日本歌手協会の会員でビクター専属の最古参歌手、三浦洸一(みうら・こういち、本名桑田利康=くわた・としやす)さんが、11日午前6時23分、都内の病院で老衰のため亡くなった。97才。日本歌手協会が21日、発表した。
通夜は18日、告別式は19日に、遺族の意向により、家族葬として終えられた。
戒名は宝洸院釋浄響居士。喪主は妻・節子(せつこ)さん。
三浦さんは浄土真宗本願寺派最福寺の三男として生まれ、幼少期より読経を学び、戦後、東洋音楽学校(現東京音楽大学)に進学。その後、日本ビクターレコードに入社し、作曲家の吉田正さんに師事。1953年5月「さすらいの恋唄」でデビュー。同年9月発売の「落葉しぐれ」が大ヒットした。
その後も「弁天小僧」「東京の人」「踊子」とヒットを連発。春日八郎さん、三橋美智也さん(ともに故人)と「御三家」と呼ばれた時代もあった。
同協会によると、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」も、最初は三浦さんのために作曲されたものだったといい、「地方公演が重なりスケジュールがとれず、代わりにフランク(永井)が歌唱、代表曲に育てました」と説明した。
55年の「第6回紅白歌合戦」から63年まで連続出場。昭和20年代から活躍し、昭和40年代に「なつメロブーム」が訪れると再び注目され、平成の時代まで「なつメロ番組」には欠かせない人気歌手として名が知られた。
日本歌手協会には設立時から入会。04年まで理事や監事を歴任した。
歌手活動以外にも、83年には「笑っていいとも!」に出演するなど、多彩な活動でも知られた。
00年「日本レコード大賞 功労賞」、21年「日本歌手協会 功労賞」なども受賞。11年、歌手協会主催の「東日本大震災被災地支援チャリティーライブ」、12年にも「靖國神社みたままつり 奉納特別公演」に出演したが、これ最後に表舞台から遠ざかっていた。
同協会によると、晩年は「悠々自適の生活を送っていましたが、1年半ほど前から都内の病院に入院」していたという。