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《横綱・照ノ富士、白鵬以来のV10なるか》【故・第37代木村庄之助が語った大相撲「行司」の世界】「最高位での“行司黒星”ゼロが誇り」ビデオ判定の弊害も指摘「もう少し人間の目を信じてもいい」

NEWSポストセブン 2024年7月28日 11時15分

 今年の初場所で優勝して以来、不調や休場続きだった横綱・照ノ富士が快進撃を続けた大相撲名古屋場所(7月場所)も、いよいよ千秋楽を迎える。照ノ富士が勝てば史上15人目、白鵬以来の2桁優勝となる。その取組を土俵上で裁くのが行司の最高位である「立行司」だ。立行司は腰に脇差を帯びるが、これは行事差し違えの際に切腹する覚悟を示すため。病気のため2022年に72歳で逝去した畠山三郎氏(第37代木村庄之助)は「立行司」を務めた間、一度も軍配を差し違えたことはなかったという。『審判はつらいよ』の著者・鵜飼克郎氏が、第37代木村庄之助が語り残した言葉を紹介する。(前後編の後編。前編から読む。文中敬称略)

 * * *
 同体にしか見えない際どい勝負でも「引き分け」の判定はなく、行司は必ずどちらかに軍配を上げないといけない。それでいて土俵下の審判委員から「物言い」をつけられるうえに、最終的な勝敗判定の決定権は持っていない。そして差し違えとなった場合の責任は、行司が背負うことになる。2015年に65歳で定年退職するまで「第37代木村庄之助」を務めた畠山三郎はこう語っていた。

「三役格以上の行司(*)が差し違えたら、その日のうちに進退伺を協会に提出します。さすがにいきなりクビになることはありませんが、1場所で2度の差し違えをした行司に謹慎処分が下ったケースもある。高位になればなるほど、勝負判定に間違いは許されないのです。

 私は立行司として(第39代式守)伊之助を6場所、庄之助を9場所務めましたが、その間に一度も“行司黒星”はなかった。それが私の誇りだね」

【*注/行司の序列は高い順に、立行司、三役格、幕内格、十枚目格、幕下格、三段目格、序二段格、序ノ口格の8段階】

 行司黒星とは文字通り「差し違え=行司の負け」という意味だが、行司の矜持を感じさせる表現だろう。

 ただ畠山にも立行司・木村庄之助時代に「物言いで勝負判定が覆った経験」がある。

土俵下に控えていた横綱・白鵬からついた「物言い」

 2014年5月場所12日目、豪栄道対鶴竜の一番。豪栄道に軍配を上げると、物言いがついた。物言いの手を挙げたのは5人の審判委員ではなく、何と土俵下に控えていた当時の横綱・白鵬だった。滅多に見られないシーンだが、実は物言いの権利は控え力士にもある。だが、鶴竜の手が先に土俵についていたのは誰の目にも明らかだった。審判委員や木村庄之助(畠山)が怪訝そうな表情を浮かべる中、白鵬が指摘したのは「前のめりになった鶴竜の髷を豪栄道が摑んでいた」というもの。そしてビデオ判定を経た協議の末に物言いが認められ、豪栄道の反則負けとなった。

 だが、これは「行司黒星」には当てはまらないのだという。

「行司は“どちらが先に土俵に倒れたか”“どちらの足が先に土俵から出たか”を見ますが、“勝負中に髷を摑んだかどうか”の判定はしません。基本的には勝負審判が指摘して、ビデオ判定で反則負けかどうかを判断する。反則負けは行司の差し違えではありません」

 この取組でも判定の決め手となったビデオ判定だが、実は日本のメジャースポーツで最初に映像判定を取り入れたのは大相撲である。

 きっかけは1969年3月場所2日目、大鵬対戸田の取組だった。立行司・式守伊之助(第22代)は大鵬に軍配を上げたが、物言いで判定が覆り、大鵬の連勝記録は45でストップしてしまった。ところが翌日の新聞に掲載された写真で戸田の足が先に出ていたことがわかると、相撲協会には抗議の電話が殺到した。この“誤審”を受けて、翌5月場所からビデオ判定が導入されたのだ。

“送り足”がビデオ判定で“勇み足”と判断されるケースも

 畠山は「木村三治郎」を名乗っていた時期で、この歴史的な一番を土俵下の控えで見ていた。それから40年以上も映像に“監視”されてきた畠山は、ビデオ判定をどう考えていたのだろう。

