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《ダウン症の弟の写真を掲載し「死ね」と言われたことも》作家・岸田奈美さんが明かす誹謗中傷との向き合い方「一度、相手を理解することを心がけている」

NEWSポストセブン 2024年6月20日 11時15分

 新作エッセイ本『国道沿いで、だいじょうぶ100回』を上梓した作家・岸田奈美さんは、“一生に一度しか起きないようなことが何度も起こってしまう”と自身で話す通り、驚きと笑いのエピソードをnoteでつづっている。そんな岸田さんは中学生の時に父親が他界。その3年後、母親が病気により車椅子生活を余儀なくされ、弟はダウン症で知的障害がある――。noteでのエッセイは多くの読者の共感を呼ぶ一方で、誹謗中傷を受けることもあるという。岸田さんはそうした声とどう向き合っているのか。

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 SNSやnoteのフォロワーが多い岸田さんだけあって、記事や写真を掲載すると読者から多くのコメントが届く。ほとんどが好意的なものだが、「死ね」というメッセージが届いたことがある。

「弟の写真をnoteの記事に掲載したときに、急に『死ね』というコメントがきました。もし彼の正体を知らなかったら、きっと一生恨み続けて、会ったら竹槍で突いたるからな! と思ってしまうくらい、不安と怒りに駆られる人生になったと思うんです。

 けれど、コメントの主に連絡をとって話をしてみたら、その子には発達障害があって、本人も『障害者死ね』と言われていじめられていたそうなんです。誰かを刺すような発言は、その人の傷ついている部分や疲れている部分などから発せられていることもあると知りました」(岸田さん・以下「」同)

 有名人が炎上すると、それにかぶせるように叩いたり批判したりするコメントがあふれる。これらも見方を変えると、助けを求める声なのではないかと岸田さんは言う。

「本当は、みんな自分の話がしたいだけなんですよ。私のエッセイの感想をたくさんいただく中で、圧倒的に多いのは『共感しました。実は私もお母さんが介護で~』とか、『岸田さんのこの記事を読んだけど、ちょっと嫌でした。なぜなら僕はお母さんとずっと一緒にいたから、家族から離れて一人暮らしをする岸田さんは薄情ではないか』とか。

 全部目を通してみると、結局はみんな自分の話がしたいんだなって。ただ、なかなか自分の話をすることはできないから、何らかのきっかけを探している。炎上したあの件を許せない!って言ってる人も、実は『自分も職場で同じ思いをしたから許せない』と思っているなど、みんな結局何かしらの発言をしたいんです。でも“私の話をしたい”って言うのはなんとなく格好悪いことのように感じてしまうから、どうにか隠すんですよ、本音を。

 だから、エッセイの感想で嫌なことを言われたりとか、予想もしなかったことを書かれたりしても、その人はその発言によって発散して、少しは救われているのだなと。私に直接向けられた言葉ではないって思うようにしています。もちろん人から嫌われたくはないですから、どこかで気にしてはいますけどね」

デジタルネイティブだからこそ分かるネットの怒り

 こういった考えにいたるきっかけは、岸田さんが小学生の頃にさかのぼる。当時の岸田さんは、友達ができないことに苦しんでいた。

「好きな漫画の話をとにかくしたくて……しかもその漫画がオトンの本棚にあった『課長島耕作』で、サラリーマンめちゃかっこいいなとか、男女の恋愛ってこういうふうにうまくいくんだとか、そういう話を脳が焼けるくらい一気に喋ってしまう子供だったんです。

 小学生の頃から、私は自分が好きだと思ったことを言葉にしないと満足できなくて。でも、みんなは違うんですよね。周りはテレビの話とか軽い雑談をしているけど、私は今で言うオタクっぽい早口しゃべりで、毎回プレゼンするような熱量。当たり前なんですけどみんな話を聞いてくれなくて……。いじめられているわけじゃないけど、なんか遊びに誘われないとか、クラスの中でややこしい存在になっていました。

 それがすごくショックで自信をなくして家で泣いているときに、オトンが急にパソコンを買ってきて、『これからはインターネットや! お前の友達はこの箱の向こうにいるから、自分を責めんでいい。友達を箱で作れ!』って言ったんです。

 インターネットのおかげで、掲示板で好きなものを好きなだけ話せる相手ができた。でもインターネットの中には無法者も多く、誰かがきつい言葉を投げるときつい言葉が返ってくる光景もあって、安心していた場所がそういうものたちに侵食されていくという経験もしました。だから、デジタルネイティブで、ネット内の不躾な怒りの感情にも慣れている部分はあると思います」

敵に寄り添うことで自分の物語にできる

 炎上に耐性はあるといえど、やっぱり見ていて苦しいときもある。岸田さんは、炎上コメントをする人こそ、日記を書くことで“話したい”という欲求を発散できるのではないかとすすめる。

「ジャーナリングという心理療法があって、何かが起こったときにその事実と思ったことをとにかく書き出すと、なんで自分はこんなことで怒っているんだろうと、あほらしいって思えてきて、意外と救われることがあるんです。日記は、現代人のメンタルヘルスのためによいことなのだと思います。

 私自身も、エッセイを読まれるのはもちろんうれしいですけど、自分のために書いている側面が大きいです。スマホでつらい事件やどうしようもない炎上を見たりするとめちゃくちゃキツいんですよ。それが自分と属性が似ている人とか、弟のような障害者の人が叩かれていたりすると、さらにしんどくて。スマホの画面だけを視界の近くでまっすぐ見ていると、怒りしか沸いてこないんですよ。

 でも、書くということは、自分の視界をちょっと遠くにして、広げることなんです。もしかしたらあのとき、見守ってくれていた人がいたんじゃない? とか、なんでこの人はこんな発言をしたのか想像してみようとか、メタ認知とも言えるかとおもいます。書くことは、ちょっと俯瞰する行為なんですよね。

 まっすぐに見ているときは壁しかなかったのに、意外と視界が広がるんですよ。あの人は私に悪口を言っていたんじゃなくて、実は苦しくて、助けを求めていたんじゃないか。自分の話を聞いてほしくて、その苛立ちが悪口みたいになってしまっていたんじゃないかって」

 noteに掲載されたエッセイの中でもよりすぐりの作品が並ぶ最新作『国道沿いで、だいじょうぶ100回』で意識したテーマは、「いったん敵に寄り添う」ことだと岸田さんは語る。

「『死ね』ってメッセージや、病院食のサバに文句を言っている入院患者さんや、入院時に私がお見舞いに行かなかったなかっただけでキレたうちのお母さんなど、いやな人とかいやな気持ちに、いったん寄り添ってみるって意外と大事なんですよね。

 私は、自分自身が幸せであるために、『死ね』って言ってきた人を一生恨み続ける人生はいやなんです。だから、私にとって都合よく人生を生きていくために、いったん敵を理解することを心がけています。

 自分の物語にしていくっていう力がたぶん強いんだと思います。怒りは相手を傷つけることが目的になって、思ってもないことを言っちゃうから自分の物語じゃなくなっちゃうんですよね」

【プロフィール】
岸田奈美(きしだなみ)/1991年生まれ。兵庫県神戸市出身。関西学院大学在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立する。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」選出。ドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』が7月9日よりNHKで地上波放送。最新作に『国道沿いで、だいじょうぶ100回』。

取材・文/イワイユウ

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