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【結成60周年】高木ブーが振り返る「ザ・ドリフターズ」の時代 「加トちゃんと2人になったけど忘れないでほしい」

NEWSポストセブン 2024年7月18日 7時15分

 ザ・ドリフターズが結成60周年を迎える。『8時だョ!全員集合』(TBS系)でお茶の間の話題を席巻した大人気グループとその次代について、メンバーの高木ブーさん(91)が振り返る。

お化け番組の陰にあった過酷な1週間

 1970年代の子供たちにとって笑いの神様だった「ザ・ドリフターズ」は、1964年9月にコミックバンドとして結成された。笑いを盛り込みながらロカビリーやロックンロールを演奏し、1966年のビートルズ来日公演では前座も務めた。

 結成60周年を迎え、メンバーの高木ブーさんは「『8時だョ!全員集合』(TBS系)がやはり転機でした」と振り返る。1969年10月4日、土曜8時に始まった同番組は、わずか4か月後に最強の裏番組『コント55号の世界は笑う』(フジテレビ系)の視聴率を追い抜いた。人気沸騰の理由を高木さんはこう語る。

「公開生放送で、あの大がかりなセットでコントをやろうなんて考える人は誰もいなくて、それにあえて挑戦したことかな。メンバーの年齢がバラバラで、それぞれの個性や役割みたいなものが明確にあったから、観ている皆さんにわかりやすかったのだと思います」

 コントやギャグに子供たちは大笑いし、スタッフがセットを片付ける様子にも目を見張った。1971年1月と1973年4月に視聴率50%超えを記録。お化け番組となったが、その陰には過酷な1週間があった。

「魔の木曜日は翌週の『ネタ会議』。毎回毎回、産みの苦しみで、今でも夢に出てくるほど。金曜は翌日のリハーサル、そして土曜が本番。日曜と月曜は地方巡業。ドリフターズで少なくとも日本3周くらいしていると思います(笑)。月曜と火曜は他の仕事が入り、休みはほとんどなかった」(高木さん)

「8時9分半だョ!全員集合」となった停電事件

 荒井注さんが脱退し、ボーヤ(付き人)だった24歳の志村けんさんが1974年4月に正式加入。「東村山音頭」「ヒゲダンス」など、新しい笑いを生んで、番組を引っ張っていった。

 番組が幕を下ろした1985年9月28日までの16年間には生中継ならではのアクシデントも。1984年6月の“停電事件”では、

「放送直前に会場がいきなり停電。しかし中継カメラは外の電源車から電気をとっていたので、真っ暗なまま放送されてしまいました。スタッフが懐中電灯を用意してくれてゲストを紹介し、不安定な照明の中、『8時9分半だョ!全員集合』と無事スタートしました。9分の間をつないだ長さんは本当に大変だったと思います」(同前)

 このたび60年の歴史をたどる展覧会が開催されるにあたり、高木さんは最後に力強くこう語った。

「加トちゃんと2人になってしまったけど、ドリフターズのことを忘れないでほしいです」

■結成60周年記念 「ザ・ドリフターズ展」
7月18日~8月5日/東京・松坂屋上野店6階催事場にて開催。貴重な資料とともに歴史をたどり、新発掘のお宝小道具などを紹介。

写真/イザワオフィス・フジテレビ

※週刊ポスト2024年7月19・26日号

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