Infoseek 楽天

藤あや子、“推しメン”野口五郎と対談実現「すみません!!いつも家では“五郎さま”と呼んでいるもので…」

NEWSポストセブン 2024年7月3日 7時12分

「推し」とは、人にすすめたいと思うほど好感を持っている相手を指し、「推薦する」が語源。いまや何らかの推し活を楽しんでいる人は約65%にものぼり[野村総合研究所(NRI)未来創発センターによる約3600人を対象に行った調査による]、空前の推し活ブームが到来したとされるが、このブームは、通常なら推される側である著名人にも波及している。あの有名人が“推し”に会ったら……そんな夢を叶える今回の企画は、「小学生の頃から五郎さまファン」と公言している歌手・藤あや子(63才)が、彼女の“推しメン”野口五郎(68才)と対談。1970年代アイドルの舞台裏から、共に芸能界で活躍するようになって辿り着いた歌手としての境地など、深イイ話120分をノーカットでお届けします。【全3回の第1回】

「今日はお世話になります!」。待ち合わせ時間よりも30分早く、対談場所に姿を見せた藤あや子。この5月に子宮体がんの手術をしてから1か月余りしかたっていない。われわれ取材班は彼女の体調が気になったが、顔色もよく元気な様子。ハリのある声と笑顔で、スタッフ一人ひとりにあいさつをしてくれる。艶やかで女性らしいイメージがある藤だが、実際に会うと、竹を割ったような性格で姉御肌だとわかる。

 そんな藤が部屋に入り、隣の控室ですでに野口五郎が待機していると聞くと、途端にソワソワしだす。

「はぁ~、緊張する」と言いながら、室内を行ったり来たり……。そして対談時間ピッタリに野口が笑顔で登場すると、藤の緊張がマックスに──。

(キャー、五郎さまぁ~)とは、叫ばなかったものの、一段高い声で、「今日は本当にありがとうございます。よろしくお願いします」と、ごあいさつ。笑顔は絶やさないものの、緊張が伝わる。“推し”との対面は、妖艶な大人の女性をあどけない少女の顔に変えた──。

小5のときに一目でビビッときました!

〈机上には、1970年代の野口の軌跡がわかるコンサートのパンフレットや雑誌の数々が。いずれも、かつて藤が食い入るように見ていたものだ。野口のレコードや雑誌はいまや“お宝”で入手困難。古書街で知られる東京・神保町のレコード店店主によると、「野口さんのレコードはいまも大人気で、入荷しても即完売。いつも在庫不足」だという。

 そんなお宝を目にした瞬間、2人はタイムスリップした──〉

藤:懐かしい! この雑誌、持っていました。五郎さんはこのときの撮影を覚えていますか?

野口:よく覚えているよ。アメリカで撮影してね。ぼくの隣に写っているのは、有名なジャズギタリスト、ラリー・カールトン。当時はスタジオ付きのギタリストでさ、ぼくはこのとき、19才で……。

〈と、座る前から話が尽きない。ともあれ、まずは着席いただいた〉

野口:あや子さんに応援してもらっていることは知っていまして、いつも感謝していました。『NHKのど自慢』をはじめ、歌番組などでご一緒したことはありますけど、今回のように落ちついてお話しするのは初めてですね。特別なこの日にふさわしく、誰にも話さなかった話をしようかな(笑い)。

藤:きゃあ~、小学生の私に教えてあげたい。「将来、こういう日が来るからがんばりなさい」って。五郎さんは私にとって特別な存在。小学5年生の頃からずっと推しているんです。

〈同じ歌手というより、もはやいちファンの藤。緊張のせいか、ソファの端にかしこまって座り、隣の野口との間には微妙なスペースが……。

 野口は藤より5才(6学年)年上で、15才(1971年)のときに演歌歌手として『博多みれん』でデビューした。その3か月後に発売した『青いリンゴ』からアイドルへと方向転換し、これがヒット。以降、筒美京平さんや馬飼野俊一さん、佐藤寛さんら、人気作曲家とタッグを組み、怒濤のヒットを飛ばしていく。同時に、1972年にデビューした故・西城秀樹さん(享年63)、郷ひろみ(68才)らとともに“新御三家”と名付けられ、トップアイドルの道を歩み始める。藤が野口に魅了されたのは“新御三家”誕生の頃だ〉

藤:当時は、歌番組が多かったですし、毎日どの番組を見ても五郎さま、いえ、五郎さんが出演されていて──すみません!! いつも家では“五郎さま”と呼んでいるもので、つい……小学校では、「あなたは誰派?」という話で盛り上がっていました。私はもちろん五郎さま派。テレビで見てビビッときましたね。子供心に五郎さまだけ、ほかのどのアイドルとも違うと感じました。声も雰囲気も段違いで、憂いがある。10代にしてあの哀愁……ありえません。

