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体重は33キロに減り、電気も水道も止められて…22歳シングルマザー「ゴルフクラブ殴打殺人」 被害女性の母親が語る「犯人の主張に絶望」「なぜ娘が…」

NEWSポストセブン 2024年7月23日 18時15分

 2022年3月、「人を殺した」と浪速警察署に自首してきた中田正順(まさゆき)被告(逮捕当時39)が住んでいた部屋から、血を流して死亡している22歳の女性が発見された。女性の死因は中田被告からゴルフクラブで多数回殴られた末の失血死で、そのうち頭部顔面には18か所もの傷があった。だが、のちに殺人で起訴された中田被告は法廷で「殺意はなかった」と主張。地裁判決ではこれが認められ、傷害致死罪で懲役10年の判決が言い渡されている(求刑懲役16年)。

 女性は夫のDVから逃れるために別居し、シングルマザーとして娘を育てるため風俗店で働くうちに、違法薬物に手を染めた。薬物依存を断ち切るための入院を控えていたが、新型コロナウイルス感染拡大により予定が延びてしまう。入院が可能になるまで女性を預かると名乗り出て、同居していたのが、事件を起こした中田被告だ。

 この事件については、中田被告の逮捕が報じられたのみで、女性の抱えていた背景や、裁判員裁判の様子などが一切報じられていない。女性の母親は「理不尽なことがあったと知ってほしい」と語る。

 * * *

 中田被告にゴルフクラブで殴られて亡くなったのは、一時的に中田被告の元に居候していた辻上里菜さん(当時22)。2022年3月23日、中田被告が浪速警察署に自首したことから、事件は明るみに出た。警察が里菜さんの遺体を発見した時点で、すでに死後数日が経過していたという。

「娘はゴルフクラブで60か所以上を殴られて失血死していました。頭部を中心に傷があったそうです」

 そう語るのは里菜さんの母親だ。特に頭部を多数回、ゴルフクラブで殴られていたことから、里菜さんの亡骸とは、顔の修復作業ののちに対面した。

「手首をひねって叩いただけ」

「綺麗にしてもらった娘を葬儀場に運ばれてから見ましたが、マネキンみたいで娘と思えなかったんです。顔をなでようとしたら、葬儀会社の人に『お顔が崩れるから触らないでください』と言われて……。2日後にお通夜があり、それまでの間、待機場所で娘と過ごしました。死装束を着せている際に傷を確認したら、腕には防御創といわれるような傷があり、あざだらけ。なぜか足もあざだらけでした。分厚く死化粧されていましたが、それでも傷がわかるくらいに、娘の受けた被害は大きかったんだなって……」(里菜さんの母親。以下同)

 声を詰まらせながら里菜さんの母親は当時を振り返る。看護師として働き、里菜さんを含め3人の子を育て上げた母親は、事件後は「社会に出るのが怖くて仕事もできない」状態となった。それでも約2年が経ち、ようやく裁判の日程が決まった頃、里菜さんが亡くなった当時の写真を見せてもらったという。

「検察官も『僕も職業柄、遺体を見てきたがそんな自分でも目を背けるような姿でした。それでも見ますか?』と言うんです。覚悟を決めて、『見ます』と言って見せてもらった娘の姿は、かなりショッキングでした。でも、私からすれば亡くなったと知らされたときのショックのほうが大きかった。むしろ、ありのままの姿を見たことで、こういう形で命を奪われたんや、と分かりました」

 今年1月、ようやく迎えた大阪地裁での裁判員裁判。真実を知りたいという思いで里菜さんの母親も毎回傍聴したが、法廷での中田被告の言い分に絶望した。

「ゴルフクラブで殴打したという事件でしたが、加害者は『ゴルフクラブを持って手首をひねって叩いただけ』と言うんです。検察官に見せてもらった傷の写真を思い出しながら、手首をひねるくらいでこんな傷ができるわけがないと感じたんです。相当な力を持ってないとここまでの傷はできないですよ」

「人間のクズや」

 事件が起きたとき、里菜さんが中田被告の部屋に住んでいたのは“入院待ちのため”だった。里菜さんは結婚後、夫との間に子をもうけたが、夫からのDVにより、子供を連れて別居していた。「籍を抜くと居場所を突き止められてしまうのではと不安で、離婚をしていませんでした」と里菜さんの母親は明かす。その後、シングルマザーとして娘を育てるため風俗の道に進んだが、知り合いに勧められて違法薬物に手を染めてしまう。

「なんとかやめてほしいと思い説得していましたが、依存症に対して、私ひとりの力ではとても太刀打ちできない。治療を専門にする病院に連絡して、入院の手続きを整えていました。ところがコロナが蔓延し、今入院することは無理ですと言われて、延期になっていたんです。

