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《汚水で家が水浸し…生活が崩壊》作家・岸田奈美さんが感じた「自分の限界」と責任転嫁を繰り返す「社会の構造」

NEWSポストセブン 2024年6月21日 13時45分

 日々の暮らしや家族に起こった出来事を、不幸も含めて笑い飛ばすようにつづる作家・岸田奈美さん。新作エッセイ『国道沿いで、だいじょうぶ100回』にも注目が集まる。中学生の時に父親が急逝、母親は車椅子ユーザー、弟はダウン症で知的障害があり、祖母は認知症――と波乱万丈の人生を生き抜いている岸田さんだが、昨年末に起こったある騒動では、挫けそうな気持ちを味わう。そんな中でも、社会について気づいた視点があったと話す。

* * *

「ずっと住みたいと思っていた兵庫県西宮市に今年引っ越しました。それまでは京都府中京区河原町という、東京でいう渋谷のようなところに住んでいたのですが、オーバーツーリズムでバスには絶対に乗れないし、うに丼の価格は1000円から6000円になるほどで、観光客は喜べど地元民の生活はどんどん破壊されている感覚があったんです。でも立地はいいし、引っ越しはお金がかかるし、インバウンドはいつか収まるかなぁ、と様子見していたんです。いつかみんな飽きて奈良に行くはずだ、と(笑い)。

 それが、とあることがきっかけで西宮に引っ越したんですけど、西宮は亡くなった父の出身地であり、生涯愛した街。父は西宮で会社を立ち上げて、リノベーションの会社を経営していました。未だに父の愛したお店や景色が残っていて、父の知人から『この店の、このおやつが好きでよく買ってたよ』と知りようもなかった姿を教えてもらったりして。生前の父はこんなことを考えていたのかなって、知ることができるのがすごくうれしくて、幸せで。

 京都と比べたら人も少ないし、西宮に引っ越せたことは不幸中の幸いだったんですが、きっかけとなる出来事が本当に地獄でした……」(岸田さん・以下「」同)

口では「大丈夫」と言っても限界があった

 その出来事とは、昨年12月に岸田さんが住む部屋に起こった漏水。しかも岸田さんは3日間風邪で寝込んでいたという、なんともしんどいときにそれは訪れた。

「突然、雨を超えてスコールかと思う量の水が、天井から降り注いできたんです。それでリビングと台所が水浸しになって! まず絶版の『大長編ドラえもん』を、浸水していない書斎に投げるように避難させましたよ。私にとってはそれが一番大事だったんですね。パソコンとハードディスクもとにかく守りました。でもハードディスクって動かすと壊れるってことを知らなかったので、避難させた結果壊れましたけど(苦笑)。

 すぐに管理会社に連絡したものの、水道屋さんからは配管がどうなっているかわからないから漏水を簡単には止められないって言われて……。想像できないと思うんですが、上の人がトイレに行ったら、その汚水がボトボトって天井から垂れてくるんです。これを水道屋さんが止められないなら、することはひとつで、とにかく上階の人にお願いをするしかない。

 とはいえ、『すみません、トイレを使わないでください』と懇願しても、『いやいやいや、俺らは悪くないから』でだいたい終わり。それはそうで、みんな生活があるんです。しかもわれわれはマンションという蜂の巣の中に詰められた他人同士で、全員自分の生活が一番なわけですよ」

 困ったときはお互い様というのは、賃貸マンション住まいでは通用しないということを痛感したという岸田さん。やさしく声をかけてくれたはずの隣人も、井戸端会議で愚痴をこぼしている声を耳にした。精神的にも知らず知らずのうちに悲鳴を上げ始めた。

「私はトラブルや嫌な出来事があっても、起こらないほうがよかったと思ったことが一度もないんですよ。今となっては、父が亡くなったことでさえも受け入れているんです。

 父の死があったから、より母と仲良くなって、今は私が夫みたいな存在になっています。父の死がなかったらエッセイを書くこともなかったと思いますし、亡くなったことはたしかにつらかったけど、めっちゃ強くなったよねって思うので。

 ただ、『まぁまぁ、これまで何かあっても大丈夫だったし、どうにかなる』と頭では考えていても、漏水が起こったときはとにかくしんどくて。無理なときは無理なんやな、『大丈夫大丈夫』と言っているのは半分本当で、でも半分うそで。

 お母さんから『あんた今日も漏水の家行くの? 大丈夫? あんたが気に入って買い集めた家具とかビチャビチャになってるんやろ?』って声をかけられて、『あ〜大丈夫大丈夫、ちょっと着替えるわ〜』と言いながらもその瞬間に泣き崩れたらしくて。バグですよ、もう。脳を騙すのにも限界があるんです。自分の限界を知りました」

