつらからも笑いを取った」と、言葉の壁を逆手に笑いを取ったと振り返った。「片言の英語で『2年目の英語のヤツよりも、生まれ持ってしゃべれてる、お前の方が笑い取れないって、どういう気持ち?』とか言って、米国でも嫌われている」と笑い飛ばした。「言ってやりますよ。ケンカとか…悔しいし」と意地を見せつつも「笑いがブワーッとあった時とか一瞬、生かされるというか。言葉の壁が一番…なかなかね…毎晩、毎晩」と苦悩ものぞかせた。

米国のお笑いで発見があったかと聞かれると「芸人も芸人で、みんな、イスラエル、パレスチナ、バイデンだと、みんなネタにしている」と政治も、当たり前のように笑いのネタになっていると紹介。その一方で「俺なんか日本の漫才でネタにした時、あいつは思想家、活動家とか、偏りすぎとか色着けられる。米国では逆にやってない、考えを持っていないヤツの方が浮いていたりする」と、日本では、まだまだ政治を笑いのネタにする土壌、空気が醸成されていないと示唆した。

政治を笑いにできる米国を「楽しくて、楽しくて」と評しつつも「その代わり、米国の方が厳しい。お客さんからヤジ飛んで来るし…1歩でも、ジョークの線をギリギリ、超えたら『ブーッ』と」と、強烈なブーイングを浴びることも、しばしばだと明かした。一方で日本について「お客さんは礼儀正しいみたいなのがある」と評しつつも「家に帰ってネットに書き込むくらい」とチクリと口にした。

米国で、お笑いで初の受賞を経験したことにも話が及んだ。「おかしな話で、たまたまコメディークラブに誘われて出たら、50人くらい芸人がいて、1人1ドル払ったら1回、名前を書けてバケツに入れる、名前を書いた人が舞台に出てしゃべれる。10ドル払ったら10回、出られる可能性があるということ」と、コメディークラブでお笑いを競い合う場面に遭遇したと振り返った。「10ドル払って、名前を呼ばれて、大会と知らずにネタしたら、爆笑をとって、そこから『決勝だよ』って言われた」。村本によると、週に1回行われているお笑いの大会で、決勝の勝者がバケツにたまった芸人が払った出場料を総取りできるという。「最後にやったら優勝しちゃって、それが向こうに行って初めてのお金。それが賞みたいな話になって、受賞したと…一を、十にしたがるじゃないですか、米国での活躍を」と笑った。

一くだり説明した後、村本は「自分の笑いが、向こうで開始して2年で、しかも政治的なものを絡めたヤツがバチンと受けた。シンプルにコメディアンとして面白いねと言われたから、すごく気持ちいい場所」と笑みを浮かべた。檀上で、優勝ネタの披露をリクエストされたが「英語で本当はしゃべりたいけど、空港の保安検査場で単語(を書いた紙)を撮られた。(ネタは)ちょっと人種的なことだったり」と言い、客席を笑わせた。

また「路チュー」の概念が変わったと口にした。「家の通りが、みんなドラッグ、やりまくっていて、俺の地区、外でガチこれ」と言って、薬物を注射で腕に打つそぶりを見せた。そして「路チューし放題。米国に行って、路チューの意味が(路上駐車から路上注射)変わりましたもん」と言い放ち、笑った。

映画は、2013年(平25)「THE MANZAI」で優勝後、テレビの稼働が翌14年に130本、15年に200本、16年に250本と例年、200件前後で推移してきたが、17年のインターネット番組「ABEMA Prime」出演以降、政治をネタに盛り込んだり政治的な発言をきっかけにネットで炎上し、テレビへの出演が激減。コロナ禍の20年には、ついに1本と激減と、テレビに居場所を失った村本に、日向監督が19年から密着。劇場、ライブに活路を見いだし、スタンダップコメディーを追求する。本場アメリカへの武者修行、韓国での出会い、パンデミックの苦悩、知られざる家族との関係。世間から忘れ去られた芸人の真実を3年間、記録した。撮影開始から3年後の22年に完成し、23年10月には東京国際映画祭で上映されたが、配給が決まらず、公開がずれ込んだ。

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