「夏の高校野球」シーズンが本格化した。7月下旬まで、甲子園出場を目指す高校球児たちの熱戦が全国各地で繰り広げられる。大会期間中、選手とともにグラウンドで汗を流すのが審判員たちだ。60歳を超えた今もアマチュア野球の審判員として活躍する内海清氏は、1994年に31歳で社会人野球を引退。審判員となった後は、信金での勤務の傍ら、週末を中心に年間80試合ほど審判員を務め、2019年にバー経営者となってからは、平日も審判員としてグラウンドに立ち続けている。そんな内海氏に、スポーツを長年取材する鵜飼克郎氏が聞いた。(全4回シリーズの第2回。第1回から読む。文中敬称略)
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高校野球の審判には特有のプレッシャーがある。県立尼崎高校野球部で甲子園を目指し、大学、社会人とプレーした後に高校・大学野球の審判員となった内海清が言う。
「審判を始めて2〜3年は楽しく感じるものかもしれません。教育の場であるということもあって、高校球児たちは審判員を“先生”のように敬意を持って接してくれます。すると7割か8割は天狗になってしまう。でも、だいたいそれくらいの頃に、大きな大会で落とし穴が待っているのです」(以下同)
夏の甲子園に?がる都道府県大会の場合、1、2回戦なら観客の大半は出場校の関係者だが、ベスト8にもなると大観衆がスタンドを埋める。
「審判員も人間ですから、球児と同じように緊張する。大勢の観客を前にすると信じられないような凡ミスをしてしまうのです」
高校野球の場合、そうした誤審の重みの“性質”がプロ野球や大学野球とは異なる。負ければ終わりのトーナメント戦のため、極端にいえばストライク・ボールの判定一つで選手の野球人生が左右されることさえあるからだ。
審判が「絶対にバットを振ってくれよ」と打者に祈る場面
「“県大会でのベスト4進出以上”をセレクションの条件とする大学もあるようです。つまり、どんなに実力のある選手でも、審判のミスジャッジで進学できなくなることもあるわけです。一方で、甲子園という大舞台に進出したことで、それまでは無名だった選手がプロのスカウトの目に留まることだってあります。自分の判定が球児たちの人生を変えてしまうかもしれない──常にそう思うようにしています」
スタンドに詰めかける保護者やOBたちは、選手以上に過敏に反応する。球児が判定に不服そうな態度を示すようなシーンは滅多にないが、微妙なジャッジに対するスタンドからの野次はかなり激しい。激戦区の準決勝や決勝であれば、ミスジャッジによって勝負が決まろうものなら暴動が起こりかねない。
実際、高校野球ファンのインターネット掲示板には、〈〇〇審判のせいで負けた〉〈選手の将来を潰した××球審〉などといった激烈な批判の書き込みが少なくない。公式戦の大半をリーグ戦が占めるプロ野球や大学野球では、ここまでの批判は起こらないだろう。
そうしたプレッシャーの中でジャッジする審判員。とりわけ難しい場面を訊ねると、内海は「1対0の9回ウラ。2死満塁、フルカウント」と答える。
「打者に“ヒットでもいいしアウトでもいい。空振りでもいい。何としてもバットを振ってくれよ”と祈る気持ちで構えます。ストライクにもボールにも判定できるような際どいコースを見送られたら、私がどちらかをコールしなければならない。そしてどちらかのチームの選手と観客から恨まれてしまう。“それだけは勘弁してくれ”という気持ちです」
内海は「審判は黒子に徹しないといけない」と語る。
「審判が注目を集めるのはジャッジを間違えた時です。プロ野球でも“素晴らしいゲームは、審判がいたのかどうかわからない”と言われるそうです。私もそれが理想だと考えています。それは県大会の1回戦でも、決勝戦でも同じ。そういう覚悟で臨んでいます」
(第3回に続く)
※『審判はつらいよ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成
【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。『週刊ポスト』記者として、スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材活動を重ね、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープで話題を集めた。主な著書に金田正一、長嶋茂雄、王貞治ら名選手 人のインタビュー集『巨人V9 50年目の真実』(小学館)、『貴の乱』、『貴乃花「角界追放劇」の全真相』(いずれも宝島社、共著)などがある。高校野球の審判員のほか、柔道、飛び込みといった五輪種目を含む8競技のベテラン審判員の証言を集めた新刊『審判はつらいよ』(小学館新書)が好評発売中。