中大法科大学院教授で弁護士の野村修也氏(62)が1日、ABCテレビ「教えて!ニュースライブ 正義のミカタ」(土曜午前9時30分=関西ローカル)に生出演。フジサンケイグループ代表、フジテレビ取締役相談役の日枝久氏(87)が持つ甚大な影響力の背景、経緯を解説した。
中居正広氏(52)の女性トラブルに関連したフジテレビの疑惑、異例の長時間会見、週刊文春の訂正記事などがテーマに上がり、野村氏は、フジテレビの行く先に「注目は6月総会、どうなる日枝氏」と返した。
フジが開いた会見でも再三にわたり、日枝氏の責を問う声が出たが、その日枝氏は、早大を卒業後の61年にフジテレビ入社。80年に40歳で編成局長、88年に50歳で社長に就いている。
野村氏は「フジテレビって、あんまり自分の会社の歴史を語りたくないんですよね。いろんな人たちがクーデターを繰り返してきたんですね」と言い、話を続けていった。
鹿内信隆氏、長男春雄氏のラインで、日枝氏は抜てきされたと説明。その日枝氏は入社後、報道部で活躍も、労組の結成に携わり異動していた。
野村氏は「もともとは、ニッポン放送がフジテレビを作ってきた。最初の鹿内さん(信隆氏)の息子さん(春雄氏)が『楽しくなければテレビじゃない』を作った方。人望もあったんですが、若くしてお亡くなりになった。その後、もう1回、お父さんが復活したんですけど、すぐに亡くなっちゃったんで、娘婿として外部から迎えた人、鹿内宏明氏がトップに就いた」。
宏明氏については「この人はインテリで、今で言えばコンプラ意識が高くて。でも、やっぱり『楽しくなければ-』と言う人たちは、水と油。合わないですよね」と経緯を伝えた。
日枝氏については「最初にお父さん(信隆氏)が(日枝氏を)『いい』と。労働組合で人望のある人だから目をつけた。そして、息子さん(春雄氏)が。『楽しくなければ-』って言って、その人が抜てき」と、鹿内氏との関係性も詳しく伝えた。
ところが、両氏が亡くなった後に風向きが変わった。「鹿内さんの娘婿の方が出てきた時に、やっぱりちょっと違う-となった」。結果として、日枝氏の時代にフジテレビは台場に大きな局舎を建て、ニッポン放送、鹿内氏の株保有比率が下がり、日枝氏が“今のフジテレビ”を作った格好になった。
野村氏は、その後も続いてきた日枝氏の体制に「中には50年以上、企業トップにいる人もいる。でも、たいていは創業者か大株主です。日枝さんは、サラリーマン。サラリーマンのトップがこんなに長くやることはないですよ」と語った。
これに、ジャーナリストの青山和弘氏は「僕がフジテレビの入社試験を受けた時、日枝さんでした。その時からずっといるって、異常ですよね」と吐露。その上で「でも、日枝さんがいなくなると、誰も仕切れないって声もある。今回、(日枝氏は、現在、フジの)業務執行してないという意見もありますけど、でも、今の状況そのものが不健全だという声もある。これが会社の体質だとすれば、日枝さんの責任でもある」と指摘していた。