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なぜ伊丹十三作品はネットフリックス配信をしないのか? 宮本信子、会長、社長が明かす「伊丹プロダクション」の経営方針

NEWSポストセブン 2024年7月20日 11時15分

 アニメーションが国内の映画産業を支えるようになったいま、興行・批評ともに成功を収める実写映画のスター監督は出てこないのか──。初長編『お葬式』(1984年)の公開から40年。当時51歳にして監督デビューを飾った伊丹十三の登場は文字通り〈事件〉だった。

 伊丹映画は、義弟である大江健三郎原作の『静かな生活』を除けば、そのすべてが自分で書いたオリジナル脚本だ。『マルサの女』(1987年)に代表される『女』シリーズでは、脱税、地上げ、民事介入暴力、スーパーの産地偽装問題など、社会の暗部に焦点を当てる題材で日本中をあっと驚かせた。原作ありきの企画が多くを占める現在の映画界と比べると、その唯一無二のフィルモグラフィは驚嘆に値する。

 なぜ伊丹十三はわずか14年間という監督生活において10本もの独創的な映画を生み出せたのか。成功の裏にあったのは“セルフ・ファイナンス”という異例の製作方式だった。伊丹映画に製作として名を連ね、伊丹プロダクションの経営面を任された玉置泰氏(現・伊丹プロダクション代表取締役会長)が語る。

「次の作品をもっといいものにしたい、伊丹さんが常にそれだけを思っていたのは事実です。そして、それが実行できたのは、全部自分でお金を出しているから。外れたらその失敗は全部自分に来る。でも失敗しないように当たりそうな映画を作るわけでもない。当たるだけだったら自分で満足できないんですね」

 映画製作において複数の企業が出資し、リスクを分散する「製作委員会」方式が徐々に広まったのは1980年代以降。時を同じくして映画を作り始めた伊丹だが、彼の映画は初長編の『お葬式』(1984年)以外、すべて自分たち伊丹プロダクションによる単独出資で作られている。

「自分として納得のいく映画を作ってヒットさせる。いい映画を作る人はたくさんいますが、普通、監督は映画が当たっても監督料プラスアルファをもらうだけですよね。でも伊丹さんは自分で宣伝もして映画をヒットさせて、その資金で次の映画を作った。全部やるんです。他の映画監督の方々と立場が全然違って、そういう意味でも恵まれていたと思います」(同前)

宮本信子が明かす「伊丹さんのプロデューサー的な感覚」

 その挑戦は、リターンが必ずしも約束されないリスクの高い映画ビジネスにおいて、とんでもない博打だったはずだ。作品製作を間近で支えた女優で妻の宮本信子が証言する。

「映画監督をするようになってからは、ともかく『自分の好きなものにやっと巡り合った』と言っていました。本当に楽しくてしょうがなかったんだと思います。でも伊丹さんはしょっちゅう『映画で借金したり、家庭がめちゃくちゃになったりするようなことはしちゃいけない』とも話していましたね」

『お葬式』では製作費およそ1億円のうち、自分たちで3000万円ほどを工面した。撮影も湯河原の自宅で行なった。結果は配給収入12億円の大ヒットとなり、その資金を元手に、伊丹は1本、また1本とフィルモグラフィを積み重ねていく。

「自分たちのお金だから好きなようにしていいんですけど、足りなくなると困るでしょ。伊丹さんはプロデューサー的な感覚も持っていて。その当時は撮影が止まると、1日300万円ぐらい消えちゃうんです。撮影が止まったときも、伊丹さんは何かしら新しいアイデアを出して乗り切りました。これも自分で脚本を書いているからできること。そういうプロデューサーと現場監督のバランス感覚が優れていましたね。スタッフの皆さんも自分たちは『伊丹さんのお金で映画を作っているんだ』ということがわかっていたと思います」(同前)

 映画監督としてもっとも大事な創作の自由を殺さないために、まず自分たちで自由に使える資金を用意する。人一倍こだわりの強い完璧主義だったからこそ、最初からそのことに気付いていたのが伊丹だったのかもしれない。

