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《「ほぼ裸」ポスターや立候補しない女性格闘家も》都知事選の選挙ポスター問題 「おそろしい時代」「恥ずかしい」と嘆く大人に「あたおか」と笑う小学生たち

NEWSポストセブン 2024年6月23日 16時15分

 2024年東京都知事選挙で東京都選挙管理委員会が事前に用意した掲示板のポスターを貼るスペースは48人分。ところが過去最多の56人が立候補したため足りなくなってしまった。56人全員が本気で当選を目指しているのであれば意義深い選挙となるだろうが、掲示板に並ぶポスターを見ると、そのような意識が希薄としか思えない候補者もいる。人々の生活と社会の変化を記録する作家の日野百草氏が、選挙に寄せる人々の思いを聞いた。

 * * *
「これがいまの東京なんですね」

 都内の東京都知事選のポスター掲示板を前に、80代の女性は足を止めてつぶやいた。6月20日、ついに東京都知事選が告示された。立候補者は過去最多、56人。掲示板スペースは48人分、もちろん1人1枚であっても足りない、前代未聞の選挙となった。

「おそろしい時代になったのですね」

 彼女と筆者とはもう随分と長いお付き合い、彼女の人生――子どものころ空襲に遭った、女子大を出て教師になった、ずっとこの東京に生きて、昭和・平成・令和と生きてきた。

 彼女が「おそろしい」と語るポスター掲示板、後ろで小学生たちがポスター掲示板を指して「あたおか」と笑っている。ネットスラングで使われる言葉、その意味はともかく、子供らに「あたおか」と笑われているのはポスター掲示板の大人たちだった。

「もうついていけません、なんだか悲しい」

 彼女は力なく笑った。

「面白いだけでいいのかしら」

 彼女の幼少期、この国の女性に参政権はなかった。そしてこの国には治安維持法があって、言論の自由もなかった。たとえば1940年からの京大俳句事件。〈戦闘機ばらのある野に逆立ちぬ〉こうした俳句を詠んだだけで俳人、仁智栄坊は特別高等警察という秘密警察、通称・特高に逮捕された。スペイン内乱の報道写真を見て詠んだ句だったが「皇国の敗戦を期待しているだろう」と言いがかりをつけられて有罪、収監された。同じく詠んだ句〈戦艦の鋼鉄の窓より白き吐瀉〉もまた「海軍をゲロまみれにして笑っている」とされた。若い水兵を詠んだ写生句だったが「天皇陛下に弓引く共産主義者」とまでされた。

 京大といえば京都学派の哲学者、三木清も戸坂潤もコミュニストに服や金を与えただの、唯物論者は危険だ、アカだと逮捕され、二人とも獄中で疥癬まみれになって死んだ。こうした多くの犠牲と敗戦によって私たちは言論の自由を手に入れた。負けて与えられたものという人もある。確かに勝ち取ったとは言えないし、いまなお完璧ではないが――。

 それでも、あの時代と比べれば結果「自由と平等」の国にはなった。それは違いない。NHKの朝ドラ『虎に翼』でも「あの時代」が描かれている。

「これも『平和』ということなのでしょうね、食うや食わずのお国とか、何でもかんでも捕まえて処刑するようなお国ではないから、こうした選挙ができるのでしょうね」

 こうした選挙――ポスター掲示板の半分以上がわけのわからない、都知事選とおおよそ関係ないであろう文言が並び、掲示板の大半を敷き詰めた候補者らの所属する政党では寄付行為を通して枠を一般に販売している。自分の写真でも可愛いペットの写真でも、営業目的など公職選挙法に定められた禁止事項以外はなんでもOKだ。女性格闘家は候補者でもないのに掲示板に大量に貼られたポスター上、ガッツポーズで笑っている。

