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沢田研二、中森明菜との音楽番組共演オファーがあったとライブで暴露 最後の共演は1987年、明菜の名曲『少女A』には因縁

NEWSポストセブン 2024年7月11日 11時15分

 1980年代前半、中森明菜と沢田研二のテレビ番組共演に、お茶の間は釘付けになった。だが1987年を最後に共演はなくなり、明菜は休養と復帰を繰り返した。沢田は彼女の姿をどんな思いで見つめていたのか。明菜が復帰するこのタイミングで、再び共演の計画が持ち上がった。

 歌姫復活の日が、近づいている。7月12~14日の3日間にわたり、中森明菜(58才)がファンイベントを開催。彼女がファンの前に姿を見せるのは、2017年12月のディナーショー以来、約6年半ぶりだ。同イベントを皮切りに、コンサート活動やメディア露出の再開を期待する声は大きい。そんななか、明菜の“盟友”から気になる発言が飛び出した。

「6月30日に相模女子大学(神奈川県)のホールで開催されたジュリー(沢田研二・76才)のライブで、音楽番組のゲストとして彼に出演依頼があったと話し始めたんです。テレビ番組のオファー話は過去にも何度か口にしたことがあるのですが、この日はいつもより冗舌で。するとどこかうれしそうに、“共演相手が中森明菜だ”と明かしたんです。ジュリーと明菜ちゃんの共演がまた見られるの!?とライブ会場がザワつきました」(ライブを鑑賞したファン)

 実は明菜と沢田には不思議な縁がある。1967年のデビュー以降トップアイドルとして人気を博していた沢田は、1982年9月にリリースした『6番目のユ・ウ・ウ・ツ』を最後にヒットチャートの最前線から“後退”してしまう。

「沢田さんと入れ替わるように登場したのが、“花の82年組”と呼ばれる1982年デビューのアイドルたちでした。なかでも明菜さんの人気は高く、同年7月に発売したセカンドシングルの『少女A』が大ヒット。沢田さんが『6番目の~』を発売した9月に、当時2大音楽番組だった『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)と『ザ・ベストテン』(TBS系)に初出演して、一気にトップアイドルへの階段を駆け上がったんです」(芸能関係者)

 それだけではない。『少女A』をめぐっても、明菜と沢田には因縁があった。

「『少女A』は、もともと沢田さん用に書き下ろされた歌だったのですが、沢田さんサイドが却下したことで、明菜さん用に改作されたんです。もし沢田さん側がボツにしていなければ、その後の明菜さんの活躍はなかったかもしれません」(前出・芸能関係者)

 明菜の快進撃を、当時の沢田は本誌『女性セブン』(1983年4月14日号)のインタビューで次のように語っていた。

《ここ2、3年はアイドルラッシュが機関銃のタマのようでしょ。そこへ、ちょっと遅れてきた大物(=明菜)がもうひとり現れた。元祖アイドルのぼくとしては、身のおき場に困って、あわてふためいているんですよ》

 沢田が明菜を特別に意識し始めたこの頃、ちょうど2人が意外な形で初共演を果たす。その舞台は、1983年4月に始まった音楽バラエティー番組『沢田研二ショー』(TBS系)。2回目の放送に明菜がゲストとして招かれ、番組内のコント風のドラマで顔を合わせた。初老の刑事を演じた沢田に、補導されるツッパリ少女役が明菜だった。

「当時、明菜さんは17才で、沢田さんは34才でした。バラエティー番組の企画とはいえ、明菜さんは初めての役者仕事だったので、相当緊張していたそうです。収録当日は誰よりも早く現場入りして、マネジャー相手に何十回も台本の読み合わせをしていました。でも撮影が始まると明菜さんは次第に余裕を取り戻して、アドリブで沢田さんのことを“おじさん”と呼ぶなど大物ぶりを発揮していました」(当時を知るテレビ局関係者)

 撮影後、沢田は《彼女にはエネルギーが感じられていいね》(『週刊明星』1983年3月31日号)と明菜の魅力を振り返っていた。その後2人は音楽番組で何度か共演したが、1987年末のNHK紅白歌合戦を最後に同じステージに立つことはなくなった。

私は全然行く気満々

 明菜は歌手として華々しく活躍する一方で、1989年以降は自殺未遂騒動や金銭問題、事務所とのトラブルなど、幾度となくスキャンダルが報じられてきた。2010年には無期限の活動休止を発表。2014年末の紅白歌合戦に出演して歌手活動を再開したが、2017年12月のディナーショーを最後に再び表舞台から姿を消してしまう。

「再び動き出したのは、デビュー40周年を迎えた2022年のことでした。8月に個人事務所を立ち上げた明菜さんは、SNSでファンに向けて《ゆっくりになってしまうと思いますが、歩き出していきたいと思います》と再始動を宣言しました」(前出・芸能関係者)

 2023年4月にはファンクラブ会員限定のラジオ番組の配信をスタート。公式YouTubeチャンネルも開設し、今年4月から『北ウイング』や『TATTOO』といった往年の名曲をセルフカバーした動画を公開した。

「セルフカバーはすべてジャズバージョンにアレンジされているのですが、その歌声には明菜さんの決意が込められているような気がします。彼女は以前、周囲に“もう声が出ない”と明かしたことがあったそうです。ジャズは声を張り上げずとも歌うことができる。ジャズに活路を見出すことで、“もう一度表舞台で歌うんだ”という意思を示しているようにも感じました」(音楽関係者)

 明菜はテレビ出演への思いも強い。休養に入る直前の2017年のディナーショーでは、「テレビに出て」と訴えるファンに、「昔からのイメージがあるでしょ、私。性格が悪いとか、ワガママ言うとか、ドタキャンするとか。そんなイメージだから(オファーが)来ないんですよ。私は全然行く気満々なんだけどね」と答えていた。

 共演計画を“暴露”した沢田も、最後のテレビ出演は2012年1月の『SONGS』(NHK)まで遡る。

「ジュリーは“テレビには出ない”と言い続けているのですが、先日のライブで明菜さんとの共演の話をしたときは“テレビにはほぼ出ない”という言い方に変えていたんです。私も含め、長年のファンはその変化に敏感に反応していましたね。ジュリーも明菜ちゃんと一緒だったら、テレビに出てもいいと思っているんじゃないのかな。だから、歌番組から“共演計画”のオファーがあったことをファンに明かしたのかも」(前出・ライブを鑑賞したファン)

 ファンは淡い期待が混じった「じれったい」気持ちを楽しんでいるようだ。

※女性セブン2024年7月25日号

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