責任転嫁の連続がトラブルを生む

 生活が崩壊し、まわりも協力してくれない。ただただ汚水で水浸しになる部屋になすすべがなく、精神的に追い込まれていく中で、岸田さんは責任転嫁をする人たちを見つめはじめた。

「面白かったのは、仕事というのは役割の範囲を決めることなんだなと気づいたこと。つまり、自分がやらないことを決めるというのが、仕事なのだなと。

 漏水が起きた時、オーナーは海外にいてすぐ来られないし、管理会社は私たちは9時から18時の間に管理業務を任されているだけだから、それ以外の時間のことは知りませんってスタンスで、ぞうきんだけ渡して去るし。どこから水が流れているかさえわからなくて、上階の人が水道を使っていなくても汚水が漏れてくるんです。そんな状態が1週間も続くから、上階の人も自分のせいじゃないって確信し始めるし。

 ただ、これがまさに仕事なんですよね。明らかに困っている人がいるのに、全員が自分は当事者だと思っていない。もしかして、世の中のトラブルは全部そうなんじゃないかって。みんな自分のせいじゃないって考えているけど、現状は最悪の事態が起きている。

 会社の人に何かいやなことをされても、『自分の管理責任は上司にあるから、止めなかった上司が悪い』ってなることもありますよね。全員ちょこっとずつ責任転嫁しながら過ごすというのが仕事ではないかと思って」

 しだいに目の前で起こっていたことが、社会で起こる事件の縮図のようなものに見えてきたという。

「マスコミがさまざまな事件を報道するたびに『なんでこの人は反省しないの』とか『なんで他人行儀なんだよ』とか思うじゃないですか。でもきっと、単純に自分のせいだとみんな思えないんですよ。反省の気持ちがどうとかじゃなくて、実体験として自分はどうしようもなかったしな……で終わっちゃうんです。

 私、会社員だったときに、在籍中の後半は会社の業績が悪かったこともあって……。休みもないし、つらい気持ちになることもたくさん言われました。過労で倒れたときに、『なんで社長や役員はそんな他人事なん?』と憤っていたんですよ。

 でも今思うと、彼らも単純に自分ごととして捉えられなかったんだなと。そう捉えていない人に、お前が悪い!っていくら責めたとしても、逆に彼らは批難された被害者になるんですよ、実感がないから。頭でわかっていても感情がたぶん理解できていないから、まわりから責められて『なんで俺がそんなことで謝らなあかんねん』と思ってしまって、余計に退路が断たれて、事態が硬直するんです。

『責任者はお前だろ』って怒りは、おそらくあまり意味がない。怒りをぶつければぶつけるほど、反省せずに離れていく。漏水のおかげでそんなことに気が付きました」

相手の痛みに寄り添うことで糸口が広がる

 責任の所在を明らかにしようとしても何も解決できない。では、岸田さんはどうやってトラブルを解決するべきだと考えているのか。

「ものすごく難しいことですが、仕組みを変えないといけないですよね。まずみんな、自分が責任を感じられない仕組みがよくない。責められている人の気持ちにいったんなってみるというのも大事じゃないでしょうか。

『わかるわかる、すべてがあなたのせいじゃないと思うよね、でもさ』っていう。現実にこういうことが起きて、私はつらかった。あなたも責められてつらかったと思うけど、あなたがおかしいと思った時点で誰かに相談しないといけないし、私の話を聞く時間はあったよね?って。ある程度腹を割って話さないと、物事は解決しない。誰かのせいよりも、仕組みのせいにしてもいいと思います。

 例えば、夫がまったく家事をしないと責めても、夫は『言われてないし、やっても褒められないし』とか、こっちにとっては謎の論理で返してきてけんかになる。それぞれの信じているものが違うから、根本的に解決するには、相手の信じている思考に入っていく。そのときは腹が立つから難しいと思うんですけど、相手の考えをいったんリスペクトしてみる。いちばんの敵だからこそ、まずはいちばんの理解者にならないと。

 互いに信じているものが違うからこそ、相手の痛みに寄り添わなければ会話も解決もできないのかなと思います。なかなか難しいですけどね」

【プロフィール】
岸田奈美(きしだなみ)/1991年生まれ。兵庫県神戸市出身。関西学院大学在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立する。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」選出。ドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』が7月9日よりNHKで地上波放送。最新作に『国道沿いで、だいじょうぶ100回』。

取材・文/イワイユウ

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