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その打棒はとんでもない!清原和博氏が“打てる投手”として即答したガルベス 桑田真澄や斎藤雅樹どころか野手をも凌駕する驚異の本塁打率

NEWSポストセブン 2024年7月9日 7時15分

 7月6日にBSフジで中継されたヤクルト対巨人戦(神宮球場)で、清原和博氏(元西武、巨人)が真中満氏(元ヤクルト)とともに解説を務めた。3回裏、ヤクルト・高橋奎二投手の打席中、真中氏に「清原さんの時代もジャイアンツのピッチャー、バッティング良い選手多かったですよね」と振られると、清原氏は「ガルベスなんか、とんでもないと思いますよ」と即答した。

 清原氏が巨人にFA移籍した1997年当時、斎藤雅樹や桑田真澄という打撃力のある投手もいた。その中で、なぜガルベスの名前を挙げたのか。松木安太郎研究家でライターの岡野誠氏が「清原氏がガルベスと即答した理由」を、当時のデータをもとに考察する(以下、敬称略。所属は当時)。

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 1990年代の巨人でバッティングの良い投手といえば、斎藤雅樹や桑田真澄を思い出す人も多いだろう。高校時代から打撃の評価も高かった2人は入団後、投手から野手への転向も噂されていた。桑田は清原とPL学園の同級生で、1年生の1983年夏から5大会連続で甲子園に出場。清原の13本塁打に次ぐ歴代2位タイの6本塁打を放っている。巨人入団後も2年目に2ホーマーを記録。“打てる投手”として名を馳せていた。

 そのため、清原は桑田の名前を挙げるかと思われたが、「ガルベス」と即答した。まず、1996年入団のガルベスを含む3人の通算打撃成績を並べてみよう。

桑田真澄:890打数192安打 7本塁打 79打点 打率.216(実働20年/1986年入団)
斎藤雅樹:744打数123安打 5本塁打 57打点 打率.165(実働18年/1983年入団)
ガルベス:259打数39安打 10本塁打 30打点 打率.151(実働5年/1996年入団)
 
 打数に開きがある中で、打率トップは2割超えの桑田。投手の歴代最多本塁打の金田正一の.198、3打席連発の離れ技を演じた堀内恒夫の.172、シーズン3ホーマーを3度も記録した江川卓の.187という巨人の先輩エースたちを上回っている。1992年7月9日の中日戦(札幌)では先発の山本昌広から野手は1本もヒットを打てなかったが、桑田だけが2安打をマーク。日本一に輝いてMVPを受賞した1994年には打率.288と打撃でも貢献している。

1997年のガルベスの長打率は吉村・福王より高かった

 では、なぜ清原は「ガルベス」と答えたのだろうか。清原がFAで西武から移籍してきた1997年の打撃成績を比べてみよう。

■1997年の打撃成績(ガルベス・斎藤・桑田)
ガルベス:65打数15安打3本11打点 打率.231
斎藤雅樹:41打数7安打0本5打点 打率.171
桑田真澄:43打数5安打0本0打点 打率.116

 この年、斎藤はヤクルトとの開幕戦で、広島から移籍してきたばかりの小早川毅彦に3打席連続本塁打を浴び、4月下旬には右上腕二頭筋の炎症で登録抹消。約1ヶ月後に復帰したが、不調が続いた。桑田は右ヒジ側副靱帯断裂から2年ぶりの復活を果たしたが、100球までの球数制限があった。そのため、打席に立つ機会が減っている。一方、ガルベスはリーグ最多の8完投、リーグ2位の192回3分の1を投げており、打席数はセ・リーグ投手の中で2番目に多い70を数えた。同年、ガルベスと同じくらい打席に立った巨人の野手と比べてみよう。

■1997年の打撃成績(吉村・ガルベス・福王)
吉村禎章:62打数16安打1本14打点 打率.258(69打席)
ガルベス:65打数15安打3本11打点 打率.231(70打席)
福王昭仁:68打数12安打3本3打点 打率.176(76打席)

 ガルベスの打撃成績は代打の切り札である吉村と遜色なく、左の代打である福王を上回っていた。しかも、長打率は.415と2人より高く、この年巨人に移籍してきた石井浩郎の.425に迫る勢いだった。その上、3ホーマーも効果的な場面で飛び出している。

■1997年のガルベスの本塁打
(試合日、スコア、対戦相手、投手、本塁打種類、打球方向、推定飛距離)
6月10日:○5対3 横浜・戸叶尚 勝ち越し3ラン 中横120メートル
9月15日:×2対4 ヤクルト・川崎憲次郎 1点差に迫るソロ 左125メートル
9月28日:○3対0 中日・今中慎二 先制ソロ 右110メートル

