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健常児と交流させたい…“自閉症児”と母、小学校へ 「なんで話せないの?」の問いに感じた、子どもたちの“成長”

オトナンサー 2024年9月14日 7時10分

 ライター、イラストレーターとして活動するべっこうあめアマミさんは、知的障害を伴う自閉症がある9歳の息子と、きょうだい児(障害や病気を持つ兄弟姉妹がいる子ども)の5歳の娘を育てながら、発達障害や障害児育児に関する記事を執筆しています。

 皆さんは、「副籍制度」(副籍交流)を知っていますか。これは、特別支援学校に通う子どもが、地域の小学校の子どもたちと交流する制度で、地域社会で自分たちの存在を知ってもらうのによい機会になります。今回は、アマミさんが副籍制度について、自身の息子の体験を基にお伝えします。

■息子は2つの学校に籍がある

 私の息子には、重度知的障害を伴う自閉症があり、特別支援学校に通っています。そんな息子の普段の居場所は知的障害の特別支援学校ですが、実は、彼にはもう一つの籍があるのです。

 東京都では、特別支援学校に通う子どもが地域の小学校の普通級にも籍を持つ、「副籍制度」という制度があります。この制度を利用し、息子は家から歩いて5分程度のところにある、地域の小学校にも籍を持っているのです。

 副籍制度には、直接、学校には行かずにおたよりの交換や制作物の共有などのみをする間接交流と、実際に子どもが地域の学校に行って交流する直接交流があります。

 息子は2年生と3年生のときに、直接交流として何度か小学校に足を運びました。私たちが副籍制度を利用したのは、息子には特別支援学校に行っても、障害がない健常の子どもたちとの交流を通じ、地域とのつながりをできる限り持ち続けてほしいという思いがあったからです。入学時から制度を利用するつもりでしたが、息子が1年生のときはコロナ禍で直接交流ができませんでした。

 特別支援学校の入学前、息子は障害のある子や発達の遅れが気になる子を支援する「加配」の先生が付く形で普通の幼稚園に通っており、健常の子どもたちと時間を共にすることは、初めてのことではありませんでした。

 そのため、私は副籍制度に緊張しながらも、ある程度は子どもたちの様子も予想できているつもりでした。

 しかし、小学生になった子どもたちの息子に対する反応は、幼稚園時代と比べると、少し違うものがあったのです。

■話すことができない息子に対する子どもたちの反応は?

 息子の直接交流は、帰りの会での短時間の交流から始まりました。事前の打ち合わせで、息子は幼稚園時代から、積極的に他の子どもたちと一緒に何かをやるよりは、「みんなが何かやっているのを近くで見ている」というスタイルの方が楽しめることを共有していました。

 そして、息子の障害を考えると、いきなり長時間過ごすよりも、まずは短時間の交流を何回か重ねて慣れさせた方が良いということを事前に学校側と話し合っていたため、授業ではなく、帰りの会で20分ほどの交流をすることになったのです。

 初めての交流の日、息子よりも私の方が緊張しながら教室に入ると、まずは息子の代わりに私が息子のことを紹介しました。

 私が息子と一緒に教室の一番前に立つと、子どもたちが一斉にこっちを見ていて、私の緊張はマックスに。

 それでも、事前に考えておいた通り、クラスの子どもたちを見渡しながら、ゆっくりと簡潔に話すのを心掛け、次のようなことを紹介しました。

・息子はみんなと同じ小学2年生で、この学校の近くに住んでいること

・息子は、小学校から少し離れたところにある、特別支援学校の2年生であること

・息子は障害があって、言葉を理解することが難しく、お話しできないこと

・初めての場所や、この先どうなるか分からなくなると、パニックになったり、緊張し過ぎて固まってしまったりすることがあること

・食べることが大好きで、よく歩きながら楽しくこの辺で遊んでいること

・これから何回か会いに来るので、仲良くしてくれたらうれしいこと

 私の話が終わると子どもたちは、「はーい」と元気よく返事をして、息子のことを興味津々で見ていました。

 その後、先生の促しで、私と息子は教室の後ろに用意された席に移動しました。その際、「よろしくー」などと子どもたちが声を掛けてくれました。

 着席すると、ドッと息子と私の周囲に子どもたちが集まってきました。さながら転校初日の転入生といった感じです。

 子どもたちは、何度も息子のことを「かわいい!」と言ってくれました。そして、息子の写真付き自己紹介シートを見て、「2年〇組なの!? 何組まであるの?」「兄弟はいる?」「好きなこと、私とだいたい一緒だ!」「初めて学校に来るの、ドキドキするよね!」「僕も初めて学校に行くときは…大変だった」などと口々に話し掛けてくれたのです。

