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結成50周年「紙ふうせん」平山泰代「便せん13枚の手紙で『コンサート聴きに来て』」/連載2

日刊スポーツ 2024年10月16日 5時0分

「冬が来る前に」などで知られる美しい歌声の夫婦フォークデュオ、紙ふうせんが11月8日に東京・南青山マンダラで、デビュー50周年記念ライブ「紙ふうせん in MANDALA~懐かしい未来~」を開催する。結婚50周年、金婚式を迎えた後藤悦治郎(78)と平山泰代(77)に、その軌跡を聞いた。【小谷野俊哉】

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兵庫県立尼崎北高の同級生だった2人。大学は後藤は京都外大、平山は武庫川女子大と別れた。

後藤「フォークソングのクラブなんてなかったので、食堂というかカフェテラスにギターを持って行って、ピーター・ポール&マリー(PPM)できる子、おらへんかな、と。みんな集まってから、そんなにうまく弾けないんだけど、それで同好会作って本格的に始めました。僕はPPMが好きで、そのコピーバンドを作って一生懸命やりました。世の中はフォークフォークソングファンがいっぱいおった。GS(グループサウンズ)も流行(はや)ったけど、そっちには行かなかった」

平山「私は音楽の勉強がしたいなと思って、ポピュラー科とかない時代だったので、クラシックの声楽を勉強しに大学に通ってました。そこで再会というか、彼(後藤)から便せん13枚の手紙を頂きました。『大学に入って、一般教養の授業を受けても高校時代と変わらない。マラソンが体育訓練みたいなので、ずっと運動場を走ってたら、もうしんどくてしんどくて頭真っ白になりまして、その時に君の顔が浮かびました』って書いてありました」

そして、その13枚目だった。

平山「で、そんなことが12枚目まで書いてあって、13枚目には『つきましては、僕はフォークソングのコピーバンドをしてますので、コンサートをしますから聴きに来てください』ということで。招待券も1枚同付されていました。それがきっかけですね。大学2年の時だったと思います」

コンサートを見に行った平山はカルチャーショックを受けた。

平山「フォークソングのことを、それまではほとんど知らなかった。PPMのコピーバンドだったからPPMのナンバーばっかりやってたんですけど、その歌がすごいすてきなんですね。英語で歌ってても、なんか気持ちが入って来るということで、私も歌いたいなという気持ちが芽生えたんですよね。でもいきなり彼に私も歌いたいわって言えないから、彼からなんかアプローチがないかなと思ってたら、一緒に歌わない? っていうのが来たんですよ」

後藤「それで2人で歌い始めたんです。『竹田の子守唄』とか日本の伝承歌を歌う2人のグループを作ったんです。元々、PPMとかはフォークだから、日本だったら日本の伝承歌なものを掘り起こして行くみたいなね。アメリカの場合はウディ・ガスリーという人が、全米を回って拾い上げてきた、土地、土地の人たちが自分で作った歌がありました。PPMは、ボブ・ディランの曲を彼らなりに処理して、ヒット曲にする素晴らしい才能があった。そういう姿勢を見て僕もやりたいなと思った。だから日本に伝わっている歌を、自分たちなりに、今の人が聴いても納得できるような新しくよみがえらせたいなという願いはありました。PPMみたいに表現できたらなと常に思ってました」

(続く)

◆紙(かみ)ふうせん 後藤悦治郎(ごとう・えつじろう)は1946年(昭21)4月29日、兵庫県尼崎市生まれ。京都外大卒。平山泰代(ひらやま・やすよ)は47年3月28日、広島市生まれ。武庫川女大卒。兵庫県立尼崎北高の同級生。69年に5人組フォークグループ、赤い鳥を結成。71年に「竹田の子守唄」「翼をください」がヒット。74年5月に結婚。同年9月の解散後、2人で「紙ふうせん」結成。77年11月リリースの「冬が来る前に」がミリオンヒット。

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