 他にも4月の衆議院議員東京15区補欠選挙で暴れまくった政治団体の代表も勾留中だが出馬する。別の候補者である元市議は「ほぼ全裸」の女性の写真を女性本人が貼るパフォーマンスで告示日当日、さっそく警視庁から警告を受けた。お騒がせユーチューバーは都知事選に出ると言って撤回、供託金の300万円を返還してもらったが、結果的によい宣伝になったのではと報じられた。「選挙で遊ぶな」「落ちるとこまで落ちた」とSNSを中心に多くが嘆き、怒っている。ちなみに政見放送は全員で11時間(!)を超える。

「私が覚えているのは1980年代くらいからですね、あのころ、たくさんの政党があって、政治と関係のない、よくわからないことばかりを言う人たちが政見放送に出ていました。今回ほどではありませんけど『おかしいな』と思った始まりのように思います」

 この話、1980年代の国政選挙でUFO党、雑民党、人間党、年金党、老人福祉党、世直し党などの「ミニ政党」が跋扈した時代のことだ。その主義主張はともかく、10代ながら筆者にも「やばい」と思わされてしまうような政見放送はあった。オウム真理教の真理党は1990年の衆院選で話題となったが、その結果と末路、悲劇は周知の事実だろう。

「都知事選だと青島幸男さんですね、関西の横山ノックさんと同時に知事になられました。面白い方々でしたけど、面白いだけでいいのかしらと心配でした」

 彼女の心配の通りになってしまうわけだがそれは過去の話、しかし「お祭り都知事選」はこの青島幸男から始まったと筆者も思う。1995年、阪神・淡路大震災の年だった。先のオウム真理教により地下鉄サリン事件も引き起こされた。政治もその前年に自民党が社会党と手を組み、新党さきがけと「自社さ政権」を立ち上げて政権に返り咲いた。冷戦の終結は右とか左とかの「思想」ではなく上か下かの「金」の時代となった。バブルはとっくに崩壊、まさに失われた30年とか、40年とか言われる私たちの「いま」の端緒であった。

こんな選挙は恥ずかしい

 まさに「異様」としか表現できない今回の東京都知事選のポスター掲示板を二人で眺める、せっかくなので代わる代わる、いっしょに眺める方に話しかけてみる。

「こんな選挙は恥ずかしい、どうしてこうなったのか」(40代・会社員)

「選挙制度がおかしいし、時代にあってない、性善説じゃ無理」(50代・会社員)

「最近の国政だってそうじゃないか、いまの日本にお似合いだよ」(60代男性)

「日本人バカしかいない、面白すぎ。(観光の)外国人めちゃ笑ってた」(20代男性、学生)

「たった300万円で宣伝できるなら安いでしょう、プリウスより安い」(40代・経営者)

 異口同音、多かった感想は「恥ずかしい」だった。あくまで都知事選なので「日本」「日本人」は主語が大きい気もするが直近の自公政権の惨憺たる印象もあるのだろう。また子どもは面白がると同時に既出の通り「あたおか」とバカにしていた。「俺は違う」と言いたいところだが、大人がバカにされても仕方のない現実なのは確かだ。

 ちなみに「プリウスより安い」も確かに、と思う。新車のプリウスは一番安いグレードで約320万円(2024年6月時点)。単純比較ならプリウスを買う金額で都内一円にポスターが掲示できて、NHKで政見放送ができて、選挙公報はもちろん各種媒体で扱われる。

 代理店の広告マンに聞けば「都知事選の300万円は格安」と話す。契約期間や媒体力にもよるが全国紙なら2段1/2で300万円する。全5段(いわゆる全面広告)だと1000万円を超える。テレビコマーシャルなら億だ。重ねるが媒体それぞれ、ケースバイケースとはいえ、この都知事選の供託金300万円が「自己宣伝」と考えれば格安なのはわかってもらえると思う。まして「出馬」と騒いで告示前に取り下げればその金は返ってくる。

