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【私の推しメン対談・藤あや子✕野口五郎】明かされる1970年代アイドルの裏側 「一度、百恵さんにアドバイスをしたことがあります」

NEWSポストセブン 2024年7月4日 6時58分

 あの有名人が“推し”に会ったら……そんな夢を叶える今回の企画。「小学生の頃から五郎さまファン」と公言している歌手・藤あや子(63才)が、彼女の“推しメン”野口五郎(68才)と対談した。第2回では、野口が1970年代アイドルの舞台裏を明かす。【全3回の第2回。第1回を読む】

『スター誕生!』がアイドルを作った

〈“推し”という言葉の流行は、アイドル(AKB48)ファンが自分の好きなメンバーを「推しメン」と呼んだことから始まった。つまり、推す対象は“アイドル”が発端だったわけだが、このアイドルの先駆的存在のひとりこそ野口だった〉

野口:いまでは、アイドルというジャンルが定着して、アイドルを目指す人が多いけれど、ぼくがデビューした時代は、アイドルという存在がこれほど大きくなるなんて思ってもみなかった。だから、自分が“新御三家”と括られて、アイドルとして活躍させてもらうことは、ありがたいことではあったけれど、素直に喜べない部分もあったんですよね。ぼくは、森(進一)さん(76才)や五木(ひろし)さん(76才)みたいなスターになりたかったわけだから。それで当時は、“アイドルはスターの予備軍”だと思っていました。それは、ぼくだけじゃなくて秀樹もそうだったんじゃないかな。

藤:初耳です。五郎さんがアイドルについてそう考えていたなんて。

野口:ぼくがデビューした年に始まったスカウト番組だって、タイトルは『スター誕生!』(日本テレビ系/1971~1983年放送)でしたよね。でも、この番組がいまに続くアイドルを生んだ。

藤:私はあの番組を見て、山口百恵ちゃん(65才)のファンにもなり、アイドルを目指したんです。当時はどうしたらデビューできるのかわからなかったので、あの番組が“希望”でした。でも、地元秋田では、なかなか開催されなくて……。

〈『スター誕生!』(以下『スタ誕』)は、視聴者参加型歌手オーディション番組だ。はがきで応募した500~700人が参加し、地方予選は年10回ほど開催された。藤の言う通り、地方開催は少なかった。予選を勝ち抜いた5~7人の挑戦者が歌合戦形式で競い、合格者がデビューできた。この番組から森昌子(65才)、桜田淳子(66才)、山口百恵をはじめ、小泉今日子(58才)、中森明菜(58才)などがデビュー。最高視聴率は28・1%を記録し、まさに国民的オーディション番組となった〉

野口:あの番組がアイドルの形を大きく変えました。ぼくの時代までは、師匠についてレッスンをした者がデビューできて、そこから“スター”を目指した。歌手は歌でのみ勝負するものだから、アクション(振り付け)は厳禁。むしろ、動くと師匠に怒られた。「歌だけで勝負できないのか、前川清さん(75才)を見てみろ」って(笑い)。でも、『スタ誕』でデビューするのは、レッスンをしていない素人。しかもその子たちには必ず振付師がつくんです。ここから歌って踊れるアイドルが出てくるんですよ。踊るどころか動くなと言われてきたぼくも、そういったアイドルたちの中に入っていかないといけない。かなり葛藤がありましたね。ぼくは当時、芸能界での線路が見えなかった。単に音楽が好きで、人のためになれればいいと思っていた。アイドルになるなんて思ってもみなかったけど、いま振り返ってようやく、すべてがまっすぐな道だったんだと気づけました。

藤:知りませんでした……。でもそうやって、スターとアイドルの間に立って鍛えられたからこそ、ほかのアイドルとは、表現力や歌唱力が違うんですね。五郎さんの歌を聴いていると、歌詞が沁みて、まるで映画を見ているように引き込まれますから……。だから五郎さんはアイドルと呼ばれた時代から、スターだったと私は思います。

野口:ありがとう(笑い)。当時デビューしたアイドルたちもすごかったんだよ。オーラが違う。『スタ誕』のオーディションは、実はぼくも現場でよく見せてもらっていて、桜田淳子ちゃんなんて、オーディション会場で大勢いるアイドルの卵たちの中でもひと際目立っていた。ぼくが「あの子はなんか違うね。売れそう」と言ったらその通りになった(笑い)。

『横須賀ストーリー』で山口百恵にアドバイス

藤:すごいお話ですね。当時の私は、『明星』や『平凡』などの雑誌をよく読んでいましたが、“新御三家”の皆さんは、森昌子さん、桜田淳子さん、山口百恵さんら“花の中三トリオ”とよく共演していましたよね。とても仲よさそうで……。結構交流があったんですか?

