Infoseek 楽天

議論を呼んだW杯2014ブラジル大会開幕戦の「PK判定」 主審を務めた西村雄一氏が「今も後悔なし」と断言できる理由

NEWSポストセブン 2024年6月20日 11時15分

 2010年のサッカーW杯南アフリカ大会では4試合で主審を務め、2014年のブラジル大会では日本人として初めて開幕戦の主審を務めた西村雄一氏。的確なレフェリングは各国の賞賛を受けたが、ブラジル大会の開幕戦(ブラジル・クロアチア戦)で下したPK判定は、試合後もクロアチア側からの猛批判を浴びた。しかし、西村氏は現在も「後悔していない」と言う。スポーツを長年取材する鵜飼克郎氏が聞いた。(全7回の第6回。文中敬称略)

 * * *
 サッカーでは反スポーツ的行為や遅延行為、チャンスが期待されるような局面を妨害する反則などがあればイエローカード(警告)が提示され、著しく不正なファウルや乱暴な行為、相手の得点や得点の機会が阻止される反則などではレッドカード(退場)が掲示される。プレーヤーが1人減るレッドカードは言うまでもないが、たとえイエローカードでもディフェンダーが激しいコンタクトを躊躇うようになるので、チーム戦術に制約が生じかねない。

 ゲーム展開を一変させる判定であるが、競技規則にはカードの対象になるかどうかの個別具体的な記述はなく、やはり主審の主観に委ねられている。それゆえに「1試合平均で何枚のイエローカードを出したか」が、選手やファンからのその主審に対する評価に?がることもある(「枚数が多い主審は悪い」という意味ではない)。サッカー中継やテレビのスポーツニュースで主審が大映しになるのは、大概が「カードを示すシーン」である。

 主審がクローズアップされる「カード」について、数々の国際試合で笛を吹いてきた西村雄一はやや意外な見解を口にした。

「カードの枚数が多い選手は“悪い選手”と見られる傾向がありますが、必ずしもそうではありません。与えられたポジションの役割やゲーム展開によっては、チームを救うための“覚悟のイエローカード”もあるわけです。

 例えば、コーナーキックをクリアされてカウンター攻撃を受ける場面で、自チームのディフェンダーが相手ゴール前に上がっていて守備側が数的不利な状況であれば、ファールを冒してでも止めるしかないというプレー選択が予測できます。この“カード覚悟のプレー”でファウルがあれば主審は当然イエローカードを示します。こうした展開が起き得ることはボールをクリアされた時から両チームの選手も理解しているので、イエローカードを示したとしてもどの選手も納得してくれます。

 選手が選択するプレーを“評価”するようなことを言うのは好ましくないのかもしれませんが、選手のプレーには必ず理由がある。それもまたサッカーの本質の一部。サポーターにはそういうところまで見てもらえると、サッカーの楽しみ方が広がると思います」

ブラジルW杯開幕戦の「PK判定」

 カードの掲示と並んで主審が目立つ場面、それはPK判定だ。1点の重みが大きいスポーツだけに、得点・失点の可能性が極めて高いPKはゲーム展開を大きく左右する。

 西村が主審を務めた試合で、世界的に注目されたPK判定がある。2014年のブラジルW杯、日本人として初めて開幕戦で笛を吹いたブラジル対クロアチア戦だ。

 1-1で迎えた後半24分、ペナルティエリア内でボールを受けたブラジルのFWフレッジが、クロアチアのDFロヴレンに後ろから抱え込まれるような形で転倒する。西村はこのプレーをファウルと判定した(ロヴレンにはイエローカード)。与えられたPKをブラジルのFWネイマールが決め、それが決勝点となった(最終スコアは3-1)。

 注目の開幕戦、しかも優勝候補の地元ブラジルが苦戦している状況での判定は議論を呼んだ。世界中のスポーツ番組でそのシーンが繰り返し放送され、敗れたクロアチアのコバチ監督は「W杯の審判ではない」とまで西村を批判した。

 西村は淡々と振り返る。

「後方から手をかけたホールディングの事実はあり、その“程度”について意見が分かれたケースでした。PKと判定して批判されましたが、逆にPKと判定しなくても批判されたでしょう。どちらの判定をしても納得されない出来事に、たまたま主審として遭遇してしまったということで、その出来事が起こらなければ“運がよかった”ということです。それでも、あの時に手がかかっている事実を見極められなければ、クオリティの低いレフェリングとなります。10年近く経った今も、あの決定に後悔はありません」

サポーターからのブーイングも…

 審判歴30年以上、数え切れないほどのジャッジをしてきた西村だが、たった一度の判定が後世まで物議を醸す。「不条理だと思いませんか?」と訊ねると、「それがサッカーであり、レフェリーの役割ですから」と穏やかに答える。

「実は審判の視点から見ると、W杯レベルの試合は戦術やプレースタイルが完成されているトップ選手同士のゲームなので、ピッチ内で起こることが比較的予測しやすいんです。

 Jリーグなどで、選手たちの闘志が?き出しになった試合のほうが難しいかもしれません。普段のパフォーマンスをはるかに超えるプレーを創り出し、負けられないという思いが高まりすぎて、競い合いではなく“戦い”になってしまうことがあるのです。そうなるとファウルの判定も非常に難しくなってきます」

 しかもスタンドにはそれぞれのチームを熱心に応援するサポーターがいる。難しい判定であれば何千人、何万人からブーイングを浴びる。

「繰り返しますが、それがサッカーの醍醐味なのです。サッカーは判定を含めて楽しんでもらえるスポーツ。観客の方々もいろいろな感情が動き、“あの審判はいつもウチのチームに厳しい”とか、判定に様々な理由を紐づけて批判することができる。もちろん批判され続けて気持ちがいいわけではありませんが、日頃、嫌なことがあって職場や家庭で怒鳴り散らすぐらいなら、チケットを買って競技場に来てもらって、“西村、下手くそ!”と発散していただいたほうがいいでしょう(笑)。

 時には“素晴らしいジャッジでした”“頑張ってください”と声をかけていただくこともあります。とても嬉しくありがたいことだと感謝しています。サポーターの方々は、選手のプレーを通じて自分の人生を豊かにしている。選手を支える審判も、選手を介してサポーターのモチベーションを支えていると思えば苦にはなりません。達観しているわけでも、格好つけているわけでもなく、それはスポーツエンターテインメントというか、プロスポーツに関わる者として心得ておくべきことだと思います」

(第7回に続く)

※『審判はつらいよ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成

【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。『週刊ポスト』記者として、スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材活動を重ね、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープで話題を集めた。主な著書に金田正一、長嶋茂雄、王貞治ら名選手 人のインタビュー集『巨人V9 50年目の真実』(小学館)、『貴の乱』、『貴乃花「角界追放劇」の全真相』(いずれも宝島社、共著)などがある。サッカーをはじめプロ野球、柔道、大相撲など8競技のベテラン審判員の証言を集めた新刊『審判はつらいよ』(小学館新書)が好評発売中。

この記事の関連ニュース