2024年は“戦後のヒーロー”力道山生誕100周年のメモリアルイヤー。様々なメディアで生前の功績にスポットライトが当てられているが、亡くなった「その後」についてはあまり語られていない。
力道山の妻・田中敬子さん夫の遺した会社の相続という難題を突きつけられる。最初は「無理だ」と困惑していたが、彼女の決断は意外なものだった。ノンフィクション作家・細田昌志氏の新刊『力道山未亡人』ではその時の敬子さんの思いが初めて明かされている。(前後編の後編。前編から読む)
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「無理です。到底つとまるはずがないです」
慌てて言うと、佐瀬は「仕方ないなあ」という顔をしながらこう説明した。
「奥様、これは相続なんです。法的にそうするより方法がないのです。それとも、相続を放棄なさいますか」
また、こうも付け加えた。
「ご長男が高校生、ご次男が中学生となると、奥様が一度、社長職をお継ぎになって、その後、ご長男が大学を卒業された頃に、しかるべき対応を取られてはいかがでしょう」
言わんとすることはわかる。それでも、即答しかねた。遺産の内訳を見たら一目瞭然である。
リキアパート(時価三億円)、リキマンション(時価三億円)、リキ・スポーツパレス(時価五億円)、渋谷区松濤の土地(時価八千万円)、相模湖畔五十二万坪の土地(時価十五億円)、箱根二千八百坪の土地(時価一億二千万円)、三浦半島・油壺二千六百坪の土地(時価五千万円)、生命保険三千万円。合計約三十億円。現在の価値にして約百億円となる。
「そこまで責任を負う必要はない」
これに相続税がかかって約二十一億円が引かれると、約九億円が手許に残る──というわけにはいかない。力道山は相模湖畔にレジャーランドの建設に着手していた。ゴルフ場、遊園地、レース場、ホテルの大計画で費用は十七億円、この頃、まさに工事に入ろうとしていた。
すなわち、力道山の遺産を相続するというのは、自動的に約八億円(現在の価値で約三十億円)の負債を背負うということだ。
未亡人である敬子には、相続を放棄するという手もあるにはあった。事実「お腹の子は茅ケ崎の両親に預けて、あなたはスチュワーデスに戻ればいい」と言う人もいた。
「上の三人は実子じゃないんだし、結婚半年の二十二歳の未亡人が、そこまで責任を負う必要はない」というわけだ。正論と言えば正論かもしれない。
しかし、敬子はそれは考えなかった。
「そんな無責任なことは出来ないでしょう。みんな路頭に迷ってしまう。千恵ちゃんは短大を辞めなきゃいけなくなる、よっちゃんとみっちゃんは、私立から公立に転校しなきゃなんなくなる。『そんなことを、あの人は絶対に望んでない』って思ったんです」(田中敬子)
敬子は社長を引き受けることにした。