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「出会い」を大切にした押阪忍さん「ベルトクイズQ&Q」ほか素人さん主役に話題次々/悼む

日刊スポーツ 2024年7月8日 20時50分

<悼む>

押阪忍さんが亡くなった。日刊スポーツも多くの記者が取材させていただいたが、私にとっては故郷・岡山の大先輩で、20代で初対面以来、よく声をかけてもらった。

実家の母親にそれを伝えたところ、折しも近所のホールで講演会が予定されていた。当日、母は手土産一つで、押阪さんの楽屋を訪ねると「よく来てくれました」と、歓待してくれたそうだ。かなりの母親の厚かましさに、恥ずかしい気持ちもあるが、何よりの親孝行になったことを思い出す。

そして、また、押阪さんもその日のことを忘れない。会社に電話してくれた時は「岡山出身の久我さんはいらっしゃいますか? フリーアナウンサーの押阪忍でございます。お母さんはお元気ですか?」と、あの美声で話しかけてくれた。

出会いを大事にする人だった。平日昼間のクイズ番組「ベルトクイズQ&Q」の回答者は、すべて一般人だった。夏休みは小学生大会が行われ、私も出てみたかったし、うらやましいことに、当者の兄弟は出演したと聞いている。現在、数少なくなったクイズ番組の回答者は、秀才タレントでいつも同じような顔触れ。番組やテレビの段取りはよく分かっている。それが、当時はひょっとしたら、テレビ出演など2度とないかもしれない「素人さん」をリラックスさせ、魅力を引き出す役割を押阪さんが担っていた。

「特ダネ登場!?」もラーマのCMの「奥さまインタビュー」も、すべて素人さんを主役に、次々に話題を引き出していった。特別おもしろいことを言うわけでも、強引に迫るわけではないのに、そのやりとりが印象に残った。

2021年の東京五輪を前にした企画インタビューで、アナウンサーの駆け出し時代の1964年の東京五輪でバレーボールの実況に携わった当時のことをうかがった。大会前、自ら女子バレーチームの練習に足を運び、「鬼」と呼ばれた大松監督にも食い込んだ。決勝戦の実況席で、与えられた役割は実況補佐だった。金メダルの瞬間、実況席でただ1人、客席で涙する大松監督の奥さんを発見して、実況アナウンサーにその様子をメモ書きして伝えたという。ご本人に聞けなかったのは残念なのだが、一般人を迎えた数々の番組やCMでも、恐らく準備や下調べは入念だったのだと思う。

「出会い」を大切にしたのは、一般の人々だけでなく、アナウンサー専門のプロダクションを設立して、多くの後輩たちを迎え入れた。そして、伝えたのは「美しい日本語」。早口でも特別なフレーズや主張があるわけではない。聞きやすくて、人にやさしい。

名司会者・押阪忍さんに出会えたことを誇りに思います。ありがとうございました。【特別編集委員・久我悟】

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