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【竹原慎二の元ライバル】「止められる悔しさ」を知るレフェリーはなぜ「ストップ」が早いのか トップ選手だから見抜ける「ボクサーのダメージ」とは

NEWSポストセブン 2024年7月5日 11時15分

 ボクシングのWBA世界スーパーフライ級王者の井岡一翔が、2団体(WBA・IBF)統一王者を目指すタイトル戦が7月7日に開催される。井岡が勝てば、スーパーバンタム級主要4団体統一王者の井上尚弥、ライトフライ級2団体統一王者の寺地拳四朗に次ぐ3人目の現役統一王者の誕生となる。

 その勝負の帰趨に大きく関わるのが選手と同じリング上で試合をさばくレフェリーだ。「選手の命を守る最後の砦」という重責を担うレフェリーは、時にはパンチを交わす2人の間に割って入り、試合を止めることもある。日本のボクシングジム所属として初めてJBC(日本ボックシングコミッション)の外国人レフェリーとなったビニー・マーチン氏(元日本チャンピオン)に、スポーツを長年取材する鵜飼克郎氏が聞いた。(全3回シリーズの第2回。文中敬称略)

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 JBCの外国人レフェリー、ビニー・マーチンは元プロボクサーで、27戦18勝(7KO)7敗2分の戦績を持つスーパーウェルター、ミドル両級の元日本王者でもある。

 デビューはミドル級で、同時期に同じ階級でデビューしたのが竹原慎二。のちに無敗のまま世界チャンピオンになった天才ボクサーとの初対戦はデビューした1989年の暮れ、東日本新人王決定戦だった。マーチンは判定負けを喫した。3年後の1992年8月に日本ミドル級タイトルマッチの挑戦者として竹原に挑むが、またしても判定負け。竹原は3度目の王座防衛を果たした。

 竹原が4度目の防衛後に王座を返上したことで、日本ミドル級王者の挑戦権を手にしたマーチンは、1993年4月に日本ミドル級王座決定戦でKO勝ち。日本ボクシング界初のガーナ人王者となった。この快挙は母国の新聞にも大きく載った。

 だが、4か月後の初防衛戦に敗れて王座陥落。直後に交通事故でむち打ちになってしばらくリングに上がれなかったが、マーチンは諦めなかった。ジュニアミドル級(現スーパーウェルター級)に階級を下げて復帰すると、交通事故から3年後の1996年6月に日本ジュニアミドル級の王座決定戦で判定勝ちし、2階級を制した。竹原がWBA世界ミドル級の初防衛戦前の公開スパーリング相手にマーチンを指名したことも話題になった。

 1998年に現役を引退後、彼が次に選んだのがレフェリーとしてのボクシング人生だった。

「ストップが早いレフェリー」の矜持

 今やJBCを代表する審判員であるマーチンのレフェリーデビューは、四半世紀前の1999年6月5日。ボクシングの聖地・後楽園ホールで14歳の選手同士の対戦だった。

「ジャッジを何試合か担当してから、レフェリーを務めることになったが、ものすごく緊張したのを覚えています。レフェリーに止められて負けた経験が自分にはたくさんあったから、止められる選手の悔しさがよくわかる。でも、選手生命を潰すようなレフェリングは絶対にダメだ。そんなことを考えながらリングに上がりました。

 嬉しくて仕方がなかった選手時代のデビュー戦とは違い、人の命を預かる立場ということで、1発のパンチも見逃してはいけない。自分が試合するほうが10倍も20倍も楽だった」(ビニー・マーチン、以下同)

 レフェリーには試合を止める権限が与えられている。レフェリーは選手のダメージを見ながら試合をコントロールするが、早めにストップをかければ選手やセコンド、そしてファンからも文句が出る。

 審判としてのキャリアはすでに25年を迎えるが、マーチンは「ストップが早いレフェリー」と評されている。

「最初は“早すぎる!”とかなり言われました。私もボクサーをやっていた時に“まだ闘えるのに、なぜ止めるんだ!”と思った試合はあります。ただ、現役を引退してからの人生のほうが長い。審判員を始めて半年ぐらいした頃から“レフェリーは選手の命を守らないといけない”と強く思うようになりましたね」

 マーチンによれば、「ストップされた選手はあまり文句を言わない」という。ファンも言わない。激しいクレームをつけるのはセコンドだ。

「選手に試合を続けさせてやりたいという気持ちはわかります。レフェリーをやっていて、そこが一番難しかったですね。(ボクシングに関する著作が多い)作家でスポーツライターの佐瀬稔さんは『遅すぎるストップはあっても、早すぎるストップはない』と話していましたが、すばらしい表現だと思います」

