ひとごととして気楽に観(み)られる多くのアクション映画とは違い、まれに心の奥の暴力的衝動をジリジリと刺激される映画がある。
拳の痛みが伝わってきた「ファイト・クラブ」(99年)やトンカチの重さがズンと伝わった「オールド・ボーイ」が思い浮かぶ。
23日公開の「モンキーマン」で久々に同じような感覚を味わった。
「スラムドッグ$ミリオネア」(08年)のデブ・パテルが構想8年の末に初監督を務めた壮大な復讐(ふくしゅう)劇である。端正な顔立ちからは想像しにくい、すさまじい執念と容赦のない暴力をスクリーンに焼き付けている。
舞台はインドの架空都市。幼少時、権勢をふるう宗教団体に母を殺されたキッド(パテル)は、マスクをかぶってモンキーマンと名乗り、毎夜開催されるストリートファイトの殴られ屋として生計を立てている。
裏社会に接触しながら、復讐(ふくしゅう)の機会をうかがう彼は、ある日宗教団体本部への潜入方法を手に入れる。あまりにも強大な敵。不可能にも思える復讐に向けて、彼が秘めてきた恐ろしいほどの熱量が爆発して…。
インド神話の神猿ハマヌーンは、「西遊記」の孫悟空のモデルにもなったと言われ、今も民間信仰の「人気の神様」だという。自身のルーツのそんな空気を作品全体に漂わせ、パテルはモンキーマンことキットの神懸かったパワーに宗教的な裏打ちをする。
きらびやかな宮殿と壁一つ隔てた外側の荒廃-そんなインドの表裏を行き来しながら、キッドはすさまじい暴力で強大な敵への道をを切り開いていく。
よくあるキッチンでの格闘シーンも鈍い音が印象的でひと味もふた味も違う。とにかくアクションが濃い。「ジョン・ウィック」の製作チームが担当したそうだが、随所に本気ぶりがのぞく。パテルもほえる。怒りに震える。ちゅうちょのない殺意が怖い。
マーベル・コミックのように洗練されていない分、キットの傷の痛みや血なまぐさい描写がヒリヒリと伝わってきた。
プロデュースは「ゲット・アウト」のジョーダン・ピール。濃密な空気のまま進行する2時間1分。終映後に思わずため息が出る。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)