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ソフト上野由岐子らが明かした東京五輪金メダル秘話 出場辞退寸前まで追い込まれた選手を救った「凄腕トレーナー」の存在

NEWSポストセブン 2024年7月22日 16時15分

 7月26日に、いよいよパリ五輪が開幕する。3週間余りの期間中、32競技329種目が行われる。だが、日本のお家芸とも言える種目が、パリの地では消えた。2021年の東京五輪で金メダルを獲得したソフトボールだ。

 長年日本ソフトボール界を牽引してきた上野由岐子投手が、東京五輪でともに闘った峰幸代さん、渥美万奈さん(ともに引退)と、代表チームのトレーナーを務め、著書『一生歩ける喜び 「うで体・あし体」鴻江理論で人生が変わる』 でも注目の鴻江寿治氏をまじえて、3年前の「東京五輪金メダル」の裏側を語った。(文中敬称略)

〈上野と五輪を語る上で忘れてはならないのは、東京五輪からさかのぼること13年前の北京五輪(2008年)での「上野の413球」だ。北京五輪で、上野は2日間で3試合をひとりで投げ抜いた〉

上野「若さも気力もあって、年齢的なピークを迎えていたときでした。ソフトボールが北京を最後に五輪競技から外されると噂されていたタイミングだったので、“これで最後”という気持ちもありました。だから、416球も投げ切れたのかな、って」

峰「413球です!」

上野「あ、413球か(笑い)。自分がいちばんちゃんと覚えていないっていう。それぐらい無我夢中でやっていたということだと思います」

峰「北京のときはアメリカが最強の時代で、そこに対抗するために私たちもパワーを追い求めていました。とにかく力負けしちゃいけない、一瞬も緩められない、という感覚ですよね」

上野「そこから10年以上経って、東京では自分が力いっぱい投げるというよりも、“どれだけみんなに支えてもらうか”“どうまわりの選手を活かすピッチングができるか”ということを考えていました。感覚的には『攻める』ではなく『かわす』という感じです。同じ五輪なのに、北京と東京ではまったく違うマウンドに立っているような気持ちがありました」

峰「年齢を重ねたことでスキルも上がったしメンタル的にも余裕があったので、力を出すだけはなく“どう力を抜くか”ということを、私はキャッチャーのポジションで上野さんのボールを受けながら考えていました。心身のバランスが取れていたし、変化球の球種も質も上がっていましたから、すごい進化を遂げて東京に戻ってきたな、と感じていましたよ」

〈トレーナーの鴻江は、北京と東京どちらでも代表チームに帯同し、上野とは長年専属契約を結んでいる〉

鴻江「上野選手のケアに関しては、北京と東京で特段変えたということはありません。北京は若かったからとか、東京ではベテランだからといったことはなくて、その時々でベストなパフォーマンスを出せるように対応していました。ただ、東京五輪の初戦のオーストラリア戦で、初回にパワーで投げているように見えた時には、指摘したこともありましたね」

上野「ベンチに戻ると“パワーで投げていたら息切れするぞ!”って叱られました。三振を2つも奪ったのに……(笑い)」

渥美「東京では、私こそ鴻江さんに助けられました。実は大会直前にぎっくり腰になってしまい、出場を辞退しようと思っていたほどでした。鴻江さんに毎日のように遅くまで見ていただき、なんとか間に合わせることができました。自分なりに体調管理には気を使っていましたが、やはり、何かしらのサポートを受けないと、アスリートはパフォーマンスを発揮できないことを痛感しました」

〈渥美は東京五輪の決勝・アメリカ戦のピンチの場面で、相手バッターの放った強烈な打球を弾いた味方内野手をフォローするスーパーキャッチで、「神ゲッツー」を完成させた。その陰には、鴻江の細やかなケアがあった〉

渥美「小学校の頃から腰痛で練習ができなかったり、ぎっくり腰に頻繁になるような感じでした。鴻江さんに出会った瞬間に“なんじゃ、この腰は?”と、言われてしまったのを覚えています。鴻江さんのお陰でそれが改善し、選手としても充実したプレーができるようになりました」

