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《音楽活動止まる恐怖》aiko、洗脳プロデューサーの“体を張る”関係性「一通の年賀状」が解いた4年間の“警戒心”

NEWSポストセブン 2024年6月19日 7時0分

 6月18日、シンガーソングライター・aiko(48)が代表取締役をつとめる所属事務所「buddy go」に約1億円の損害を与えたとして、会社法違反(特別背任)の罪に問われている元取締役・千葉篤史被告(58)の公判が東京地裁で行われた。aiko本人も証人出廷し、「全てにおいて洗脳されていた」と語った。

「千葉被告は、2016年9月から約2年半の間、aikoさんのコンサートツアーの販売グッズの仕入れを水増し請求するなどしたとされています。aikoさんによると、ライブ運営やグッズ制作などについて決める上で、千葉被告の確認が必要な体制になっていたそうで、公判では『全てを否定される。逆らうと音楽制作に影響が出るかもしれないという恐怖があり、(不正については)聞けなかった』と明かしていました」(全国紙の社会部記者)

 aikoにとって、千葉被告は“育ての親”のような存在だった。

「千葉さんは、中央大学法学部を卒業後、ポニーキャニオンに入社しました。今でこそ大物歌手のaikoさんですが、デモテープが回ってきたときは、社内の誰も手を挙げませんでした。千葉さんは、周囲に『なぜあんな子を担当するんだ?』と不思議がられながらもaikoさんをメジャーデビューに導き、2000年に発売したセカンドアルバム『桜の木の下』はミリオンヒットを記録。プロデューサーとして、彼女をトップアーティストに押し上げました」(レコード会社の関係者)

いつしか洗脳されていたaiko

 2人の出会いは1995年にさかのぼる。きっかけは、aikoが短大在学中に出場し、グランプリを獲得したコンテストだ。しかし、自身を気にかける千葉被告に対して、aikoがなかなか心を開けずにいる時期が続いた。

「『なぜ自分なんかにデビューの話をするのか? いいように利用されるんじゃないか?』と警戒していたようです。出会ってから約4年間が経ったとき、別の人から『千葉さんは筆不精なのに、今年は1人だけに年賀状を書いたらしい』と聞いて、aikoさんは『私に年賀状来てる!』と驚いたそうです。『あれでオチた。この人についていこうと思った』と振り返っていました」(前出・レコード会社の関係者)

 1998年7月、千葉被告とともにファーストシングル『あした』で晴れてメジャーデビューを果たしたaiko。しかし、その直後に陥った“どん底”から彼女を救い出したのも千葉被告だった。

「デビューしてすぐの頃、曲作りが上手くいかず、耳鳴りがするほどのストレスを抱えたそうです。『こんなに楽しくないなら、やりたくない』と涙ながらに吐露するaikoさんに対して、千葉さんは『槍が飛んできたら僕たちが体を張って全部受け止める。だから、その後ろで好きなことをやってください』と優しく励ましたといいます。

 それでaikoさんは再び前向きに音楽に向き合えるようになり、1999年に『花火』や『カブトムシ』といった初期の名曲を生み出すに至ったのです。プロデューサーの千葉さんと二人三脚でヒット作を生み出し、信頼関係が築かれるなかで『年賀状』の件も重なり、aikoさんは完全に警戒心を解いたのでしょう」(前出・レコード業界の関係者)

 aikoの個人事務所には、2009年に千葉被告が取締役に就任している。その後、aikoは同事務所を千葉被告と2人で長らく経営してきた。それだけ信用していたということだろう。

 裁判が行われた6月18日夜、aikoはX(旧Twitter)を更新し、〈みなさん色々心配させてもてごめんね。私は元気です!ありがとう〉と気丈につづっていた。苦しい時期の自分を支えてくれた“育ての親”の手酷い裏切りに、彼女は何を感じているのか──。

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