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南野陽子が振り返る伝説の音楽番組『ザ・ベストテン』の思い出 「アットホームな雰囲気だけど背筋が伸びる」

NEWSポストセブン 2024年6月26日 7時15分

 最高視聴率41.9%を獲得した伝説の音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系/1978~1989年)。“ナンノ”の愛称で知られる南野陽子は、歌手デビュー翌年の1986年に初出演して以来、12曲で58回もランキングされるトップアイドルとなった。南野が初めて出演した時の思い出を振り返る。

「小学生の頃から観ていた憧れの番組ですから、『悲しみモニュメント』(1986年)で初めてベストテン入りしたときはすごく緊張しました。その2日前に同級生の岡田有希子ちゃんが亡くなっていたので、いろんな想いを抱えながら歌ったことを憶えています」

 6thシングル『楽園のDoor』(1987年)は初主演映画『スケバン刑事』の主題歌で初のベスト3入りを記録。番組名物の中継を初めて経験した曲で、映画の試写会場からセーラー服姿で殺陣を披露したあとに歌唱した。

「この曲から衣装を自分でデザインするようになって。デザイン画は新曲をレコーディングするときに楽曲から受けたイメージをもとに数パターン描いていました」

 続く『話しかけたかった』(1987年)でついに1位を獲得し、“ナンノ人気”は不動のものとなる。

「もちろん嬉しかったのですが、日ごとに忙しくなって『この先どうなるのだろう』という不安や怖さもありましたね」

 デビュー3年目の1987年は発表したシングルがすべてオリコンの1位を獲得。歌に加えてドラマ、映画、CM、ラジオなど出演作が軒並みヒットする八面六臂の活躍を見せる。『ベストテン』で8回ランキングされた『はいからさんが通る』(1987年)は同名主演映画の主題歌。袴と編み上げブーツを組み合わせたナンノスタイルは卒業式の定番ファッションとなった。

「1988年は、体調を崩してしまったことも。点滴を打ちながら番組に出演しましたね。大河ドラマ『武田信玄』の撮影も始まったので、お姫様の衣装のままNHKの向かいにあった中継場所に移動して、ご挨拶だけしたこともあります。この年は『秋からも、そばにいて』の歌唱中に歌詞がとんでしまったり……。応援してくださる皆さんにご心配をおかけしました。ごめんなさい(笑顔)」

 1989年は他局の仕事でカンボジアに滞在中、衛星生中継で『涙はどこへいったの』を歌唱。カンボジアとの縁はその後も続き、昨年「日・カンボジア友好関係70周年」の親善大使に任命された。

 ほかにもドラマや映画の撮影現場から中継を行なうなど、『ベストテン』は18歳の少女がスターに駆け上がるまでの軌跡を記録してきた。番組終了から35年。数々の音楽番組に出演してきた南野だが、その中でも『ベストテン』には特別な思い入れがあるという。

「アットホームな雰囲気だけど背筋が伸びる。私にとってはそういう番組でした。それは司会の黒柳徹子さんやスタッフの皆さんが番組づくりにひとかたならぬ熱意をお持ちで、若い出演者に対してもおもてなしの精神で接してくださっていたからだと思います」

【プロフィール】
南野陽子(みなみの・ようこ)/1967年生まれ、兵庫県出身。1985年に『恥ずかしすぎて』で歌手デビュー。主演ドラマ『スケバン刑事II』で人気に火がつき、ナンノの愛称でトップアイドルに。近年は女優としてドラマ、映画、舞台に数多く出演。歌手としても新曲の制作やライブ活動を展開している。『ベストテン』出演シーンをHD映像にアップコンバートしたBlu-ray3枚組『南野陽子ザ・ベストテンCollection』(税込1万6500円)が6月26日発売。本人が語る全出演回のエピソードを掲載したインタビューブックが付属する。

取材・文/濱口英樹

※週刊ポスト2024年6月28日・7月5日号

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