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永瀬正敏クランクイン前日に製作中止…雌伏27年「箱男」に万感、原作者生誕100周年で日の目

日刊スポーツ 2024年8月25日 8時0分

クランクイン前日に製作が中止となったドイツ・ハンブルクの、あの日から27年…。永瀬正敏(58)は「箱男」の映画化を、1度たりとも諦めたことはなかった。当時と変わらぬ石井岳龍監督(67)佐藤浩市(63)とのタッグに、浅野忠信(50)白本彩奈(22)と新たな血も加わった。原作者の芥川賞作家・安部公房さんの、生誕100年の節目に、ついに公開を迎え「今…だったんでしょうね」と、万感の思いを口にした。【村上幸将】

★「永瀬、デートしよう」

「箱男」は安部さんが1973年(昭48)に出版した小説が原作だ。石井監督が映画化を託された中、93年1月に、安部さんが急逝。永瀬と佐藤を主要キャストに日本・ドイツ合作映画として製作を進め、ハンブルクに大きなセットまで組んだ。ところが日本側で資金に問題が生じ、97年に製作は急きょ中止。その日のことは今も「色あせない」という。

「僕としては、箱男がドイツの街中のいろいろなところにいるというスチールから撮っていこうという、インだった。さぁ、出発するぞっていう時に監督が呼ばれて、ホテルのロビーのガラス越しに向こうに歩いていく姿が見え、プロデューサーから『今日で中止にします』と言われた。監督はうつむいて…すごい思いをされただろうというのは受けとった。後ろ姿は、一生忘れませんよ、僕は」

ドイツの製作スタッフが「さよならではなくて、みんなでまた会おう」と開いたパーティーの途中、永瀬は佐藤に「永瀬、デートしよう」と初めて誘われた。海辺を歩いて誰にも見えないところまで行き、交わした言葉は役者同士の、思いの確認作業だったのか…。

佐藤 お前、どうするんだ? 役者として俺は棺おけに入って、まさに、くぎを打とうとしている。

永瀬 僕は「箱男」をやりたい。石井監督とやりたいんで誰かがもし、くぎを打ったとしても、そこをぶち破って出て行きます。

佐藤 よし、分かった。

永瀬は27年前の出来事を昨日のことのように振り返り、自分なりに解釈した。

「お前が、そういうつもりであれば、俺も…という意味で、浩市さんに『分かった』と言ってもらえた。僕の中では、あんなデートは初めて。浩市さんに呼ばれることもなかったですから、重く受け止めました」

★「永瀬、諦めてないから」

誰より諦めない石井監督と、実現を信じ続けた。

「お会いする度に『永瀬、まだ諦めていないから』と言われていました。27年間、全く空白で再映画化、というのではなく実際に、もうちょっとで作れるというところまで行ったのも、何回かありましたし」

石井監督は約10年前に共同脚本の、いながききよたか氏に声をかけ再び脚本を書き始めた。永瀬は15年に映画「あん」(河瀬直美)が、ある視点部門に出品されたカンヌ映画祭(フランス)に参加。夜、酒を酌み交わす中、記者から「次、どの作品で来たいですか?」と聞かれると「作りたい映画があるんですよ。1回、つぶれた話だからなぁ」と、つぶやいた。最後まで作品名は口にしなかったが…胸の奥には常に「箱男」があった。

「簡単には言葉にできないものは、ありました。監督の思いも知っているし…及ばないかも知れないですけど『箱男』は僕の心の中に、常にあったと思いますね。このタイミングで映画化できたこと含め、物語が、すごくあるんですよ」

★今のSNS社会予見!?

