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中村勘九郎(43)が「猿若祭二月大歌舞伎」(2月2~25日、東京・歌舞伎座)で、蔦屋重三郎を描いた「きらら浮世伝」に出演する。12年に亡くなった父中村勘三郎さん(当時勘九郎)が37年前に主演した同名舞台の歌舞伎化。勘三郎さんと舞台をつくり当時の脚本を手がけ、今回演出も担う横内謙介さんとこのほど取材に応じた。【小林千穂】
★タイミングに恵まれ
1988年(昭63)に銀座セゾン劇場で、勘三郎さん主演で上演された「きらら浮世伝」。出版人で多くの絵師を見いだした蔦屋重三郎を描いた。22年前に1度上演されたが、ほぼ、まぼろしと言える舞台だ。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で蔦屋重三郎が注目されたこともあり、歌舞伎化が実現。タイミングに恵まれたが、勘九郎にとって蔦屋重三郎はいつか演じてみたい人物だった。
「とてもパワフルで、頭がいい人。刷り物が好きで、才能を見つけ、磨いて、ヒット作を生み出した名プロデューサーだったと思います。父とかぶる部分もあります。父もいろんな企画を立ち上げ、出演俳優を決めたり、この時期にこういうのをやって…と決めて成功した人。根本には歌舞伎が大好きだっていう力があるので、とても似ていると思います」
勘九郎、弟七之助をはじめ、出演者は1月は軒並み各劇場に出演中。稽古時間も限られているが、日に日に手応えを感じている。
「立ち稽古の初日に、音楽が入っていたので、エンジンをかけるきっかけになりました。若い勢いもありますし、(中村)芝翫のおじ、(中村)歌六のおじさまが出てくださることで、きゅっと締まる。これが歌舞伎なのかなという感じがありますね」
★「べらぼう」も参考
放送中の「べらぼう」も“参考に”なるという。
「もちろん、見てます! 細かい情報が入ってくるので、せりふもちょいちょい増えたりしてます(笑い)」
「猿若祭」は、1624年(寛永元)2月に、初代猿若(中村)勘三郎が江戸で初めて歌舞伎興行を創始したことを記念した興行。今回で6回目、2年連続での開催は初めてだ。今年をきっかけに「猿若祭」の定着も目指す。
「猿若勘三郎さんは座元でプロデューサーなわけですから、『猿若祭』と付けた興行は、自分が出てようが出てまいが、おもしろそうだと食指が動くものは積極的にやっていきたいです」
▼88年3月初演の「きらら浮世伝」 前年に開業した東京・銀座セゾン劇場で上演された。蔦屋重三郎に勘三郎さん、遊女お篠は美保純、恋川春町は川谷拓三さんが演じた。喜多川歌麿、葛飾北斎、滝沢馬琴、十返舎一九ら、多くの文化人が登場した。タイトルの「きらら」は、蔦屋が世に送り出した謎の絵師である写楽が浮世絵の背景に好んで使った「黒雲母(きらら)摺」から連想された。
■演出横内謙介氏は勘三郎さん姿重ね「涙こらえるのに必死」
横内謙介さんは、初演の「きらら浮世伝」の脚本を手がけた。映画やドラマで活躍していた河合義隆さん(90年死去)が演出し、勘三郎さんはじめ、熱い舞台が話題になった。歌舞伎俳優が大劇場以外に出演するのも異例だった。
再演の話は何度かあったそうだが「37年前以上にはならないと、一生懸命とぼけてました」と言う。大事な作品という以上の思いがある。「当時一緒にやってた人たちとはほとんど会えなくなっちゃった。僕にとってあの作品がなかったら今ここにはいないし、作家としての成長もない。歌舞伎俳優のすごさも思い知りました。価値観が全部変わったんです」と話し、その後歌舞伎に関わるきっかけにもなったとした。
今回、歌舞伎座で勘九郎がと聞き、横内さんは「頭を下げてでもやってもらおうと思いました」と振り返った。稽古では、勘九郎に勘三郎さんの姿を重ねることもしばしばで「涙をこらえるのに必死。感情がこんなになっちゃって」と、手でアップダウンする様子を示した。さらに横内さんは「驚くべく2役があるんです。ぜひ見逃さずに」とにんまりした。