40年前、1984年のプロ野球「オールスターゲーム」では江川卓(巨人)が「8連続三振」を記録した。江川とバッテリーを組んでいた中尾孝義(中日)との対談によって、「8連続三振取って、9人目がツーストライクまでいったらカーブをワンバンで投げるからパスボールしてくれ」と江川が依頼していたことも明かされた。江川は10連続三振の計画を持っていたのだ。江川と中尾が9人目の打者・大石大二郎との対戦について振り返る。大石本人も“あの打席”について証言する。【前後編の後編。前編から読む】
* * *
江川:8人目は投手の代打で出てきたクルーズさん。悪いけど、俺のなかでは出てきた時点で8個目確定だった。高めのボール球を絶対振ってくると思って、インハイの球がストライクゾーンにいかなければと。そして9人目の大石大二郎さん。
中尾:大二郎の兄貴は専修大の同級生でさ。大学の時にいつも遊びに来ていてよく知ってるんだよ。
江川:映像見ると、打席に入る前に中尾に話しかけているけど覚えてる?
中尾:覚えてないな。
江川:「兄がいつもお世話になっております」とかじゃないの?
中尾:俺も「当てるなよ」くらい言ったかも。
江川:ポンポンとツーナッシング。「これはもういつでも取れるな」と思ってた。振りかぶって投げようと思った時にフワーッと〈江川、江夏についで2人目〉っていう新聞の見出しが目の前に現われた。迷っちゃって、ワンバン投げる約束が高めに行ってしまった。
中尾:当てられてセカンドゴロ。もし空振りしたとしても、この高さは捕ってたんじゃないかな。
江川:捕ってたら、えらいことになってた。「捕るな」って言ったよなって。
中尾:一生言われたかも。でも「ワンバンじゃねえじゃん」って返すよ(笑)。
江川:でも、よかったよ。あのままパスボールして10連続三振を取ったら一瞬は称賛されたと思う。でも俺だと1週間経つと批判に変わる。「そんな姑息な手を使うとは、オールスターを冒涜している」になるんだよ。だから8個でよかった。
中尾:江川のそういうちょっとネガティブな考え方は、昔からだよね。
江川:でも2イニング目終わって「ツーナッシングからワンバンで投げるから」って言ったのは本当に覚えてない。
中尾:俺のことだってよく覚えてないんだから、自分の言ったことだって忘れてるんだよ(笑)。
江川:いや~久々に当時のことを思い出して、新発見もあって面白かった。
「思わずバットが出た」記録を阻んだ男・大石大二郎の胸中
9人目の打者としてオールスター戦で江川卓と対峙し、連続三振を8で止めた大石大二郎にも、“あの打席”について聞いた。
* * *
あの1984年のオールスターは、まだプロ4年目だったかな。
40年前のことなんでもうほとんど覚えてないですけどね(笑)。とにかくオールスターといえば一流のバッターばかり。それがどんどん三振の山を築くので、ベンチにいた時は「やっぱり江川さんの球は速いのかな」と思って見ていました。
打席に立ってからは「真っ直ぐ」を狙って待っていましたが、初球はアウトハイの直球に(タイミングを)さされて手が出なかった。2球目の直球は「少し低いのかな」と思って見送ったが、余裕でストライクでした(笑)。後で映像を見たら低いというより、アウトコースで真ん中よりやや低めの良いところに決まっていた。
これでツーストライクと追い込まれた。3球目も直球を狙っていたんですが、思いがけずフワッとカーブが来たので、思わず身体が反応してバットが出た。「打ってしまった」って感じです。
よく「当てにいった」と言われますが、あくまで真っ直ぐ待ちでカーブに反応して打ったという形です。
ひとつ伝えたいのは、「9人目だから絶対に三振しちゃいけない」という考えはなかったということです。三振だったらしょうがないなって。
2イニングで6者連続となってたしかに球場もベンチも盛り上がっていましたが、だからといってパ・リーグのベンチで「三振をするなよ」って言われるといったことはなかったです。
今振り返っても、あの日の直球は速かったし、伸びてましたね。
(了。前編から読む)
【プロフィール】
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年、福島県生まれ。作新学院にて活躍後、法政大学に進学。米・南加大野球留学を経て、1978年に読売ジャイアンツに入団。MVPなど多数の記録を残し、1987年に引退。現在は野球解説など多方面に活躍中でYouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」が話題。
中尾孝義(なかお・たかよし)/1956年、兵庫県生まれ。滝川高から専修大に進学。卒業後はプリンスホテル入社。1981年に中日ドラゴンズに入団。ルーキーイヤーから活躍し、1982年にはMVP。巨人、西武を経て1993年に引退。西武コーチや阪神スカウトなどを歴任後、現在は野球解説などで活躍中。
聞き手/松永多佳倫
※週刊ポスト2024年8月2日号