〈プロ野球ファンの父親とのチャンネル争いに勝つと、藤は正座してテレビを独占。歌番組にかじりついたという〉

藤:当時は新曲が3か月に1回出るんです。レコード店で毎回予約するから常連になって、店長から「1日早く届いたから取りにおいで」なんて融通をきかせてもらいました。だから発売日の前日には歌詞を覚えて、翌日の発売日には、学校で誰よりも早く歌を披露していました。部屋中にポスターを貼って……。天井にもポスターを貼っていました。眠る前は必ず五郎さまと目が合うように(笑い)。

野口:うれしいなあ。そうそう、当時は新曲が出るのが早かったんだよね。

藤:あれほどのスケジュールで休めていたんですか?

野口:デビューから何年も休めなかったですね。一度、悪天候で飛行機の飛ばない日があって、そのときはステージが休演に。それで1日だけお休みをいただいたことがありました。

藤:じゃあ、睡眠時間も……。

野口:当時は週に50本以上歌番組があったから、ほとんど寝ていなくて……。スタジオの暗幕を体に巻き付けて、出番がくるまでミノムシみたいに立ったまま眠ったこともあったくらい。わずかな時間でも熟睡できるようになったんだけど、出演直前に起こされるから、実は寝起きで、目が腫れたままテレビに出たこともあったっけ(笑い)。

藤:は~、すごいです!

最推しの一曲は『オレンジの雨』

野口:それにしても、小学校でぼくの歌を歌ってくれたってことは、あや子さんも歌手を目指していたの?

藤:はい、藤あや子としてのデビューは28才と遅かったのですが、幼い頃から歌が好きでずっと歌手になりたかった。演歌の道を選びましたが、五郎さまのご活躍を見てアイドルに憧れた時期もあったんですよ。

〈そんな藤が何度も歌い、最も魅了されたのが『オレンジの雨』だという〉

藤:『オレンジの雨』は、繊細でやさしいそれまでの五郎さまのイメージを一変する衝撃的な曲でした。“おれについて来い”って上から目線で訴えかけるようなタイプの曲で……。当時は珍しかったですよね。

野口:ぼくも驚いたよ。この曲はレコーディングの日のこともよく覚えています。横浜音楽祭の本番を終えて夜、帰ろうと思っていたら、マネジャーから、「これからレコーディングです」と言われて……。しかも作曲を担当してくれた筒美京平先生が立ち会うという。ありがたいんだけど、京平先生が来るとレコーディングが長くなるんだよね(笑い)。

藤:相当お疲れでしたよね。それでも、あれほどのクオリティーで歌えるんですね。

野口:サビの部分のビブラートは、あえてデフォルメした歌い方にしてみたんだよね。普通に歌えば、「♪オーレンジの雨の中」となるところを「♪ウォオーレンジの雨の中」と歌ってみた。そうしたら、京平先生もおもしろがってくれてね。

藤:当時は、そんなふうにビブラートを自在にきかせられるアイドルはほかにはいませんでした。“こぶしをまわせるアイドル”は本当に五郎さまだけ!

野口:(笑い)そんなふうに言い切ってくれる、そういうところだよ、ぼくがあや子さんのこと、かっこいいなぁ、男前だなぁ、と思うのは。

藤:いえいえ(照れ)。そんな……うれしいです(照れ)。

(第2回につづく)

【プロフィール】
野口五郎/1971年5月1日、15才のとき『博多みれん』でデビュー。その後、『オレンジの雨』(1973年)、『私鉄沿線』(1975年)など、数々のヒットを飛ばし、1970年代を代表するアイドル“新御三家”のひとりとして活躍。2022年に、桑田佳祐ら同級生5人と『時代遅れのRock’n’Roll Band』のレコーディングに参加。今年6月からコンサートツアー「Follow Your heart~こころのままに~」もスタート。

藤あや子/1989年、28才のときに藤あや子の名でデビュー。『おんな』(1989年)や『こころ酒』(1992年)がヒット。日本有線大賞などを受賞。料理が得意で、無類の猫好きとしても知られ、2020年には2匹の愛猫との写真集『マルとオレオと藤あや子』(世界文化社)を刊行。7月3日に新曲『雪の花』発売。9月8日に35周年記念コンサートを福井県・高浜町文化会館 大ホールで開催。

取材・文/上村久留美 撮影/政川慎治

※女性セブン2024年7月11・18日号

この記事の関連ニュース