 その間娘は、薬物を断つために自分で110番通報して、『私を捕まえてください』と訴えたりもしていました。最終的に娘を引き取って一緒に暮らしていたのですが、ここに私の再婚が関わってきます。私は娘たちが幼い頃に離婚し、看護師として働きながらひとりで子供達を育て、子供達が大人になって再婚しました(その後に離婚)。ところがこの再婚相手が『薬物に手を出してる人間をうちで面倒見たくない』と言い、同居することができなかったのです。娘を守りたいけど再婚相手との生活もあり、葛藤している間に、娘は『新しい旦那に気を遣っているお母さんを見たくない』と、家を出て行きました。

 娘はひとりでマンションに住んでいましたが、体重は33キロに減り、部屋の電気やガスが止められている状態となったことから、生活保護の申請のため私と娘が役所の窓口に3回、申請に行ったんですが、一度も受け付けてくれませんでした。夫からのDVという事情についての確認もなく、頭ごなしに娘の生き方を否定されたことで娘も非常にショックを受け『もういいねん。私はまともに生活できる人間じゃない。人間のクズや』と落ち込んでしまった」

 そんなときに現われたのが中田被告だったという。「入院まで家を使ってもらって良い」、と言われた里菜さんは、中田被告の住むマンションに身を寄せる。数日後、病院から入院可能の知らせが届き、里菜さんの母親は、娘に「明日迎えに行く」と連絡したのだが、その後異変が起きた。

「入院当日、娘と約束した14時に着くように、中田被告の家に向かっていたところ娘から突然『家を出る。中田被告には連絡しないで』という内容のLINEが来たんです。違和感を覚えて中田被告に連絡すると、『一方的に出ていくと言って出て行っちゃいました』と返答がありました。

 それでも心配なので、以前娘が110番通報した時にお世話になった刑事さんに連絡すると『フラッシュバックだろうから1週間くらい連絡しないでください』と言われたので、そうなのかと思い、言われた通りに連絡せず待っていたら、数日後にいきなり浪速警察署から連絡があり、娘が亡くなった事を知らされました。その後、刑事さん2人が自宅に来られ、説明を受けました 」

死の前月に残していた母親への手紙

 薬物依存の入院を控え、身を寄せていた場所で、自分の娘が突然亡くなったと知らされたのだった。

「実は中田被告は、娘の子供も預かりますよと言ってくれていたんです。結婚したい、3人で暮らしたい、とまで言ってくれてたんです。これで娘も幸せになれるのかなと思っていたのに、こんなことになってしまって、しかも殺された理由も納得できるものではありません」

 中田被告は法廷で「覚醒剤の売人と里菜さんがグルになって、自分を脅迫していた」と証言した。「でも本当に娘が売人とグルになっているのだとしたら、娘を殴ることで、売人から報復されると思うんです……」と、里菜さんの母親は中田被告の言い分に疑問を呈する。事件当時、指名手配中だった“売人”は、法廷で証言することもなく、現在、別件の高級車窃盗の罪で逮捕起訴されている。中田被告の主張する“脅迫”が存在したのか、法廷では語る機会のなかった“売人”に手紙を送っても返信はなかった。

「なんでこんな死に方を……」と、里菜さんの母親は再び声を詰まらせ、振り返った。

「娘には、私が仕事ばかりで育児をできていなかったことで、寂しい思いをさせたし、大人になり、娘もやっと結婚して自分の人生を幸せに送れるんだと思っていたら、DVを受けて。そこから逃れて風俗で働き始めたら覚醒剤をすすめられ……。私の勝手な想像ですが、娘は辛い人生やったやろうなと思う。殺害された前月、たまたま私に手紙を書いてくれていたんです。生きづらい人生やったにもかかわらず『産んでくれてありがとう。お母さんの子でよかったよ』って……。

 あのときこうだったら、と思うことはたくさんあります。私の再婚相手とのこともそうですし、役所の対応もそうです。娘が薬物から抜け出すきっかけがあったのに、そこに至る前に殺害されてしまった。中田被告から謝罪の言葉は受けていません。法廷では、裁判官や裁判員に向かって、娘の命を奪ったことに対して『申し訳ありませんでした』と言っていましたが、私のところにはありません」

 中田被告は懲役10年の大阪地裁判決を不服として控訴していたが、7月9日に大阪高裁は控訴を棄却。その後、中田被告は上告している。マンション居室という密室での死亡事件において、そこで起きたことを語れるのは、残された加害者だけ。里菜さんの母親は法廷での中田被告の言い分に納得できないままだ。

◆取材・文/高橋ユキ(フリーライター)

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