石原裕次郎さんの生誕90周年特別企画として、裕次郎さんが三船敏郎さんと共同製作し、初共演&ダブル主演した1968年(昭43)公開の映画「黒部の太陽」(熊井啓監督)の上映が、21日午前11時から東京・丸の内ピカデリーで1回限りで行われる。
「黒部の太陽」は、裕次郎さんの石原プロモーション(現石原音楽出版社)と三船プロダクションが共同製作。56年から63年まで行われた黒部川第四発電所(黒四ダム)工事、中でも関西電力大町トンネル工事の難関だった軟弱地層・破砕帯を突破する7カ月の困難とそれを乗り越える人間の強さを描いた。
当時は俳優、監督の引き抜き、貸し出しを禁じた「五社協定」全盛で、映画各社から協力も得られない苦境を乗り越え、67年7月にクランクインしたが、9月30日の愛知・豊川ロケで濁流の場面を撮影した際に事故が発生。裕次郎さんは右手親指骨折と全身打撲の重傷を負ったことが伝説的に広く知られている。
カラー映画1本の製作費が3000万円弱だった当時、13本分の3億8900万円をかけた。大ヒットし、当時史上最高の733万7000人の観客を動員し興収16億円(現在の約72億円相当)を記録した。
ノーカット版は3時間15分の大作で「映画は大きなスクリーンで見てほしい」という裕次郎さんの願いから、DVDやブルーレイといったパッケージ化もされない幻の作品だった。08年9月に大阪で舞台化された際と、09年に舞台となった富山県黒部市でしか上映されてこなかった。
12年には、前年11年に発生した東日本大震災の復興支援を目的に「『裕次郎の夢』プロジェクト」と題して全国縦断チャリティー上映会が開催された。全国のケーブルテレビ局を通じ団体、個人に上映を呼びかけ、東京国際フォーラムで12年3月23日に「黒部の太陽」、同24日に「栄光への5000キロ」ノーカット版をプレミア上映後、この2本の上映の申し出があれば映画館はもちろん、地区の公民館などでも上映OKという“地域密着&全国出前上映”を展開。上映回数は同年末までに157回に達し、13年3月には諸経費を引いた収益と募金、合わせて5562万1739円を、現石原音楽出版社取締役名誉会長の石原まき子さんが日本赤十字社に寄付した。一般上映の実現は、44年ぶりだった。
今回は、その完全版を上映する。映画が大好きだった裕次郎さんの生誕90年の節目に、68年に日劇で公開された作品を現在、同じ場所にある丸の内ピカデリーで上映する歴史的上映となる。関係者は、「『黒部の太陽』を、また映画館でご覧いただくことは、ファンの皆さまにとって非常に喜ばしいことだと思います」とコメントした。
また、石原裕次郎生誕90周年特別企画として、22年3月に開局したBS松竹東急で「黒部の太陽」のほか、69年「栄光への5000キロ」70年「富士山頂」「ある兵士の賭け」71年「甦える大地」の合計5作品を、12月17日から史上初となる5夜連続一挙放送(午後8時、21日のみ午後9時)する。丸の内ピカデリーでの上映は、その放送を記念しての企画となる。5作品は、13年に石原プロ創立50周年記念事業の一環として、保管していたネガフィルムをデジタル化し、撮影を担当した金宇満司さんの監修の下、映像と音をハイビジョン化した上で、初めてDVD&ブルーレイ化され、同3月に発売された。
21日に「黒部の太陽」が上映される丸の内ピカデリーには、BS松竹東急の特集放送に際して石原まき子さんが寄せた直筆の手紙が掲出される。日本映画史にさんぜんと輝く「黒部の太陽」と、まき子さんの貴重な手紙を目の当たりにすることができる、またとない機会になりそうだ。