12月にノルウェーで開かれた、ノーベル平和賞の授賞式に出席した日本被団協、日本原水爆被害者団体協議会の代表理事・本間恵美子さんが12月27日に松江市長に受賞を報告しました。
27日、島根県松江市の上定市長を訪ねたのは、松江市の日本被団協、日本原水爆被害者団体協議会の代表理事・本間恵美子さん(74)と、「島根県被爆二世の会」の会員5人です。
日本時間の12月10日の夜ー。
日本被団協 田中熙巳 代表委員
「核兵器は、一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いであります」
ノルウェーの首都・オスロで行われたノーベル平和賞の授賞式。日本被団協の代表委員で長崎の原爆被爆者でもある田中熙巳さんがスピーチを行い、核兵器の廃絶を世界に向けて訴えました。
被団協の代表団の一人、本間恵美子さんは今年6月から中国ブロックの代表理事を務め、授賞式に代表団として参加。本間さんは、上定市長に授賞式の様子を話し、街やホテルなどに平和を祈る折り鶴が飾られていたことなどを伝えました。
本間恵美子さん
「 証言活動を世界へ広めたということで、いろんな所のそういう活動が積もり積もって世界へ発信ということで、今後より大事にしていかなくてはいけない」
本間さんは、被爆2世。本間さんの母親は広島に投下された原爆で被爆しましたが、娘の本間さんにその体験を話すことはほとんどなかったといいます。
本間恵美子さん
「慰霊式典がテレビで流れると、(母はテレビを)切ってちょうだい消してちょうだいっていう。そこまで言うのかなって思ったことがありまして」
実際に被爆した人の中には、悲惨な体験を思い出すのもつらく当時のことを話せない人も多く、戦争の記憶が薄れていくことが懸念されています。
本間さんとともに松江市長を訪ねたのは、松江市の角エミコさん(91)。小学校6年生の時に広島市西区で被爆しました。何が起こったのかを後世に伝えていくため、当時の様子やその後の人生を手記にまとめ、小学校で講演するなど、戦争証言の継承に力を入れています。
手記を受け取った上定市長は、戦争の体験談を風化させてはならないと強調し被爆者や2世の活動に感謝の意を示しました
本間恵美子さん
「被爆者のみなさんが、こういう努力を重ねて証言活動をなさっている。その上にいただいた賞でもありますし、だんだん高齢化をしていらっしゃいますので、今のうちに、やがてではなくて今のうちにお聞きしておくことが大事だと思います」
来年は、戦後80年。日本被団協や島根県被爆二世の会では、原爆の悲惨さを伝えるパネル展を開くなど、今後も平和の尊さを後世へとつなげる活動を続けていくということです。
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