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《江川卓、1984年オールスター8連続三振》40年目の真実「あの日は肩が痛くなかった」、バッテリーを組んだ中尾が明かす「パスボールしろよ」発言

NEWSポストセブン 2024年7月22日 11時13分

 今年もプロ野球「オールスターゲーム」の季節がやってきた。40年前、1984年の球宴では江川卓が「8連続三振」を記録した。江夏豊の持つ「9連続」が目前に迫るなか、張り詰めた空気のナゴヤ球場で何が起きていたのか。江川と、バッテリーを組んでいた中尾孝義(中日)との対談によって、連続三振にまつわる新事実が明らかになった。【前後編の前編】

江川:会うのは相当、久しぶりだよな。

中尾:そうだな。懐かしいね。同級生だから出会いは高校生の時だけど、思い出はやっぱり1984年のオールスターでバッテリーを組んだ時。あれからちょうど40年、今日は色々と思い出して話そうや。あの時の江川の球は本当に速かったよ。

江川:実はオールスター第3戦の登板の朝、起きたら肩が痛くなかったの。1982年の夏頃に肩を痛めて以来ずっと苦しんでいたのに、なぜかその日は全然痛くなかった。

中尾:そうだったんだ。当時、肩を痛めていたことは知らなかった。

江川:うまく隠していたからね(笑)。そもそもあの試合は郭源治(中日)さんが先発で3回まで投げ、俺は4回からの登板で「2イニング」の予定だった。

中尾:俺もそう聞いていたんだよ。

江川:だから、最初は三振の記録の意識なんて欠片もなかった。

中尾:1人目は福本豊さん。初球は俺がキャッチングできないほど大きく外に外れるストレート。

江川:肩が本当に痛くないか試しに思い切り腕を振り切ったから(笑)。福本さん、次の蓑田浩二さんまで三振は意識してない。ただ3人目のブーマーさんは狙ってた。この年、三冠王を取る成績で「三振取ってやろう」と思ったのは覚えている。

中尾:インハイのストレートで三振。ボールがグングン来ていたから高めに構えていたんだよな。

江川:1イニング終わってベンチに戻ると三者三振で盛り上がってたけど、「どうせ2イニングで終わるのに」って思ってた。

王監督のプレッシャー

(2イニング目から当時の映像を見ながら対談)

中尾:みんなストレート狙いだから、カーブに対応できてないね。

江川:キーポイントだったのは5人目の落合(博満)さん。「あの人を三振に取るのは難しいな」と思っていたから、一番重要な局面だった。

 昔の表示で142キロだから、今だったら155、6キロくらいじゃない? ツーボール・ツーストライクからインハイのボール気味のストレートをうまく投げて空振り三振が取れた。

中尾:次が石毛(宏典)かぁ。あっ、ファウル、やっとバットに当たった。

江川:最後カーブで6連続三振。これで終わりだと思った。だけど、ベンチに戻ったら監督の王(貞治)さんから「せっかくなんだから次も行け」と言われ、「いいです」と断わった。本心は、あのシーズン、ずっと肩が悪くて打たれてばかりで王さんに迷惑かけていた。ここで投げたら王さんは「次もちゃんと投げられる」と期待するじゃない。それが嫌だった。絶対次の登板で痛くなると思ったからさ。

中尾:次の登板は、肩痛くなったの?

江川:予想通り痛くなった(笑)。すぐノックアウトだもん。でも結局、王さんに言われて3イニング行くことになった。

「9人目がツーストライクまでいったら、パスボールしろよ」

中尾:覚えてる? 6回の前に江川が俺のとこに来たの。「8連続三振取って、9人目がツーストライクまでいったらカーブをワンバンで投げるからパスボールしろよ」って。

江川:うそー!? まったく覚えてない。

中尾:本当だって。

江川:お前、話作ってない? 本当に言ったの?

中尾:本当だって。

江川:オールスターの1週間前、漫画家の水島新司先生と食事をした時に「9連続以上ってできないですかね」って話して、「三振でパスボールだったら10連続じゃないか」って言われてたけれど。

中尾:それを思い出して俺に言ったんだな。

江川:そうか、俺は10連続の考えを中尾に伝えてたんだね。去年、江夏さんとこの『週刊ポスト』で対談した時、「10連続を狙ってた」って話をしたら「何を馬鹿なこと言ってる。9は9、8は8や」って返されちゃった(笑)。

中尾:江夏さんらしい。

江川:7人目の伊東(勤)さんはカーブを多投した。普通のカーブってヒュッて曲がるけど、この時は曲がりながらブレーキングしてチェンジアップみたいになっている。我ながら最高のカーブだね。

中尾:タイミング合ってないもんね~。

(後編に続く)

【プロフィール】
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年、福島県生まれ。作新学院にて活躍後、法政大学に進学。米・南加大野球留学を経て、1978年に読売ジャイアンツに入団。MVPなど多数の記録を残し、1987年に引退。現在は野球解説など多方面に活躍中でYouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」が話題。

中尾孝義(なかお・たかよし)/1956年、兵庫県生まれ。滝川二高から専修大に進学。卒業後はプリンスホテル入社。1981年に中日ドラゴンズに入団。ルーキーイヤーから活躍し、1982年にはMVP。巨人、西武を経て1993年に引退。西武コーチや阪神スカウトなどを歴任後、現在は野球解説などで活躍中。

聞き手/松永多佳倫

※週刊ポスト2024年8月2日号

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