Infoseek 楽天

佐原ひかりさん、新しい“お仕事小説”についてインタビュー「働くときに大事なのは、絶対にしたくないのは何かということ」

NEWSポストセブン 2024年6月16日 16時15分

【著者インタビュー】佐原ひかりさん/『鳥と港』/小学館/1870円

【本の内容】
《休みはたった二日。月曜からまた出社で、空虚な言葉を集めてまとめて金曜の夜までゴミ箱行きの資料を作り続ける。毎日。/いつまで?/いつまでつづくんだろう。死ぬまで? いや、定年までか》。国立の大学院を出て就職した春指みなと。朝一番の仕事は、全体朝礼で発表された「気づき」のまとめ。夜の飲み会は、入口に暖簾がかかった店では上司のために暖簾を上げる、上司が脱いだ靴は部下が揃える…そんな会社に嫌気が差して退職。ある日、公園で郵便箱を見つける。中に入っていたのは一通の手紙。そして不登校中の高校生・飛鳥と文通が始まって、2人はクラウドファンディングで文通屋を始めることに──。

「小説の中のみなとと同じく、トイレの個室で泣いて…退職」

《会社、燃えてないかな》

 インパクトのある書き出しである。会社に行きたくないあまり、主人公の1人であるみなとは消防車のサイレンを聞いて、咄嗟にそう思ってしまうのだ。

『鳥と港』は、みなとと、もう1人の主人公の飛鳥が、これからの、新しい働き方について考える小説である。

 大学院を出て入った会社が肌に合わず、1年たたずに辞めたみなとと、学校に行かなくなった高校生の飛鳥。ほとんど接点がないはずの2人が偶然から手紙を交換するようになる。相手がどういう人かほとんど知らないのに、なぜか気が合って文通は続き、出会い、飛鳥の提案で「文通」を仕事にできないかと考え始める。

「お仕事小説はどうですか、という話は編集者からいただきました。最初の打ち合わせのときに、私が雑誌のエッセイで文通しているということ、仕事が嫌で逃げて海へ行った、というのを書いたことがあって、その2つを組み合わせられないか……、というところから始まりました。私の小説の中では、いちばん自分の経験がベースになっています」(佐原さん・以下同)

 みなとが燃えてほしいとまで思いつめる会社の朝礼風景や、新入社員に宴会芸やお酌、上司の靴を揃えることを強要する風習は、昭和にタイムスリップしたようで、いまだにこんな会社があるのかということに茫然とする。

「あります、あります。私は民間企業で2社ほど働いていましたけど、150人ぐらいがワンフロアにいて、朝礼で『今日のいい話』を全員に共有する、みたいなことをやっていました。『お仕事小説を』と言われたときに、自分が持っている働くイメージってネガティブなものばかりでした。毎日嫌な気持ちで1時間かけて行って、小説の中のみなとと同じく、トイレの個室で泣いて、みたいな感じで辞めましたし。

 学生時代は卒業したら一般企業にまっすぐ就職して勤めるのが正しい、働くってそういうイメージだとなんとなく思い込んでいましたが、実際にはそんなことはなくて、世の中にはいろんな仕事があり、いろんな働き方ができるはず、というエッセンスを小説に入れられたらなと思いました」

 学生が就職活動するとき、自分が働くことになる会社にどんな人がいて、どういう雰囲気で働けるかなんてわかりようがない。わからない以上、入った会社の社風が合わなくて辞めることも、本当は避けようがないはずだ。

「キャリアチェンジのときに、マイナスのことは要素として含まないようにしよう、という考え方が一般的ですけど、本当に大事なのは、自分が嫌なこと、絶対にしたくないのは何かということの方じゃないかと思うんです。私がいちばん無理だったのはワンフロア150人で電話が鳴りっぱなしみたいな環境でした。その経験から、キャリアチェンジの際は、職場の環境について事前に訊ねることを心がけています」

「読んでいるときに風通しのいいものを、と要所要所で風を吹かせ」

 小説に挿入される、みなとと飛鳥が書く手紙が魅力的だ。彼らが何を大切にして、何が好きで、どういう人柄なのかがわかる書きぶりである。メールやLINEでやりとりする時代に文通とは古風だが、佐原さん自身も、実際に文通をしているという。

「1人は、私の地元の神戸で仲良くなった友達で、その後関東に転勤したのですが、誕生日にサプライズで手紙とプレゼントを贈ったのがきっかけでした。

 もう1人は読者さんで、さっきお話ししたエッセイに、『もし文通相手がほしい人がいたら連絡ください』って書いたら、本当に来たんです! 少し年齢が上のかたで、すごい達筆で、綺麗な便箋に書かれた手紙が出版社経由で届いて、お返事して、それから普通にやりとりしています」

 さらにさかのぼると、小学生のときにも同じクラスの友達と近所の神社の木の洞に手紙を入れて交換していたこともあるそうだ。手紙が雨に濡れて止めてしまったが、このエピソードは少し形を変えて、小説の中のみなとと飛鳥のやりとりに活かされている。

 自分は書いたことを忘れていても、受け取った相手は覚えていて、ふとした瞬間に自分の手元に戻ってくることもある。そんな手紙ならではの面白さも描かれている。

「この本が出て、文通ブームが来たらいいな、と思っていたんですけど、郵便切手が値上げするんですよね! X(旧Twitter)では、『値上げするのはしかたないにしても、手持ちの可愛い84円に組み合わせられるように、1円切手のバリエーションを増やしてほしい』というポストがバズってました」

 佐原さん自身がプライベートで手紙を書くときは、気持ちの赴くまま、徒然なるままに書き、それが楽しいそうだ。

 年上のみなとと、若い飛鳥は、おたがいの年齢や性別にとらわれず、時折ぶつかりながらも、2人でしかつくれない関係性を築いて働き方を見つけていくのが気持ちいい。

「読んでいるときに風通しのいい感じにしたいと思って書いていました。なにしろ『鳥と港』なので。鳥は風に乗るし、海辺も風が吹くイメージですよね。本の中でも、実は要所要所で風を吹かせているんです」

 そう聞いてから読み返すと、冒頭のページでも骨までかじかむような風が吹き下りているのに気づいた。風の向きは、そこからさまざまに変わっていく。

「最後のシーンは、浮遊感というかふわーっと広がるようにしたいと思っていましたね。季節が一巡りして終わるので、そう言えばうってつけの言葉を書いていたなと思い出して、ラストに持ってきました」

 読み終えて、佐原さんからの手紙を受け取ったような、あたたかな気持ちになる小説だ。

【プロフィール】
佐原ひかり(さはら・ひかり)/1992年兵庫県生まれ。2017年「ままならないきみに」でコバルト短編小説新人賞を受賞。2019年「きみのゆくえに愛を手を」で氷室冴子青春文学賞大賞を受賞し、2021年同作を改題、加筆した『ブラザーズ・ブラジャー』で本格デビュー。ほかに『ペーパー・リリイ』『人間みたいに生きている』、共著に『スカートのアンソロジー』『嘘があふれた世界で』がある。

取材・構成/佐久間文子

※女性セブン2024年6月27日号

この記事の関連ニュース