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サッカーで「判定への不服」が頻繁に観られるのはなぜか W杯の開幕戦主審を務めた西村雄一氏は「選手が試合に集中し始めればアピールは格段に減る」

NEWSポストセブン 2024年6月17日 11時15分

 スポーツ競技においては審判の判定をめぐり、選手や監督らが抗議する場面をしばしば目にする。特にフィールド内を選手とともに走り回るサッカーの審判が、熱くなった選手から激しい抗議にさらされる様子は観戦者にも大変そうに映る。しかし、2014年のサッカーW杯ブラジル大会で日本人として初めて開幕戦の主審を務めた西村雄一氏は、そうした場面でも、選手たちが納得できるように導くことが「サッカーの審判に求められるマネジメントの難しさと面白さ」だという。スポーツを長年取材する鵜飼克郎氏が聞いた。(全7回の第5回。文中敬称略)

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 ファウルの際やアディショナルタイム終了の笛を吹くタイミングなど、他の競技に比べると、審判の「主観」に委ねられる割合が高いサッカーの判定。それは審判の「個性」が試合に影響を及ぼすということでもある。

 近年、スポーツの世界ではサッカーのみならず、映像やAI(人工知能)といったテクノロジーを判定に取り入れる動きが飛躍的なスピードで進んでいる。VAR導入に関する西村の見解は別の記事で紹介するが、テクノロジーの導入は「脱・個性」を意味することは間違いない。それでもサッカーの審判に「個性」は必要なのだろうか。

 FIFA W杯南アフリカ大会(2010年)やブラジル大会(2014年)など数々の国際試合で主審を務め、現在はJFA(日本サッカー協会)プロフェッショナルレフェリーとして活躍する西村雄一はこう言う。

「サッカーの審判に様々なことを実現するためのマネジメント能力が求められているということは、それぞれの個性が出るのは当然で、その個性を上手に活用すればいいと思っています。

 サッカーでは試合中に選手と審判が判定についてコミュニケーションを取る場面が多く見られます。選手から『どうして今のプレーがファウルなのか』とか、『相手チームにプレーを早く再開させてほしい』など、様々な要望に対し審判が説明することはよくあります。そうしたやり取りの中から、選手たちは“今日は少々のボディコンタクトではファウルにならない”とか、“遅延行為に厳しいぞ”といった、その試合における基準とマネジメントスタイルの理解を深めていきます。

 例えば、関西出身の審判が関西のチームの選手から関西弁でアプローチされるとお互いの理解がフィットする一方で、それが標準語でのやりとりだと反抗的に聞こえ、状況によっては抗議と捉えられてしまうこともある。ある意味、これもパーソナリティ(個性)なんです。そうした部分まで統一するのは大変ですし、むしろそういった個性を活かしながら、選手たちが納得できるように導く。それがサッカーの審判に求められるマネジメントの難しさであり、面白さでもあるのです」

審判の「個性」はこう使う

 プロ野球では大声を張り上げたり、独特の仕草でストライクをコールしたりする球審が“名物審判”などと呼ばれるが、そうした判定アクションの個性についてはどう考えているのか。

「サッカーでも派手なパフォーマンスの審判がいないわけではありませんが、私は特段、自己流のアクションをしたことはないと思います(笑)。

 ジャッジごとにプレーが止まるケースが多い野球と違って、サッカーの主審はプレー続行中のアクションが多くなります。アドバンテージ(反則が起きても、反則を受けた側が有利な状況であればそのままプレーを継続すること)のシグナルが代表的です。この場合主審はピッチにいる選手全員に“プレーを続けて!”と知らせなければなりません。そうしたシグナル(合図)は視覚的にわかりやすくする必要がありますから、オーバーアクションになることがあります。

 イエローカード(警告)やレッドカード(退場)を提示する場合などは、どの主審もカードを高々と掲げます。この時に、とても怖い顔をする主審が多いので誤解されがちですが、決して対象の選手を威圧しているのではありません(笑)。カードを提示するのは対象選手に対してではなく、その行為に対してなので、その行為に対する主審の想いが表情に現われるのです。

