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志穂美悦子「長渕の力を一切借りないで、どこまでやれるか」シャンソンに捧ぐ第2の青春

日刊スポーツ 2024年11月4日 7時50分

<情報最前線:エンタメ 音楽>

元俳優の志穂美悦子が6月に、シャンソン歌手・鬼無里(きなさ)まりとしてデビューした。

音楽家・長渕剛(68)と87年に結婚後、芸能界を引退し、家庭に入った。その後、長渕の事務所社長を務めるかたわら、独創的に花や木を生ける花創作家として活動してきた。いわば“裏方”の生活だったが、鬼無里まりとして表舞台に舞い戻った。復帰の動機や、レッスンを「週9日」行うという情熱の源、目標などを聞いた。【笹森文彦】

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「志穂美悦子が鬼無里まりとしてシャンソン歌手デビュー」は、5月中旬に明らかになった。日本初のアクション女優が引退から40年近い時を経て、表舞台に戻るのだ。すぐにラインや電話が殺到した。

志穂美 もう大変でした。(シャンソン歌手は)こっそり目指していたので。「なぜ?」「大丈夫?」の驚きに、「イヨッ、待ってました!」と喜んでくださる方もいました(笑い)。

音楽評論家で作詞家の湯川れい子氏は、志穂美が“お母さん”と呼ぶほどの旧知の仲。その湯川氏から、自ら提唱し、6月9日に開催する「エターナルソング」(永遠に歌われる歌)の発表会への出演を依頼されたのが発端だった。

志穂美 本当は発声やシャンソンの知識をもっと学び、しっかりと土台を作ってから(デビュー)と考えていたんです。湯川さんには(計画を)報告していたので、「出てくれるよね!」って。それで一気に動き出したんです。

シャンソンとはフランス語で歌の意味。かつてシャンソン歌手を目指す動機を「この年齢になると、いろんな経験をしてきました。その思いがまるで鉄砲水のように勢い良く飛び出してきた感じです。私は人生の最後にも青春があったなら…と思っていました。先を夢見て、毎日毎日アクションの練習をしていた、あの10代のころと似ています」と話した。

シャンソンは青春ど真ん中の時代から、志穂美のそばにあった。

20代前半から、東京・銀座にあったシャンソンの殿堂「銀巴里」に通った。知人が絶賛した金子由香利を聴いて、とりこになったからだ。家でかける音楽はシャンソン。打ち上げなどで歌う十八番は名曲「ろくでなし」だった。青春の輝きとほろ苦さの中に、シャンソンが寄り添っていた。

志穂美 シャンソンは何歳からでも歌える。時代を生き抜いて、乗り越えてきたからこそ歌えるものもある。例えば「乾杯」は(誰かが)いくら歌っても長渕剛です。「地上の星」は中島みゆきさんです。でもシャンソンは、歌う人それぞれの色になるんです。

引退後も映画出演などのオファーはあった。「俳優はやり尽くした」と断ってきた。家庭人、長渕の事務所社長、そして花が主人公の花創作家として、裏方に徹してきた。人生経験を積んだいま、鉄砲水のようにあふれ出た思いを表現し、あらためて青春を満喫するために選んだのが、シャンソンだった。

志穂美 最近は、レッスンを週9日やっているんです(笑い)。計算が合わないぐらいのシャンソン漬けの日々です。お風呂でも、犬の散歩でも、料理を作る時も、車の中は特にですね。多くのライブを見に行って、そこでピンと来る歌を探しています。

シャンソン研究のノートは何冊にもなった。俳優の時も筋トレノートを作った。書くことをいとわない。

志穂美 シャンソンって柔らかい響きですが、革命から湧き上がってくる、抑圧されたもののエネルギーみたいな歌が結構あるんです。私はそういう歌を歌いたいので、レジスタンス運動などの歴史や背景を調べて、ノートに書きます。あとは歌詞の意味とか。11月にパリに行って、実地検分してきます。

「赤いポスター」「なぜ私に愛を語らない」「遠い道」など、レパートリーは増え続けている。レコード会社からCD発売の誘いも来ている。

志穂美 もちろん記録として残し、配信もできればと思います。私としてはまだまだ進化するので、今後、タイミングが合えばと思っています。

歌うことは長渕の影響ではない、と断言する。ただ、音楽の最前線で命を懸けて歌い続ける長渕をずっと見てきたことは、財産であり宝と語る。

志穂美 長渕の力を一切借りないで、どこまでやれるかというのがあるので、中途半端なことはできない。音楽と真摯(しんし)に向き合わねばと思います。

関係者によると、長渕は「いろいろ苦労掛けたから、これからの人生は好きなことをやってほしい」と話しているという。

歌手名の「鬼無里」は長野県に実在する地名。鬼のいない里という響きに魅了され芸名にした。

志穂美 自分の残された時間を、歌を通して、愛と平和と自由のためにささげたい。愛とか平和を訴える式典で歌えるようになったら、本物かな。表舞台に戻りますが、先はまだ見ぬ自分なんです。そこに10代の自分と同じ挑戦魂と、ワクワク感がある。魂の叫びが「行け!」って言っているんです。

■鬼無里まり主なデビュー後の活動

▼6月9日 都内で開催された「エターナルソング・コンテスト」の授賞作品お披露目コンサートでデビュー。受賞作の「自惚れさせてよ」と「愛してくれるなら」を披露した。

▼7月14日 群馬・渋川市の日本シャンソン館で行われた「芦野宏生誕100周年記念コンサート」に特別ゲストとして出演。花創作家・志穂美悦子として記念の花も生けた。

▼9月17日 奈良・薬師寺の観月会で「愛は限りなく」「愛の讃歌」など5曲を献歌した。玄奘三蔵院伽藍(がらん)の特設ステージには、花創作家・志穂美悦子が献花した2作品が並べられ、その前で歌うという一人二役だった。

◆志穂美悦子(しほみ・えつこ)本名・長渕悦子。10月29日、岡山・西大寺市(現・岡山市)生まれ。

▼72年(昭47)10月 千葉真一さん主宰のジャパン・アクション・クラブ(JAC)に入会。後輩は真田広之。

▼73年5月 旧姓の塩見悦子名で映画デビュー。10月に志穂美悦子を芸名にする。

▼74年8月 映画「女必殺拳」で初主演。シリーズ化され、日本初のアクション女優の地位を確立。

▼77年 ブロマイド女性売り上げ1位。

▼78年10月 水谷豊主演の日本テレビ系学園ドラマ「熱中時代」にマドンナ教師役で出演し、最高視聴率は最終回に40%を記録。

▼85年2月 映画「上海バンスキング」(深作欣二監督)などの演技で、第8回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を獲得。

▼87年8月 前年に映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」などで共演した長渕剛と結婚、引退。

▼11年11月 東日本大震災の被災地支援のため、趣味で始めて撮りためていたフラワーアレンジメントの写真集を自費出版し全額を寄付。これを機に花創作家として活動。

▼14年3月 奈良・薬師寺の国宝・東院堂を5000本の花と流木で飾る「聖観世音菩薩に捧げる献花奉納」を行う。

▼24年6月 鬼無里まりの芸名でシャンソン歌手デビュー。

▼同年10月 長渕の事務所「オフィスレン」の代表取締役を退任。

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