 レフェリーを長く続けていくうちに、その考え方に自信がついた。トップ選手だったからこそ、目の前にいるボクサーのダメージがわかる。

「判断が難しいのはダウンのカウントです。8カウントで立ち上がった選手のグローブを持ってファイティングポーズを取らせます。でも腕に力が入っていない、あるいは目線が定まっていないようなら、私が2歩ステップバックして、“こっちに歩いてこい”とジェスチャーします。選手が1歩、2歩と進んでもう一度ファイティングポーズを取れば続行させますが、少しでもグラッとしたら無理をさせない。セコンドは“まだできる! 続けさせろ!”と怒鳴るかもしれませんが、私は躊躇なく試合をストップさせます」

スリップか、ノックダウンか

 スリップダウンかノックダウンかもレフェリーの判断だ。

 ノックダウンは「足の裏以外がリングについた状態」で、レフェリーはカウントを始める。10カウントまでに立ち上がってファイティングポーズを取れなければKO(ノックアウト)となる。スリップダウンは相手のパンチが当たっていないのに自分で足を滑らせて尻もちなどをつくケース。レフェリーは試合を止めて「スリップダウン」を宣言する。当然、ダウンカウントはない。

 だが、相手の攻撃で倒れたのか、自分でバランスを崩したのかが微妙なケースもある。その判定がトラブルになることは少なくない。

「選手は“ダメージを受けていない”とアピールするし、セコンドも“(相手のパンチが)当たっていない!”と猛抗議します。ノックダウンかどうかはジャッジの採点に繋がるので当然のことです。微妙なケースはレフェリー次第。研修では最も時間をかけて指導される、レフェリー泣かせのシーンのひとつです」

 B級、A級にステップアップしても、常に審判員研修がある。ルール改正や特殊なケースを設定して審判員が状況を説明する。また、実際の試合のビデオを観て採点したうえで、次はスロー再生映像で同じ試合を採点する。さらに「このラウンドをどう判断したのか」「このパンチは有効打かどうか」といった点をディスカッションする。

 審判員たちはそうやってレベルアップを続けている。

日本ミドル級王者から「命を助けてくれてありがとうございました」

 KOは「ボクシングの華」といわれるが、レフェリーにとっては最も神経を使うシーンだ。ダウンする前にストップすると「早過ぎる」と批判されるが、意識朦朧としてサンドバック状態にさせてしまうと「手遅れ」となる。

「激しい打ち合いになると選手のダメージを見ます。これはレフェリーにしかできない。続行が無理だと判断したら、両者の間に割って入る前に“スト〜ップ!”と大声をあげる。この判断を瞬時にできるレフェリーこそ一流だと思います」

 判断は必ずしも打ち合いの場面とは限らない。前のラウンドに多くパンチを浴びた選手であれば、1分間のインターバルで様子を観察する。ダメージが大きい場合は、次のラウンドで防戦一方になった時点で試合を止めることもある。

 印象深い試合をマーチンに訊ねると、「2013年8月の日本ミドル級タイトルマッチ」と即答した。やはりレフェリーストップが絡む試合だ。

 王者・胡朋宏の初防衛戦で、対戦相手はミドル級1位の中川大資。中川はすでに日本2階級制覇を成し遂げていた実力者だ。結果は7ラウンド2分56秒で胡がKO負け、王座から陥落した。7ラウンド残り4秒の場面で、マーチンは胡のダメージが大きいと判断して試合を止めた。胡はダウンからかろうじて立ち上がったが、マーチンは両手を頭上で交差してレフェリーストップしたのだ。

「胡選手は何も言わなかったが、セコンドからは“早すぎる”と猛抗議されました。ところが後日、胡選手が私のところに来て、『命を助けてくれてありがとうございました』と頭を下げたのです。試合をやっていた選手はわかるのでしょう」

 それから3年後、胡は日本ミドル級王者に返り咲いた。

「本当に嬉しかったです。あの試合をストップさせたことで次があった。ボクシングはあくまでもスポーツ。ファンやセコンドが騒ごうが、レフェリーは選手の命を守らないといけない。引退してからも長い人生が残っているのですから」

(第3回に続く)

※『審判はつらいよ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成

【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。『週刊ポスト』記者として、スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材活動を重ね、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープで話題を集めた。主な著書に金田正一、長嶋茂雄、王貞治ら名選手 人のインタビュー集『巨人V9 50年目の真実』(小学館)、『貴の乱』、『貴乃花「角界追放劇」の全真相』(いずれも宝島社、共著)などがある。ボクシングレフェリーのほか、野球、サッカー、大相撲など8競技のベテラン審判員の証言を集めた新刊『審判はつらいよ』(小学館新書)が好評発売中。

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