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「ついにやりました」「首を締めた自分と見ている自分が居ます」“超老老介護”の果てに妻の節子さんを絞殺した吉田友貞さん(80)が携帯に残していた生々しい言葉の数々…遺体と並んだベッドの上で包丁を「自分の首に刺そうと」

NEWSポストセブン 2024年7月31日 10時58分

 2023年10月、東京・世田谷区の集合住宅に住む無職、吉田友貞さん(80)は、30年間寄り添った妻の節子さん(当時85)を絞殺した。節子さんは、認知症の影響で支離滅裂な言動を繰り返していたほか、近隣のインターホンを片っ端から押していくなどの行為がエスカレートしていた。視力をほとんど失っている節子さんとの今後の人生を悲観し、2人で死のうとまで考えていたという吉田さん。6月20日、東京地裁の刑事裁判で、情状酌量の余地があると判断があり、懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡されている。社会問題と化している“超老老介護”の果てに起きた悲劇の真相は何だったのか。吉田さんはNEWSポストセブンのインタビューに応じた。【全5回の第4回。第1回から読む】

 吉田さんが前稿(第3回)で語った殺害時についての話を振り返る。

「初めは大きな声を出す節子をおさえるつもりで、右手だけで口を抑えてるつもりだったからね」

 しかし気がつくと首を強く絞めていた。

「手で締めた段階でもう、もしかしたら死んでいたのかもしれない。でもね、気を失ったようにも見えて、(節子さんが)気がついたらうるさいんだろうな、また始まるんだろうなっていうのがあったよね、どっかにね」

 吉田さんは、まったく動かない節子さんの首に、血圧計の電源コードを巻き付け、さらに締めつけていた。

 犯行当時の心境は、並大抵のものでなく、記者が詳細を尋ねても吉田さんはその多くを思い出すことができなかった。それほど思い詰めていたというのことなのか。数日間、相当量の酒も飲んでいたようだ。しかし、吉田さんは殺害後の心境を携帯電話のメール機能を使ってメモしていた。

2023 10/02 01:04
ついにやりました。昼間は薬のせいか静かでした。夕食頃からずっと話は堂々巡りです!!ずっと首を締めても判りません。携帯の線で締めました。申し訳ありません。後は自分のことです!!
頑張ります。

2023 10/02 01:22
息かえったらかわいそうだけど見てても解りません。

2023 10/02 02:45
また酔いつぶれそうで心配です!!頑張れ頑張れ

2023 10/02 03:04
首を締めた自分と見ている自分が居ます。息ぐるしいです、朝になっちゃいます。頑張れ

2023 10/02 10:33
節子は楽になったのかな?俺はいまだに生きている、包丁って上から刺しても以外ととうらない、小さい方が良いのかな?頑張れ頑張れ(以上、携帯電話のメモより。原文ママ)
「なかなか死ねないもんですよ。シングルベッドを2つ並べていたんです。あいつを自分のベッドに寝かして。隣のベッドに俺がいる」

 そう話すと、吉田さんは涙を流し長い時間、沈黙した。

「本当に俺だけが生きているという今の状況は考えていませんでした。でも、自分がどうやって死ぬかってことも考えていなかったんだね。死ぬ気はあったんだけど……。仕事で使っていた大きな包丁があったんです。もう何年も使ってないから、かなりボロボロだった」

 記者の目の前で、仰向けになるジェスチャーをする吉田さん。刃物を持って、自分の首に刺す動作をする。

「こうやって。やっぱり力が入んねえんだろうな。(刃物が)でっけえからダメなのか。小さい刃物でこうやった方が良いかなとかね。血だらけにはしたくなかったしな……」

 結局死ぬことはできず、丸一日以上、吉田さんは死亡した節子さんの傍らで過ごしたとみられる。現場では、多くの一升瓶が空いていたという。

「安心すこやかセンター(行政の高齢者支援窓口)の係員の人が来たんだけども、全然俺んちの応答がないから、神奈川に住んでいる妹のところに電話を入れたんです。妹はうちに何度も電話したけど、俺は出られなかった。最終的に、警察に電話して警察官が2人来ました。

 警察官は扉をドンドンと叩いて、 『開けねえわけにいかねえかな』と思ってね。鍵を開けると、警察官が入ってきた。『妹さんから安否確認の電話が入っているから電話してください』って。 節子を手前のベッドで寝かしていたから、警察官に『起こしてください』って言われて、『起きません』って言ったんだよね」

 こう話すと、吉田さんはメガネを外した。目尻には涙が見える。体は小刻みに震えていた。

「もう起きませんからって」

 節子さんの遺体は、仰向けで手を組みタオルのハンカチを持った状態で、両脇にも綺麗なタオルが置かれていた。寝るときにはタオルがないとダメたった生前の節子さんを思い、吉田さんがそうしていたのだという。

「警察が来てからは、覚えているような、覚えてないような……。警察に連れて行かれて、取り調べを受けたなっていうのは覚えてるけども、何喋ったのか覚えてないんだよね。検事の取り調べで警察にこうやって言ったんでしょって言われても、言った覚えもあるようなないような」

 昨年10月に逮捕された吉田さんの身柄は、11月に東京拘置所に移され、今年5月に保釈されていた。そして6月に行われた裁判で吉田さんは事実関係をすべて認めた上で、以下のようなことを被告人質問で話していた。

「2人きりの家族なので介護をするのは当たり前のことだと思っていた」

「(妹ら親族には)男として頼れない」

「精神科の診断に一度連れて行ったら節子が嫌がったから、2回目は行かなかった」

 これまでの取材を通して、吉田さんは節子さんの介護で精神をすり減らして悩んでいたことが窺えた。そして、しっかりとした相談を家族や精神科医を含めて誰にもできていなかったことも明かしていた。
「吉田氏の裁判で検察は介護疲れを否定し、『妻の言動に腹を立てての犯行だ』と指摘し実刑判決を目指し懲役7年を求刑した。しかし裁判長は『(介護で)自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させた』『被告の置かれた状況を考慮すると、刑務所に直ちに収容することが刑事責任を問う唯一の手段ではない』と情状酌量の余地があると認めて、執行猶予5年のついた懲役3年を言い渡しました。検察は控訴することもできましたが、そうせずに執行猶予付きの判決が確定しています」(大手紙司法担当記者)

 猶予付きの判決は吉田さんにとっても意外なことだったようだ。涙を流しながら、判決の言い渡しを聞いた後、吉田さんは報道陣に「寛大な判断をしていただいたが、それが本当にいいんだろうか」「私だけが表で普通の生活をしていいのだろうか」と吐露している。

 果たして、最愛の妻を殺害した吉田さんは今後の人生をどのように生きるのだろうか。

(第5回に続く。第1回から読む)

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