では51年前に原作が書かれた「箱男」とは、どういう物語なのだろうか。永瀬は段ボールを頭からかぶり、のぞき窓から完全な匿名性の元で一方的に世界と人間をのぞき見る箱男と遭遇し、その1歩を踏み出すカメラマン“わたし”を演じた。

「遮断した世界の中で、匿名性の自由と言うんですか? 自分のアイデンティティーを手に入れているにもかかわらず、それとは逆に妄想や自分の存在証明をノートに書き残していく」

箱男の存在を乗っ取ろうとするニセ医者(浅野忠信)完全犯罪への利用をたくらむ軍医(佐藤浩市)誘惑する謎の女葉子(白本彩奈)が現れるたび“わたし”は揺らぐ。そこに永瀬は変わらぬ人間の本質を見る。

「出会ったものに対してのリアクションが人間っぽい。“わたし”が自分が本物の箱男だと信じこもうとして、揺れるのもキーポイントじゃないかな、と」

今、映画化できたからこそ、図らずも現代のSNS社会を予見したような作品だったことが分かった。

「僕たちは匿名性の中で生きているところがあって。監督と映画を作ろうとした27年前もそれ(SNS)はなかったですから。50年前の原作が今を予言している、予言書みたいなところもあり世の中が追いついてきた。驚きますよね。不思議な感覚がします。先見性も含め、安部さんの頭の中は、どうなっていたか…」

27年前の企画との違いは、どこにあるのか?

「監督は、娯楽にしてほしいと託された。今回の脚本を受けとった時、原作に寄り添った形に描かれていた。そこが一番、変わっているかも知れない。笑ってもらえるところ、重く受けとってもらえるところもある。安部さんも天国から『そういうことでしょ』と言われているんじゃないか」

★箱を脱ぐたび背中から

昨年5月のカンヌ映画祭で再始動が発表され、同6月にクランクイン。同7月に茨城県笠間市で行われた撮影が一部メディアに公開された。永瀬が箱を脱ぐたびに背中からは白いものが立ち上った。それは作品への執念だったのではないか。

「(箱男VSニセ箱男の)闘いのシーン。いろいろな複雑なものを持って現場に立って(箱を)かぶっていたような気もしますね」

安部さんと対面はかなわなかったが、インタビュー映像を役作りに生かした。

「ぼろぼろの箱をまとうシーンでブツブツブツブツ言っているのは、安部さんのインタビューから勝手に使わせてもらった。あまり分かるようにしゃべってはいないですけど。残った作品、語りから、いっぱいいただいて演じているところも実はあったりしますね」

2月に“因縁の地”ドイツのベルリン映画祭で世界初上映した際には、かけがえのない再会を果たした。

「ドイツのスタッフも見に来てくれた。現場にも、当時のスタッフが何人も参加していないのに陣中見舞いにいらっしゃった。思いは一緒だったのかな。特別な思いが詰まった作品になりました」

★映画愛を胸に突き進む

還暦まで、あと2年。映画愛を胸に突き進んでいく生き方は変えようがない。

「僕は、それしかないですね。いろいろなもの(作品、役)をもらえるような役者で、ずっといたいですけど…いらないと言われたら廃業ですから。(この先は)分からない。さらに頑張りたいと思うけれど」

先を考えるより、今は27年の愛を成就させた「箱男」とともに生きていたい。

「まぁ、見てほしいですね。どう感じたかを教えてほしい。世界に広がっていくと面白いですね」

俳優デビューから映画とともに歩き続けて41年…。そんな永瀬の瞳に、映画の神は、きっと恋している。

▼「箱男」で共演の佐藤浩市

27年前、僕はまだ37歳。ちょうど白夜の季節で21時、22時でもまだ明るい中で決して冷たくないビールを飲みながらドイツを感じていた。こういう形(27年前に製作が中断)で映画がなくなって、俺はもう、自分の役を棺おけに入れて埋めるよというニュアンスだった。でも永瀬さんは、まだ埋められないと。何となく、うれしくもあり、切なくもあり…というか「デート」じゃないって(笑い)。

◆永瀬正敏(ながせ・まさとし)

1966年(昭41)7月15日、宮崎県都城市生まれ。相米慎二監督の83年「ションベン・ライダー」のオーディションに合格し、映画出演は1本だけと両親と約束し俳優デビュー。カンヌ映画祭では15年「あん」、16年「パターソン」、17年「光」と3年連続で出演作が公式選出された初のアジア人俳優。

◆「箱男」

段ボールを頭からかぶり完全な孤立、孤独を得て社会のらせんから外れた箱男は、人間が望む最終形態。都市を徘徊(はいかい)する中、ワッペン乞食(渋川清彦)に襲われるなど、数々の試練と危険が続く険しい道のりの中“わたし”(永瀬正敏)は本物の箱男になれるのか。

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