〈鴻江は、長年に渡ってトップアスリートの指導を行ったことで編み出した、独自の「鴻江理論」を提唱している。人を猫背型の「うで体」と、反り腰型の「あし体」の2タイプに分類し、それぞれに合った体の使い方を指導するというものだ〉

上野「私は典型的な『うで体』です。子供の頃から猫背だとよく指摘されていて、母から“もっと胸を張って歩きなさい”と言われていたんです。でも胸を張るとどうもしっくりこなくて、嫌だったんです。鴻江さんから猫背型と言われて、やっぱりこれで良かったんだと納得しました」

鴻江「それぞれのタイプに適した体の動かし方があります。逆に、タイプに合わない動かし方をしていると、ベストパフォーマンスを発揮できないどころか、故障やケガのリスクが高まってしまいます」

上野「これまでの日本のスポーツ界は、全員に同じ指導をしていた印象があります。右を向いたら右を向く、みたいな。ただ、競技を続けるためには、心が満たされ、やりがいなどを感じられないといけません。あし体なのに、うで体の動きをしても良さを感じず、続かなくなってしまう。きちんと見分けることができれば、それぞれのやりさすさや競技力の向上を感じられるはずです。

 鴻江さんの考えは、“体は違って当たり前なんだ”という前提があります。私は自分の体を知り、それに合わせた体の使い方を知っているから、選手寿命も長くいられるのです。それぞれがそれぞれの能力を発揮できると、よりスポーツ界が発展し、世界と闘っていけると思っています」

渥美「いま、子供から大学生まで指導に当たっていますが、特にジュニア世代の選手から“腰が痛い、膝が痛い”とった言葉を聞くことが増えました。鴻江理論を活用しながら、体が痛くないような正しい動きを私たちが教えることができたら、子供たちが色々なスポーツにチャレンジできるようになると思います」

〈鴻江は、今年自身の理論を「コウノエブランド」として確立。スポーツ用品メーカー「デサント」の10個目のブランドとして船出した。体のタイプに合わせたベルトなどのサポート用品、キャップをはじめとしたスポーツアクセサリーのプロデュースなども行っている〉

鴻江「これまでのように、アスリートのサポートを継続するのはもちろん、アスリートから見出したデータを一般の人たちへ役立たせて、いかに幸せな人生を送るかに貢献したいと考えています。特に、今後は医療と教育分野に踏み込んでいくことを念頭に置いています。寿命は決まっているかもしれませんが、健康寿命は自分で延ばせる。鴻江理論を用いれば、それが実現できると考えています。

 すでに、聖峰会マリン病院の上野高史さん(久留米大学名誉教授)の協力のもと、リハビリを必要とする患者さんに対する実証実験なども行っています」

〈鴻江の野望は、スポーツだけでなくウェルネス分野への拡大だ。「ウェルネス(Wellness)」とは「健康(Health)」をより広義に総合的に捉えた概念であり、身体的・精神的により良く生きようと、日々健康的な習慣を実践することを表す。〉

鴻江「タイプによる運動メニューの策定も行っています。とはいえ、面倒なものではありません。うで体は『イスに座るときゆっくり座りましょう』とか、あし体は『立ち上がる瞬間だけ意識してください』とか。デパートや駅の階段を使う場合、うで体は『下りを階段』で。逆にあし体は『登りを階段』といった具合です。日常生活に、タイプに合った運動を取り入れることで、健康増進につなげようというのが狙いです」

上野「自分たちもそうですが、痛めているところがあるから気にしたり、ケガの予防に努めます。でも本当は、痛めていない時に、どれだけ意識しているかということが重要です。

 一般の方からしてみれば、不調があれば気にかけるかもしれませんが、本来ならもっと前の段階で、自分の体について考えるきっかけを作ってほしいです。鴻江さんの考え方がより浸透して、アスリートのみならず、一般の人も自分の健康をどう作るかに関心をもってほしいですね」

取材・文/祓川学(ストライカープレス)

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