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迷子になった自閉症の息子が「永遠に見つからなければいいのに」 “障害児は天使”と励まされる親の苦しみ

オトナンサー 2024年8月12日 7時10分

 子育て本著者・講演家である私の息子は23歳で、知的障害を伴う自閉症です。幼い頃の息子はこだわりが強く、それが通らないとパニックになり、暴れ、自傷行為をし、私は疲労困憊(こんぱい)状態でした。

 障害のある子どもに対して、「こういう子って天使だよね」と言う人がいます。私は息子を育てながら、決して“天使”とは思えませんでした。

 あるとき、息子が街中で迷子になったことがあります。私は息子を必死で探しながら、心のどこかで「永遠に見つからなければいいのに」とつぶやいていました。「ひどい母親だ」と責める人もいるかもしれませんが、そのときの私の心は自然に、瞬間的にそう思ってしまったのです。

 障害児を育てている親に対して、「神様が与えてくれた天使」「親を選んでやってきた」と励ます人がいます。しかし、受け止める側は内心「選ばれたくなんかなかった」と思っていることもあります。

■たとえ励ますつもりであったとしても

 障害児ではなく、定型発達の子を育てていても、子育てに対する考え方の違いから、家庭内でもめている夫婦もいます。

 例えば、母親は「食事の前にお菓子を食べてはダメ」「ゲームは一日1時間だけ」と厳しくしているのに、父親が食事前にお菓子を与えたり、「好きなだけゲームしていいよ」と言ったりすることで、子どもがダブルバインド状態に陥り、相手を見て態度を変えるようになる……そうしたことがきっかけで、夫婦間でいさかいが絶えなくなるケースもあるのです。

 もし、わが子が発達障害だった場合、こうした子育てやしつけの方針だけではなく、「子どもの障害を認めるか、認めないか」で意見が対立するケースもあります。母親は障害を受け入れ、療育手帳を取ったり、療育を受けさせたりしたいのに、父親が「こんな小さいうちから障害児のレッテルを貼る気か! 伸びるものも伸びなくなる!」と拒否したり、小学校の進学先を通常級にするか、支援級にするかで言い争ったりすると、定型発達児の子育て以上に、夫婦間に溝ができるケースもあるでしょう。

 家庭内でそうした状況に陥っているときに、「こういう子って天使だよね」と言われたら、とても嫌な気持ちになります。

「障害のある子の存在が、家族の絆となる」。そんなテーマが時々テレビで取り上げられ、“美談”とか“感動ポルノ”とやゆされることがあります。そうした家族も確かに存在するのでしょうが、子どもの障害によって夫婦間に溝ができ、離婚に至るケース、また“育てにくい子”として虐待に発展しているケースもあります。「発達障害児が虐待を受けているケースは、定型発達児の4倍」というデータもあるようです。

 そのため、「こういう子ってピュアだよね」「天使だよね」「秘めた才能があるよね」などと言わないでほしい……そう思う親御さんもいます。たとえ励ますつもりであったとしても、です。

■障害児は「秀でた才能を生かさなきゃいけない」のか

 さらに、中には「障害も個性の一つだよね」と励ます人もいます。そもそも障害は生まれもったものであり、染色体異常や脳の機能障害といったことが原因です。性格や個性というものは障害の上に、育った家庭環境や幼稚園、保育園、学校環境、友人関係などが複雑に影響してつくられていきます。

 私の周りには、素直なダウン症児も、自閉傾向が強いダウン症児も、いじわるなダウン症児もいます。障害が同じであっても、性格や個性はその子によってさまざまなのです。

 同じように「秘めた才能があるから、そこを伸ばしてみたら?」も、よく言われる言葉です。言葉をかけた人は勇気づけようと、よかれと思って言っていると思うのですが、こう言われたことから“療育の鬼”と化し、“才能探し”の旅に出たり、“才能の温泉掘り”に走ってしまったりする親御さんもいます。そういうときの親の顔は“眉間にシワ”の怖い顔になっていたり、子どもが思い通りにならないと残念な悲しそうな顔になっていたりするものです。

 また、「才能を生かした職業に就いたら?」と励まされ、「今から職業のことも心配しなくてはならないのか!」と感じ、そのプレッシャーに押しつぶされている親御さんも少なからずいます。定型発達の人であっても、才能を生かして自立し、職業に生かせている人はほんの一握り。「障害がある子は、何か秀でた才能を生かさなきゃいけない」と思う必要はないのではないかと、私は思います。

 障害がある子を育てる私の友人が、こう言っていました。

「ちゃんとトイレに行けるようになったとか、偏食が減ったとか、目的地まで歩けるようになったとか、靴をそろえたとか、脱いだものをちゃんと洗濯かごに入れたとか、そんなことを喜んで、育てて、暮らしてきました。

絵も描けません。字も書けません。すごい暗記力もありません。スポーツもできません。テレビ番組にも、パラリンピックにも、スペシャルオリンピックにも出られません。ごく普通の障害児です。それでも、あなたがいてよかった。あなたでよかった」

“子どもを受け入れる”とは、たとえ秀でた才能がなくても、わが子の今の状態、存在そのものを受け止めることだと思います。

「障害児は、親を選んでやってきた天使」。相手を励ましたいという気持ちにうそはなくても、相手にとってはつらい言葉になっていることもあります。皆さんはどう思いますか。

子育て本著者・講演家 立石美津子

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