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認知心理学者・今井むつみさん 初のビジネス書についてインタビュー「情報をどう取り込んでどう解釈するか、が大事」

NEWSポストセブン 2024年6月23日 16時15分

【著者インタビュー】今井むつみさん/『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教える コミュニケーションの本質と解決策』/日経BP/1870円

【本の内容】
《例えば「ネコ」という言葉を聞いたときに、「自分の家で飼っている子ネコ」をイメージする人もいれば、「ハローキティ」や「トムとジェリー」に登場するキャラクターとしてのネコを頭に浮かべる人もいます》。それほどに一人ひとりが違う《知識の枠組み》《思考の枠組み》を持っているとすれば、説明しても伝わらないのも当たり前! では、どうやったら相手にわかってもらえるか──心の仕組み、伝わらない理由を易しく解きほぐしていく。

 本のタイトルに出てくる「何回説明しても伝わらない」という経験を一度もしたことがない人は、たぶんいないだろう。

『英語独習法』や、秋田喜美氏との共著『言語の本質』がベストセラーになった認知心理学者の新刊には、書店で思わず立ち止まらせ、手に取らせるだけの強さがある。

《「人は、何をどう聞き逃し、都合よく解釈し、誤解し、忘れるのか」を知ること》、《それでも伝え合えるように考えること》が、いいコミュニケーションの実現には不可欠だと今井さんは説く。

自分にビジネス書が書けるなんて夢にも思わなかった

 この本は、基礎科学の研究者である今井さんにとって、初めてのビジネス書である。

「最初に編集者から提案していただいたときは、自分にビジネス書が書けるなんて夢にも思わなかったですけど、これはいい機会かもしれないと思いました。これまでの私の本は自分の研究を紹介するものでしたから、専門である認知心理学が社会の中でどんな風に使えるのかを広くお伝えするのは面白いチャレンジかもしれない。企画書をいただいたのがコロナ禍で、たまたま時間があったことも大きかったですね」

 今井さんは慶應義塾大学SFCの教授。将来、心理学の研究者をめざす学生は少なく、卒業してビジネスパーソンになる人がほとんどなので、基礎研究ではなく、ビジネスの現場でも役に立つような、人はどう世界と向き合っているかを科学的に掘り下げる授業をしているという。人間は外界の情報をどうすくい取り、どう解釈し、どう記憶し、どう意思決定するかを、認知心理学の知見を通して解説する授業だ。

 本書でも、「話してもわからない」「言っても伝わらない」とき、どのようなことが起きているのかが、とてもわかりやすく書かれている。読み進めるうちに、伝わらないのが当たり前で、ふだん何気なく人と意思疎通できていることが奇跡のように思えてくる。

 私たちの認知は時にバイアスがかかり、記憶を書き換えることもある。そう認識したうえで、どうすれば言ったことが伝わり、言われたことが理解できるか、コミュニケーションの具体的なコツも示される。ビジネスの現場だけでなく、学校や家庭でも役立ちそうな内容だ。

「それは確かにそうですね。ふだん私はビジネスパーソンよりも学校の先生を相手に話すことが多いんですが、コミュニケーションに関してビジネスパーソンに言えることはほとんど先生にも当てはまります。もちろん、家庭でのコミュニケーションにも同じことが言えます」

 私たちの記憶容量は「1GB」ほどしかないという、アメリカの認知科学者の話が紹介されていて衝撃を受けた。コンビニで数百円出せば買える16GBのUSBメモリにもはるかに及ばない容量で、私たちは記憶を出し入れしながら日々暮らしているのか。人間には直観があり、直観を磨き続けることができるが、AIが人間から直観を奪うかもしれない、という指摘も興味深い。

 いかにも経済界が関心を持ちそうな分野なので、基礎科学である認知科学が産業とそれほど直接の結びつきがない、と書かれているのは意外に思えた。

「アメリカだと、たとえば私が学んだノースウェスタン大学の心理学部の隣にケロッグスクールという全米でトップクラスのビジネススクールがあって、そこの学生は認知心理学の授業を受けに来ていました。ビジネススクールで経済やマネジメントを学ぶには、認知心理学の知見が絶対必要だというのはアメリカでは当たり前ですが、日本ではそれほど認知されていないですね」

 ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンはもともと基礎心理学の研究者だが、経済学者と紹介されることも多いという。

「実験協力者が勝手に解釈しない」のはすごく難しい

 文章を書くとき、「何回説明しても伝わらない」を避けるテクニックみたいなものはあるのだろうか。

「私は長年、心理学の実験をやってきたんですけど、実験するときすごく大事なポイントが一つあります。それは、いかに実験協力者が指示を勝手に解釈しないように、こちらの求めることを誤解なくしてもらうかということ。当たり前のように聞こえるかもしれませんが実はすごく難しくて、例えば協力者は大学生が多いんですが、常に指示を読み違えて勝手なことをする人が出てきます。それをいかに防ぐか。相手が子どもになると、それはさらに難しくなります。

 だから、こういう質問の仕方をすると人は誤解する、ということを常に意識していますし、こちらの意図を押し付けるのでなく、相手の考えを先回りして、相手の反応を見ながら微調整していく。ずっとそういうことをしてきたので、本も、これまで実験で注意してきたことを書いただけとも言えますね」

 今年1月2日に羽田空港で起きた旅客機と海上保安庁の航空機の事故やハドソン川に不時着した旅客機の事故を取り上げたり、将棋の棋士の本を読んだり、ありとあらゆる事象にアンテナを広げ、認知心理学の研究対象になるものがあればあまねくキャッチしている。

「朝、出かける前にテレビでニュースを見て、あとは新聞のデジタル版を見るぐらいですが、犯罪事件が報道されるとやっぱり、なんでそういうことをしたんだろうと考えますね。羽田の事故もそうですし、『ハドソン川の奇跡』事件はかなり追っていて、本も映画も見ました。究極の判断をするために人はどういう学び方をするのかということをずっと考えているので、美術展に行ってもコンサートに行っても、考える種(シーズ)はいくらでもあります。

 今の学生たちは、テレビを見ないし、新聞も購読しない人が多い。情報はネットで充分だと言うんですけど、情報というのは自分の外にあって、どう取り込んでどう解釈するかは自分なんです。情報を読めば理解できる、と若い人が考えがちな点は気になっています」

【プロフィール】
今井むつみ(いまい・むつみ)/慶應義塾大学環境情報学部教授。1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。1994年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。主な著書に『ことばと思考』『学びとは何か』『英語独習法』『ことばの発達の謎を解く』など。共著に「新書大賞2024」大賞を受賞した『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』などがある。

取材・構成/佐久間文子

※女性セブン2024年7月4日号

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