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【パリ五輪・高飛込】17歳・玉井陸斗、“69歳差の師匠”馬淵かの子コーチと目指す日本選手初のメダル「天才的でいて練習熱心。こんな子は見たことない」

NEWSポストセブン 2024年7月21日 11時15分

 パリ五輪で表彰台入りが期待される選手の指導者のなかには、かつて同種目で五輪に出た往年の名選手もいる。大舞台に立ったコーチだからこそ見抜ける現役選手の才能や課題がある。志を若手に託す“オリンピアン師弟”を取材した。

「これからなんべんも五輪に出るやろうけど、私にはあんまり時間がないんよ。今回メダルを獲ってもらわんと、あと4年いわれたら困るで……と脅してるんです」

 そう教え子にエールを送るのは、玉井陸斗(17)を飛込にスカウトした馬淵かの子(86)。メルボルン、ローマ、東京と3大会続けて五輪代表となった飛込界のレジェンドで、現役のコーチ。玉井とは69歳差の師匠となる。

 馬淵コーチはメダルが期待された1964年の東京五輪で声援のプレッシャーに圧されて7位に終わり、14歳の玉井も初出場となった2021年の東京五輪で同じく7位だった。

「五輪には経験豊富な子も、駆け引きが上手な子もいる。“メダルメダルと騒いでいたら恥をかくよ”と言っていたんですが、“恥かきました”と笑って帰ってきました(笑)。私は最後の五輪で7位、陸斗は初めての五輪で7位。この経験がパリで生きるんやないかと思う」

 玉井が飛込競技を始めたのは小学1年生。5年生まで基礎を教えてシニアクラスに送り出すのが馬淵コーチの役目だが、玉井は2年も早く3年生で卒業した。

「とにかく頭のいい子で、コーチが何を要求しているかがわかる。私はたくさんの五輪選手を送り出してきたけど、陸斗は天才的。それでいて練習熱心だなんて、こんな子は見たことがない。

 練習は早朝と夜の1日2回。学校に行っている時以外はいつもプールにいて、人の3倍のスピードで上達しました」

「主人が生きていたらびっくりすると思う」

 ジュニアの大会では出場すれば必ず優勝していた玉井を、馬淵コーチは5年生の冬に4か月間の中国合宿に参加させた。異例のことだった。

「学校を休ませないといけないので両親は反対。それを説得して連れていったところ、帰国時にはシニアレベルの全種目を完璧にこなせるまでに成長していた。

 まだ身長が低かったので板飛込のジャンプ力はありませんでしたが、技術は大人顔負けです。これを見たシニアの選手たちはげんなりしたと思いますよ」

 中学生になり、シニアデビュー戦となった日本室内選手権を12歳7か月で史上最年少優勝すると、5か月後には日本選手権の高飛込でも優勝。翌年の日本選手権では板飛込と高飛込の2冠に輝いた。W杯で東京五輪代表権を手に入れると男子で21年ぶりの7位入賞を果たし、パリ五輪のメダル候補に挙がっている。

「もの凄い選手になったと感無量です。最近はここまでやれるかというほど上手くなった。小学生時代の陸斗を知っている主人(馬淵良氏=メルボルン、ローマ大会に飛込代表として出場。2021年死去)が生きていたらびっくりすると思う」

 17歳の玉井は体の成長期で、今はまだ発展途上と表現する馬淵コーチ。

「世界の審判から見れば完成しきっていないと見られているが、体の成長が止まれば演技が安定して力強い飛込ができるようになる。まだまだ成長すると思いますが、今でもメダルに手が届く実力はあります。私もあと4年待てないからね」

 馬淵コーチが立てなかった表彰台――日本人初の快挙を17歳の玉井が目指す。

【プロフィール】
玉井陸斗(たまい・りくと)/2006年生まれ、兵庫県出身。3歳で水泳を始め、6歳で飛込に転向。12歳で日本室内選手権にシニアデビューし、史上最年少優勝を飾った。東京五輪では日本人選手として21年ぶりとなる入賞(7位)を果たす。

馬淵かの子(まぶち・かのこ)/1938年生まれ、兵庫県出身。中学から飛込競技を始め、16歳でアジア大会に出場。4大会で計5個のメダルを獲得した。五輪には3大会連続で出場。引退後はJSS宝塚SSを立ち上げ、寺内健など多数の五輪選手を育てた。

取材・文/鵜飼克郎

※週刊ポスト2024年8月2日号

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