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【超老老介護の果てに殺害】妻の首をその手で絞めた吉田友貞さん(80)が振り返る犯行に至るまでの“分岐点”「見栄を張ってたんだと思う」

NEWSポストセブン 2024年7月31日 15時59分

 2023年10月、長年寄り添った妻をいわゆる“超老老介護”の果てに絞殺した吉田友貞さん(80)。今年6月、東京地裁で殺人罪に問われていた裁判で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡された。刑務所に収監されることを覚悟していた吉田さんは、事件現場でもある自宅で今も一人で暮らしている。NEWSポストセブンは複数回、吉田さん宅を訪ね、累計5時間にわたる独占インタビューを行った。

 長年の老老介護で「自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させた」(判決文より)と指摘された吉田さん。重度の認知症を患っていた妻の節子さん(当時85)から、根拠のない浮気を疑われたり、近隣のインターホンを片っ端から押して「助けて下さい」などと言われたりしたという。将来を悲観し節子さんを絞殺した後、自分も死のうとしたが死にきれなかった。

 記者が主にインタビューをした部屋は、節子さんの仏壇のあるリビングだ。仏壇には節子さんが生前好きだった大きな白いユリの花が飾られていた。隣接する当時の寝室には、ベッドが2台並べられていたというが、現在は物がほとんどない。ここが殺害現場だ。

 事件から約10カ月を経て冷静になった吉田さんは、妻の命を奪った手の感触が忘れられないという。そして、自らの行為に深く後悔しているように見えた。今後、どのように生きていくのだろうか。【全5回の第5回。第1回から読む】

「今になって思うとね、やっぱりあいつは生きたかったんだろうなっていうのはあります。朝昼晩、薬を飲んでたからね。俺が朝は11錠、昼は4錠とかをセットしていたんです。朝飯がいつもは7時半とか8時に食べていたのが、その日の節子の調子によって9時とか10時になったりしていた。

 でも、何時に食べようと、12時になると『薬飲むから食事まだ?』って言うわけなんです。それだけ『薬を飲まなくてはいけない』という思いが節子は強かった。良くなりたい、治りたいっていう気持ちがあるわけだよね。やっぱり一緒に……一緒にその気になって(闘病を)やらなきゃいけなかった」

 吉田さんは「時間を戻せるなら、節子に手をかけなかった」と現在は、深く後悔しているという。

「やっぱり本当のところの気持ちを、わかってやれてなかったんだろうなって。今となっては、思い出されるのは、あいつがいつも通りだった、調子がいい時のことなんです。『ごめんね、悪いね、私がいるから大変なんだよね』って。そういうことを言ってくれるやつですからね。

 だから、それがなんでちょっとの違いでこうなっちゃうのかなって……。裁判の時にも言ったけども、やっぱり頭ん中どうなってんだろうって思いますよね。普通に調子のいい時はさ、何も言わないのに向こうから謝ってきてくれたのにさ」

 節子さんにお礼を言われた時に、吉田さんは照れていたのか、ぶっきらぼうな態度をとっていた。

「俺はあんまり優しい言葉なんか言えないから。仕事場でほら、帰りにスーパーに寄って買い物してきたりするわけじゃない。『大変だね』って節子が言うから、『しょうがねえだろ』って言ってたね」

吉田さんが振り返る「殺人事件」の分岐点

 これまでのインタビューで吉田さんは、節子さんはしっかりもので、家のことなどは甘えきりだったと明かしている。しかし、晩年の節子さんは吉田さんと2人でいる時には、様子が変わっていたという。
「あるとき、朝起きたらハグしようとか、寝る前はハグしようとか、そういうこと言い始めたのね。全然そういうタイプじゃなかったのにね。もしかしたら、あれが本音だったのかもしんないよね」

 記者が実際にハグをしていたのか、と尋ねると少し照れたように吉田さんは答えた。

「しないと納得しないから。朝、会社行く前にハグ、寝る前にハグってことです。あるときなんかさ、さっきまで口論していたのにね、寝るからハグしてって言われたって、そんな急に無理じゃない。あれをもうちょっと子供をあやすようにやっていれば、良かったのかな。しっかりもので、俺が甘えてばかりだったけど、本音は寂しがり屋だったのかなってね、思う時もあります」

 長年寄り添った妻を殺害するという、何があっても越えてはいけない一線を越えた吉田さん。視力をほとんど失い認知症を患う節子さんの介護を一人でやり、思い詰めた末の犯行だったことは本人も何度が述べているが、家族にも精神科医にも相談できなかったことも悲劇の一因なのだろう。

「去年の7月の段階で節子を診てくれる神経内科の先生を断ったことがあるんですね。1回来てもらって、次の予定が7月25日になったんです。ところが、節子が嫌がって先生が来ても『受けない』って言い始めたので断った。周囲の助けという意味で、あれがね、すごい別れ道なんだね。他でも話しましたが『分岐点』だったと考えています」

 またしても大粒の涙が頬を伝う。

「頼ることが大事なんです。今は本当にそう思います。結局ね、高齢者の相談窓口で受けられる支援も、こっちで拒否しちゃった部分もある。周りの支援を100パーセントこっちが利用したかって言うとさ、そうじゃないんだよね。

 人間誰でもさ、プライドってあるよね。プライドってのは必要だけども、それが見栄になったら、しょうがないわけだよね。どっかでね、見栄張ってたのかなって思うね。これ以上はみっともないとか、見せたくないとか……」

 取材の終盤、吉田さんは節子さんとの守れなかった約束を話してくれた。

「まだ元気だった時に、死んだ時はこうしようとか、そういう話をしていました。あいつのいちばんの望みはね、海洋散骨だったんです。ヘルパーさんと笑ったんだけどね。なんでか本人に聞いたらね『世界中行けるし、最後は竜宮城に行くからいいよ』って。意外とロマンチックなんだよ。

 あとね、死んだ時には棺にタオルを入れてくれって。でもその頃、俺は、警察にいて何もできなかった。天国で節子に会えたら『ごめんね』って言いたいです。謝りたいです。どうしてなのか、節子は夢に出てこないんです」

 今後はどうするだろうか。

「俺は殺人犯です。近隣の人にも迷惑をかけた。でも、裁判にまで来てくれて応援してくれる人もいるんです。だからここで一人で住んで、できることをやろうと思います。女性が多くて、こんな年の俺でも役に立てることはあるんです。

 シルバー(人材センター)の友人とも刑が確定したら、麻雀しようって誘われていて。これからは周りの人を頼って生きていきます」

 節子さんの仏壇に供えられた大きな白いユリの花。目が見えなくなっていった節子さんだったが、白いユリの花だけはかろうじて見えたため、通院の際によく2人で買っていたという。ユリの花の前で、今後の人生についての展望を話す吉田さんは寂しそうな表情を何度も見せていた。

(了。第1回から読む)

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