山崎育三郎(38)が18日、都内で行われた文部科学省「Global×Innovation人材育成フォーラム」の「世界を舞台に! 留学全力応援イベント」に特別ゲストとして登壇。自身の米国への留学経験を明かし、そこで培い、今も生きる教訓として「怖いなら一歩を踏み出して欲しい。空気を読まず、自分がしたかったら突き進んで欲しい」と呼びかけた。
山崎は12歳だった1998年(平10)に、シンガー・ソングライター小椋佳(80)が企画・音楽を担当し、87年~08年まで上演されたジュニアミュージカルシリーズ「アルゴミュージカル」の「フラワー」でデビューした。ただ「15歳で変声期を迎え、歌えなくなり、主演したミュージカルのオーディションにも落ち…1度、ミュージカルから離れようと思った」ことをきっかけに、兄2人が留学したこともあり、留学を決意した。
兄から「都会に行くな。田舎に行け。都会には日本人が多く、寂しいからと集まる。1年間、日本語を使わないように」とアドバイスを受け、米ミズーリ州に留学。留学先のノースカントリー・ハイスクールは「学生2000人のうち、アジア人は僕1人」だったという。英語は元々、苦手で、苦手なまま飛び込んでいったという。当初は「ひどいことも言われた。廊下を歩く度に、怖かった…3カ月、友達ができなかった」と苦戦した。
ただ「自分が変わらないと、この環境は変わらないと…」と、学校のダンスパーティーに行き、500人くらいいた輪の中心に飛び込み、それまで日本で培ったミュージカルの経験を生かし「1曲、まるまる涙ながらに踊った」という。すると、次の日には「(クラスメートに)ハグされ『お前、最高らしいな』と…留学生活が変わった」と周囲の評価が激変したという。
留学を考えている高校生や保護者を前に、山崎は「怖いな、苦しいな…と思った時に入ってみた景色が今のベースにある。殻を破る時間になった。苦手を乗り越えるきっかけは、たくさんあった」と留学の意義を強調。「12歳からミュージカルしかやらないと決めていたけれど、ミュージカルを広めたいと29歳で初めてメディアに出た。朝ドラに出させていただいたり、大河ドラマに出させていただき、ミュージカルの壁が崩れた。あの時の経験があったから僕自身。変わることができた」と訴えた。
その上で「やっぱり、ちょっと怖いなとか、不安を感じるところにしか大きいことはない。自分で物事を考え、決意することを、たくさん感じて欲しい。一歩、踏み出して欲しい。僕は、怖い物を探しているところがある」と断言した。