 息子は子どもたちの圧に押されて横を向きつつも、ニコニコしていて、照れながらもうれしそうでした。

 しかし、子どもたちから質問されたことの中で、「なんで話せないの?」「いつから話せないの?」「耳が聞こえないわけじゃないのに? なんで?」という言葉には、反応に困りました。

 素直な疑問だと思いますが、私は小学2年生にしっくりくる答えが見つからず、うまく答えられなかった気がします。

「障害があって、言葉を理解するのが難しい」と答えたり、「(いつからかは)生まれたときから」と言ったりしましたが、これで良かったのか分かりません。

 それでも、クラスの子どもたちは終始歓迎ムードで、お別れのときも、バイバイの代わりのタッチをしながら、「もっと一緒にいたいな」などと声を掛けてくれました。

 笑顔だった息子も帰り際にぐずつきだし、涙を見せており、楽しかった分、離れるのがさびしく感じているように思いました。

■子どもたちも成長している…幼稚園時代との違い

 息子の小学校での交流の後、私はいろいろなことを考えました。特に強く思ったのは、幼稚園児と小学2年生とでは、息子の障害に対する反応が大きく異なることです。

 幼稚園時代も、息子の周囲にいる子どもたちは、息子のことを受け入れ、温かく接し、仲良くしてくれました。

 しかし、まだ周囲の子どもたちも幼かったゆえに、息子の「障害」や「話せないこと」には深く言及せず、特に意識もしていないようだった気がします。それは、まだ幼少期で、健常の子どもたちも言葉がたどたどしかったこと、幼さゆえの無邪気さで、そんなことは友達になる上で心底どちらでもいいと思っていたのかもしれません。

 息子の障害についてあまり疑問を持たず、「そういうもの」として受け入れていたのかもしれません。

 しかし、小学生になると少し違いました。みんな優しく親切で、歓迎してくれたことは変わりないのですが、いろいろなことが分かってきた分、息子の状態について「なぜ? どうして?」という素朴な疑問を持つようになっていました。

 昔から知っている存在ではなく、この時点で初めて出会った存在だからなおさらです。ただ、これは遠巻きにするのではなく、興味や親しみを持って近づいてきてくれる、一歩中に踏み込もうとするからこその疑問だとも思うので、ありがたくもありました。

 息子はゆっくりですが、成長しているとはいえ、知的障害があるがゆえに、精神発達年齢は小学校入学時点でまだ2歳にも満たない程度です。

 年齢が上がるにつれ、普通の子どもたちとの精神的な成熟度の差が開いていっているのだなということに、私は改めて気付かされました。

 これは、悲観的に思うというよりは、学びに近い感覚です。

 どうしても母として、息子基準で考えてしまいがちな私は、周囲の同年齢の子どもたちがどの立ち位置にいて、どういう反応をして、それに対してどう答えていったらいいのか、定期的に触れ合って母としてもアップデートしていく必要があると感じたのです。

■副籍制度の意義とは? 障害がある子どもの交流の形

 副籍制度のような、特別支援学校に通う子どもが地域の小学校と交流する制度は、恐らく他の自治体にもあると思います。子どもの進路に特別支援学校を選んだ親の立場からしてみれば、地域の人たちに子どもの存在を知ってほしい、健常の子どもたちとも交流させてみたいと思う一方、怖さもあるのが正直なところです。

 しかし、「えいやっ!」と勇気を出して普通の学校にも顔を出してみると、多くの学びがあり、心がほっこりする経験もすることができました。

 息子が副籍を持った小学校のクラスの担任の先生は、こうおっしゃっていました。

「副籍制度は、障害について理解してもらう場というわけではない」

 副籍制度の意義は、人によっていろいろな考え方があると思いますが、この先生は、「障害がある子」としての息子を知ってもらうのではなく、「みんなと同じ地域に住んでいる同じ年齢の子ども」としての息子の存在を知ってもらうというスタンスなのだと思います。

「障害」について知ってもらうことも大切なことですが、それだとハードルが高く、特に幼い子どもにとっては難しいことも多いでしょう。

 まずは「同じ地域に住んでいる同じ年齢の子ども」という認識で、障害がある子もその存在を知ってもらえるように、副籍制度のような制度がもっと広がっていくといいなと思います。

ライター、イラストレーター べっこうあめアマミ

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