野口:いや実はね、アイドル同士の交流はほとんどなかったの。特に女性アイドルとは、お互いに忙しすぎてしゃべった記憶がない。雑誌には対談記事も載るけれど、あれも常に同行していた記者たちが、ぼくたちの言葉を集めて記事にまとめていたんだと思います。

藤:そうなんですね。意外。

野口:でも一度、百恵さんにアドバイスをしたことがあります。百恵さんのジャケット写真を撮影していた写真家の林秀次郎さんから、「彼女のコンサートの内容を見てほしい」と言われ、お話しする機会をいただいたんです。

藤:どんなアドバイスをされたのですか。

野口:歌い方を提案しました。『横須賀ストーリー』(1976年)の歌い出し、「♪これっきりですか」の「ですか」の部分は、「ですゥか」となりがちだけど、ウを発音すると汚く聞こえるから、「ですか」とした方がいいと──。

藤:たしかに! 私も以前、この歌をカバーさせていただいたことがあるんですが、あの部分、難しいんですよ。

野口:聞こえ方を意識するのが大切だと思うんです。「がぎぐげご」もダメ。「んがぁ、んぎぃ、んぐぅ、んげぇ、んごぉ」という具合に鼻濁音で発するようにもアドバイスしました。実は後日談があって、百恵さんの息子さんの三浦祐太朗くん(40才)にお会いしたとき、彼も「がぎぐげご」にこだわった歌い方をしていて、「母から教わりました」って……。それを百恵さんに教えたのはぼくだよって、うれしくなりましたね。

藤:アドバイスが受け継がれていくのは素敵ですね。私の師匠は作曲家の猪俣公章先生なんですが、いろいろなことを教えていただきました。たとえば、先生はよく、「歌は歌うんじゃなく語る、逆に詩は歌うんだ」とおっしゃっていました。21才のときにそう言われたもののピンとこなくて、でも忘れないでいたら、最近ようやくその感じがつかめるようになりました。

笑いも音楽と同じでリズムが大切!

野口:師匠や先輩からのアドバイスって本当にありがたいですよね。ぼくも先輩からいろいろ教えていただきました。たとえば、『カックラキン大放送!!』(日本テレビ系/1975~1986年放送)にレギュラー出演したときは、“笑い”について学ばせてもらいました。当時のバラエティー番組は、制作スタッフが皆、音楽に詳しい人たちだったんです。ぼくは歌の世界でやってきたから笑いがよくわからない。でも、スタッフの顔色を見て、彼らが笑えばおもしろいんだとわかるように。で、彼らはどんなときに笑うかというと、リズムがいいときなんです。

藤:笑いはリズムだった!?

野口:そう、歌も笑いもリズムなの。でもそうじゃなければぼくにバラエティーはできなかったと思う。リズムが崩れたら失笑される。笑われてはダメ、笑わせないとダメなんです。

藤:五郎さまは、歌だけでなく笑いのセンスもあるって思っていましたが、音楽と同じようにリズムを計算されていたからなんですね。

野口:堺正章さん(77才)と共演してから、よりリズムを意識するようになりました。あるコントで、荷物を片手に堺さんが電話を取ると、それは秀樹からの電話で、「五郎くん、五郎くん、秀樹くんから電話だよ」と言う場面がありました。それを受けてぼくが、「ぼくはここです」と言い、堺さんがこけるという筋書きなんだけど、リハーサルでは何も考えずに答えたら、堺さんから「五郎、それじゃあ、こけられないよ」と。で、気づいたんです。ぼくが自分のせりふにリズムをつけなかったのがいけなかったんだと。そこで「ゴローくん、ゴローくん……」という堺さんのせりふのリズムに合わせて答える。その結果、堺さんは見事にこけてくれました。

藤:そこまで計算して笑いを作っていたんですね。

野口:そう。ドアをノックするにも、「16分音符と16分休符を組み合わせて叩いて」って言われる。リズム感が問われるんです。

藤:驚きです!

(第3回につづく。第1回を読む)

【プロフィール】
野口五郎/1971年5月1日、15才のとき『博多みれん』でデビュー。その後、『オレンジの雨』(1973年)、『私鉄沿線』(1975年)など、数々のヒットを飛ばし、1970年代を代表するアイドル“新御三家”のひとりとして活躍。2022年に、桑田佳祐ら同級生5人と『時代遅れのRock’n’Roll Band』のレコーディングに参加。今年6月からコンサートツアー「Follow Your heart~こころのままに~」もスタート。

藤あや子/1989年、28才のときに藤あや子の名でデビュー。『おんな』(1989年)や『こころ酒』(1992年)がヒット。日本有線大賞などを受賞。料理が得意で、無類の猫好きとしても知られ、2020年には2匹の愛猫との写真集『マルとオレオと藤あや子』(世界文化社)を刊行。7月3日に新曲『雪の花』発売。9月8日に35周年記念コンサートを福井県・高浜町文化会館 大ホールで開催。

取材・文/上村久留美 撮影/政川慎治

※女性セブン2024年7月11・18日号

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