 こうしたアドバンテージやカードの掲示などのシグナルは、ベンチや観客を含めた会場全体に主審の最終決定を伝えるための競技規則で規定されている統一されたシグナルなので、主審が妙なアレンジを加えるのはあまり好ましくないでしょう」

 ただし、西村もあえてジェスチャーやアクションに個性を出す場面がある。

「例えば、熱くなっている選手を落ち着かせる場面では、表情やジェスチャーをできるだけ駆使して選手に接しています。特に国際試合で言葉が通じない外国人選手に理解してもらう場面では、ボディランゲージを用いて“あなたの言いたいことはわかっているよ”と相手への理解を振る舞い方で表現しています。これは選手の心理をマネジメントする際の重要な部分で、ここで主審の個性をプラスに活用することが大切です」

審判としての“最高のマネジメント”

 サッカーの試合でのオーバーアクションといえば、多くの人は「選手側のアピール」を想像するかもしれない。中には足がかかってもいないのに両手を広げて派手に転んだり、痛がったりして審判を欺こうとする「シミュレーション」と呼ばれる行為もある。判定に曖昧さを内包する競技ならではともいえるが、なぜかサッカーの“兄弟スポーツ”といわれるラグビーではあまり見ないプレーでもある。

 筆者の個人的感想ではあるが、「審判への抗議や反抗的態度が頻繁なスポーツ」という印象もある。実際、本書で登場する他競技の審判たちからも、「判定に選手が不服を示す場面が多いので、サッカーの審判はつらそう」という声があった。

「フィジカルコンタクトですぐに倒れて派手なアピールをする選手がいるのは確かですが、それも含めて“サッカーの表現力”なのだと理解しています。

 私が実感していることですが、選手たちが“今日は主審に任せた”と試合に集中し始めると、判定へのアピールは格段に減ります。その状況になった時に、“自分は良いレフェリングができているのでは”と感じます。

 逆に選手からのアピールがなかなか収まらないうちは、まだ“任されていない”ということ。実際、後半の残り20分を切ったら選手たちは試合の勝敗に向けて目の前のプレーに必死になり、アピールする余力なんてありません。それでもまだアピールされるようであれば、主審のマネジメントにも問題があるかもしれません」

 しかしながら選手の不満やアピールに付き合うばかりでも試合は進まず、混乱する。“曖昧さ”があるからこそ、サッカーの審判には「威厳」が必要になってくるのではないだろうか。

「審判に『威厳』があると感じてもらえるとすれば、試合中ではなく、ゲームが終わった後に選手やサポーターが“良いジャッジだった”“素晴らしいマネジメントだった”と感じてもらえた時なのだと思います。もし私が試合中に威厳を出そうとしたら、単に高圧的になるだけでマネジメントはうまくいかなくなります。

 過去には“審判の判定は絶対”という時代もありましたが、今は映像判定の導入などもあり、“審判だって間違えることがある”ということが浸透してきました。両チームからレファーされたからこそ選手と同じ目線に立ち、時には間違いを認めることも大切です。よって私は“選手に対して威厳を示そう”とは考えません」

 西村は「審判と選手」の関係をこう表現する。

「私は選手たちを常にリスペクトしていますが、それが返ってくることは期待していません。判定が違えば“あの審判はダメだ”と思われるでしょうし、判定が正しければ“よく見てくれていた”と信頼される。この信頼を積み上げていくことで、お互いにリスペクトし合う関係が理想です。そうなれば選手は判定を審判に任せて試合に集中できる。それが最高のゲームをつくり、審判としても“最高のマネジメントだった”ということになるのだと思います」

(第6回に続く)

※『審判はつらいよ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成

【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。『週刊ポスト』記者として、スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材活動を重ね、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープで話題を集めた。主な著書に金田正一、長嶋茂雄、王貞治ら名選手 人のインタビュー集『巨人V9 50年目の真実』(小学館)、『貴の乱』、『貴乃花「角界追放劇」の全真相』(いずれも宝島社、共著)などがある。サッカーをはじめプロ野球、柔道、大相撲など8競技のベテラン審判員の証言を集めた新刊『審判はつらいよ』(小学館新書)が好評発売中。

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