 9月28日の中日戦では、6回に先制ソロを逆方向のライトへ叩き込んでいる。この日は宮本和知の引退試合だったが、ガルベスは7回を終わっても中日打線をノーヒットに抑えていた。そのため、宮本は投手ではなく、代打出場の準備をする事態となった。結局、ガルベスは8回1死から代打・愛甲猛に打たれ、最後は宮本にマウンドを譲ったが、主役の座を奪うような快打と快投を見せた。

1999年、ガルベスが1本塁打あたりに要した打数は清原より少なかった

 翌年7月31日、甲子園での阪神戦でガルベスは判定に何度も苛立ちを見せ、6回の投手交代の際、橘高淳球審にボールを投げ付けた。これによって無期限出場停止に。その影響もあり、1998年は打率.102、1本(横浜・川村丈夫から)、4打点に終わっている。だが、開幕投手に選ばれた1999年、再び打棒が爆発する。この年の3人の成績を比べてみよう。

■1999年の打撃成績(桑田・斎藤・ガルベス)
桑田真澄:36打数8安打0本2打点 打率.222
斎藤雅樹:30打数6安打0本3打点 打率.200
ガルベス:70打数10安打4本11打点 打率.143

 桑田や斎藤は「打撃の良い投手」という評価通りの打率を残しているが、ガルベスの規格外のパワーとインパクトが上回った。1999年の4ホーマーの内訳はこうなる。

■1999年のガルベスの本塁打
(試合日、スコア、対戦相手、投手、本塁打種類、打球方向、推定飛距離)
5月15日:×4対7 横浜・戸叶尚  4点ビハインドでソロ 右120メートル
5月21日:○6対4 阪神・吉田豊彦 先制満塁ホーマー 左110メートル
8月13日:○8対5 横浜 川村丈夫 逆転満塁ホーマー 左140メートル
8月27日:○5対1 広島 佐々岡真司 1点リードで2ラン 右115メートル

 投手として史上初のシーズン2本の満塁弾を叩き込んでいる。1本は広い甲子園のレフトスタンド、1本は横浜スタジアムのレフト場外に運んだ。他の2発はライトへ流し打っている。投手のシーズン4本塁打以上は1977年の松岡弘(ヤクルト/5本)以来だった。この年、ガルベスは70打数4本塁打で、17.5打数に1本の割合でホームランを放っていた。巨人の他打者と本塁打率(1本塁打あたりに要した打数)を比較してみよう。

■1999年の巨人の本塁打数と本塁打率
(4本塁打以上を対象。本塁打率は小数点2位を四捨五入)
松井秀喜:42本 11.2
高橋由伸:34本 13.4
マルティネス:16本 16.4
石井浩郎:11本 16.9
ガルベス:4本 17.5
清原和博:13本 20.2
二岡智宏:18本 23.2
村田真一:9本 26.3
後藤孝志:7本 28.3
清水隆行:8本 53.0
元木大介:6本 54.5
仁志敏久:9本 56.7

 ガルベスの本塁打率は、通算525本の大打者・清原よりも上で、近鉄時代に打点王を獲得した石井との差はわずか0.6しかない。打数自体が少ないとはいえ、投手として驚異的な数字だった。投手登録のシーズン4本塁打以上は、ガルベス以後では大谷翔平(日本ハム)しかいない。ただ、大谷が投手として出場しながらホームランを放ったのは2016年7月3日のソフトバンク戦だけ。NPB通算48本中47本は指名打者、外野手、代打として打っている。

ガルベスは清原と同時に巨人に在籍した4年間で8本塁打

 2000年、ガルベスは開幕から好投を続けながらも6連敗。5月13日に登録を抹消され、一軍復帰はなかった。そのため、1996年の来日以降、初めてホームラン0に終わった。“カリブの怪人”は同年限りで解雇され、巨人のユニフォームに別れを告げた。

 清原とガルベスが同時に在籍した1997年から2000年までの4年間に限定し、3人の打撃成績をまとめてみよう。

■1997~2000年の打撃成績(桑田・斎藤・ガルベス)
桑田真澄:154打数30安打0本10点 打率.195
斎藤雅樹:133打数25安打2本17点 打率.188
ガルベス:195打数31安打8本27点 打率.159

 4年間だけに着目しても、桑田や斎藤は数字を残している。だが、最もヒットを放ったのはガルベスであり、本塁打と打点は投手として群を抜いている。つまり、「清原さんの時代の打撃の良い巨人投手」と振られた清原の「ガルベス」という即答は、実に自然な一言だったのである。

■文/岡野誠:ライター、松木安太郎研究家。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では本人へのインタビュー、野村宏伸や都志見隆などへの取材、膨大な資料分析を通じ、人気絶頂から事務所独立、苦境、現在までを熱のこもった筆致で描き出した。

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