「導入してから、物言いの協議はビデオ頼りになった。コマ送りできるので、どちらの体が先に落ちたかは判別しやすい。その結果、“同体取り直し”は減ったように思います。

 とはいえ、相撲の勝敗には“死に体”や“生き体”、“かばい手”や“かばい足”という判断もあるから、単にどちらが先に落ちた(出た)だけでは決められない。相手をつり出した力士の足が先に土俵から出るのは本来、“送り足”で負けにならないのに、ビデオ判定に頼るあまり“勇み足”と判断されるケースがあったりする。利点は多いけれど、もう少し人間の目を信じてもいいかもしれないね」

行司に「威厳」「権限」は必要か

 中学卒業から半世紀にわたる行司人生を過ごした畠山は、引退してから他のスポーツ中継を観る機会が増えたのかもしれない。取材中、プロ野球の話題が出たことがある。

 2022年のプロ野球で、「審判」に注目が集まった試合があった。日本人最速165㎞を誇る令和の怪物・佐々木朗希と、白井一行球審の“一触即発騒動”だ。

 4月24日のオリックス対ロッテ(京セラドーム大阪)。佐々木は前々回の登板(4月10日)で完全試合を達成、前回登板(同17日)も8回まで完全試合のまま降板という圧巻の投球を見せたばかりだった。

 問題の場面は2回ウラ。佐々木が投じた外角ストレートがボール判定となった後、佐々木は少し苦笑いを浮かべてマウンドからホームベースに数歩近寄った。これを“判定への不服”と受け止めた白井球審はマスクを外し、険しい表情を浮かべてマウンドに歩みを進める。不穏な空気を察したロッテの捕手・松川虎生がなだめて白井は引き返したが、そのシーンは物議を醸した。畠山は感想を“審判目線”でこう語っていた。

「あの試合は、私もたまたまテレビで観ていたんです。大相撲でも行司の軍配に対して、負けた力士が“相手が先に落ちていた”“差し違いだろう”という顔をすることがあります。でも、あの(佐々木投手と白井球審の)ようなことにはならない。大相撲には“物言い”という制度がありますが、これができるのは土俵下に座る審判委員だからです」

 そのため、勝敗を不服に感じた力士が行司をにらみつけたりすることは滅多になく、土俵下の審判員に“物言いをつけてくれよ”と表情で訴える力士が多いのだという。

「行司は物言いの審議に意見は述べられますが、決定権はありません。物言いで判定が覆ることもあるので、ストライクとボールの判定が絶対に覆らないプロ野球の球審とは明らかに違う。行司にはプロ野球の球審のような権限はないと思います」

 いわば行司は「審判委員のアバター(分身)」でしかないというのだ。それでも立行司は「差し違えれば切腹する覚悟」で左腰に短刀を帯びる。

「力士が土俵上で激しく動き回るので、行司も立ち位置を目まぐるしく変えます。勝負が決まったらすぐに軍配を上げなければなりませんから、勝ち力士が東方か西方かを取り違えないよう、常に位置関係を把握しています。

 土俵際では力士の足元から目を離せませんから、見える位置に回り込みます。間違えないためにはできるだけ近くに寄らなければならないが、決して取組の邪魔になってはならない。同体に見えても、必ずどちらかに軍配を上げなければならないのもシビアですね」

 それほど難しい役割でありながらも、扱いは“アバター”というのも不条理に思える。「行司はつらいか?」と訊いてみると、畠山は即答した。

「勝負判定の難しさはもちろんだが、身の危険も伴う。行司は装束だけで防具なんてないからね。あの狭い土俵で巨体の力士2人がぶつかり合い、予想もしない動きをする。その間近に行司は立っています。力士をよけきれずに土俵下まで転がり落ちたこともあります。

 取組中だけではありません。土俵下の行司溜まりで控えている時に150キロの力士が落ちてきたら逃げられない。はっきりいって命がけでした。それでも子供の頃から大相撲が好きだったから、行司になってよかったと思いますよ」

 そう語る第37代木村庄之助に、「もっと行司に権限や威厳があればいいと思いませんか?」と水を向けると、静かに笑いながら答えた。

「差し違えたら、本当に切腹しないといけなくなってしまうからね」

 軍配を握って人生の大半を過ごし、国技と名勝負を支えてきた畠山。筆者を「奥深き審判の世界」に誘ってくれたことへの感謝とともに、冥福を祈りたい。

(了。前編から読む)

※『審判はつらいよ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成

【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。『週刊ポスト』記者として、スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材活動を重ね、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープで話題を集めた。主な著書に金田正一、長嶋茂雄、王貞治ら名選手 人のインタビュー集『巨人V9 50年目の真実』(小学館)、『貴の乱』、『貴乃花「角界追放劇」の全真相』(いずれも宝島社、共著)などがある。大相撲の行司のほか、野球やサッカー、柔道、飛び込みといった五輪種目を含む8競技のベテラン審判員の証言を集めた新刊『審判はつらいよ』(小学館新書)が好評発売中。

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