 選挙ポスターをまるでクイズ番組『パネルクイズアタック25』や昔の電話ボックスにあったピンクチラシのように張り巡らした党の代表はこれらを「選挙フェス」と意気込む。それを面白がる人もまたSNSには普通にいて、誰しも法を犯してはいない。かといって「選挙ポスターに無関係の人物を掲載するな」「選挙ポスターを使って寄付名目で出演料をとって稼ぐな」「ほぼ裸で載るな」と細々と規制するのも「普通しない」からしなかっただけの話であり、それこそアメリカの「猫を電子レンジで乾かさないでください」とか「チェーンソーを素手でとめないでください」を都知事選で実行されてしまった、ある意味「性善説の限界」というか「知性の限界」と言っても差し支えないだろう。

 冒頭の彼女に訪ねる。「じゃあ都知事選は行きませんか」と。しかし彼女は「それでも、選挙には行くものです」ときっぱり言った。「それでも、選挙には行くものです」。そうだ、選挙は理屈じゃなく「行くもの」なのだ。「あの時代」を知る人にとって、選挙に行かないことは何をされても構わないと同義語だ。昭和の時代に70%を超えていたこの国の国政選挙の投票率は令和の現在50%がやっと、都知事選も前回選挙で投票率55%である。

お願いだから選挙には行ってください

〈国民が政治を嘲笑している限りは、その嘲笑に値する政治しか行なわれないし、国民はその程度に応じた政府しかもちえない〉

 松下幸之助の言葉だが、国民を「都民」、政府を「都政」に替えてもいいだろう。「俺は違う」「一緒にするな」は個人の勝手だが、筆者自身はそう思わない。この東京都知事選のポスター掲示板を都民として恥ずかしく思うし、やり場のない怒りもこみ上げてくる、と同時にどうにもできない自分の力のなさに情けなくも思う。

 それでも、声は上げるべきだ。

 だってそうだろう、誰を選ぶにしろ、都知事選は私たち都民の生活がかかっているはずだ、日本全体と言ってもいい。地方税収は一部国税化されて地方法人税などは国が全国に割り当てているため、東京の稼ぎがなければ多くの地方は成り立たない。その一極集中の是非はともかく決して東京だけの問題ではない、その東京の知事を選ぶ選挙がこの有り様だ。候補者がみなそうではないことは承知だが、やはり寄付名目で選挙ポスター枠を販売したり、撤去したとはいえほぼ裸の候補者でもない女性の写真を掲載したり、やはりそれはおかしい。おかしいものはおかしい、シンプルな話のはずだ。自由と平等の目的外利用はいずれ、私たちから自由と平等を奪う。

 ネット上では「都知事選掲示板ジャックに反対します」とする有志による批判運動と署名も展開されている。すでに2万8千人(6月21日時点)が賛同した。

 個人で面白がる分には構わない、ネットでネタとして楽しむのも自由だ。それでもこうした流れにどこかで「それはおかしい」と声を上げなければ、失われた三十年は四十年どころか五十年、ずっと続くことになる。

「恐ろしい時代」――80代の彼女の記憶、その感覚は正しいと思う。筆者も一都民として「恐ろしい」と思う。この東京都知事選のポスター掲示板、ちっとも面白くなんかなく、恐ろしい。筆者はこのコラムを起こすにあたり彼女から頼まれた。「どうか『こんなことはおかしい』と伝わるように」と。また「お願いだから選挙には行ってください」とも。

 そう、都民は選挙に絶対行こう、都民の半分しか行かない選挙、それもまたおかしい。そしてもう一度、嘲笑でなく政治というものをみんなで考え直そう。「その程度」しか持ち得なかった私たちだが、「おかしい」と誤りを正すための声を上げることはできるはずだし、私たちそれぞれの一票は無駄なんかじゃない。もう左右の問題でなく、すでに上下の問題である。

 東京都知事選のポスター掲示板の有り様──これは都民の、いや私たち日本人の危機である。その端緒である。大げさでなく私たちが本当の意味で苦しむことになるであろう、恐ろしい時代に向かう、その象徴になりかねない「恐ろしい」有り様である。 

日野百草(ひの・ひゃくそう)/日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経て、社会問題や社会倫理のルポルタージュを手掛ける。

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