「やっぱり自分たちのお金で作ると人からは何も言われないんです。お金を出した方は必ず何かおっしゃるでしょう。言ってもいいんです、その権利があるから。でもそうするうちに、作品がどんどん削られて本当に作りたいものが見えなくなってくるんですよ」(同前)

伊丹作品を「非配信」で貫く理由

 創作の自由を手放さない立場を維持しただけでも驚異的だが、伊丹映画の魅力はその多様で新奇なテーマ性にもある。入念に取材を重ね自らシナリオも書いた伊丹の原動力について、現在、伊丹プロダクションの代表取締役社長を務める次男・池内万平氏が語る。

「要は“好奇心の人”なんでしょうね。新しいものが好きでしたし、常にいま何が起こっているのかに注目している人だったと思います。よく母も世間話で『父ちゃんだったら絶対映画にしてたわね』みたいなことを言うんですが、いまだったらコロナやオリンピックのごたごたは映画にしたかもしれない。絶対ワクチンに詳しくなったはず(笑)。『マルサの女』のときは、中学生の自分に間接税がどうこうみたいな話を延々としていましたから。まだ消費税も始まってない頃ですよ」

 伊丹プロダクションのように監督作すべての権利を自分たちで有しているのもまれだろう。玉置氏は、いまや全盛となった動画配信サービスに伊丹映画がない理由も教えてくれた。

「僕らからすると、配信は映画の“垂れ流し”に近いんです。洪水のように作品があって、ものすごい量の選択肢。観るほうは便利かもしれないけど、その中から選ばれなければいけない。そうじゃない、もっと大事に1本1本を観てもらえるような形の配信があれば、それは考えていきたいです。また配信の次の時代に変わる可能性もある。だから慌てる必要もないのかなと思っています」

 作品の送り手として深く考えた結果だった。10本もの映画を遺した伊丹だが、今後、新作が作られることはない。だからこそ“品位”を保つべく、あえて配信には“乗らない”。こうしたブランディングも、伊丹プロダクションが10本すべての権利を握っているから実現できたこと。

判断基準は「伊丹さんが生きていたら?」

 もうひとつの理由は、伊丹プロダクションが日本映画放送との縁を大事にしているからだという。同社は2022年に伊丹プロダクション全面協力のもと、全10作品の4Kデジタルリマスター化を実現。日本映画専門チャンネルで独占初放送するなど密接な関わりがある。玉置氏が語る。

「僕らは常に『伊丹さんが生きていたら?』を考えているんです。もし伊丹十三が生きていたら、どういう選択をするだろうか、が指針なんですね。このインタビューを受けるかどうかの判断もそうですよ(笑)。日本映画放送さんは、配信が普及する前から、すごく熱心に取り上げてくれていました。伊丹さんは1回信用するとどっぷりという人だったから、僕らもお付き合いを大事にしています」

 一度、信頼した人にはとことん仕事を任せたのも伊丹の流儀。そんな仲間に囲まれた伊丹の姿の中で、玉置氏にはもっとも印象に残っている姿があるという。

「伊丹さんっていつもニコニコしながら喜んでいた気がしますね。僕は伊丹組のスタッフしか知りませんけど、彼らも間違いないなく伊丹さんの笑顔を見たい、伊丹さんが喜ぶ姿を見たいと思っていたはず。喜び方が上手というか素晴らしいんですよ(笑)。

 僕がテレビの放映権の金額を交渉したときも、伊丹さんには結果を伝えるだけで『すごいね。シャンペン飲みましょう』と言ってくれるわけです。全部任せてくれて、本当に人使いも喜び方もうまい。一緒に仕事をしていて、嫌な思いは一度もしたことはないんです」

 途中「ある意味で伊丹さんの掌の上だったかもしれませんね」と話していた玉置氏。いま、伊丹のような大きな掌を持った逸材はどこにいるのだろうか。

※文中敬称略

取材・文/奥富敏晴

撮影/塩原洋

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