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兄弟ユニット作家“大森兄弟”インタビュー「お互いの文章が違うという認識自体がなく、価値観を共有しているから書き続けられる」

NEWSポストセブン 2024年8月1日 17時15分

 2009年に『犬はいつも足元にいて』(文藝賞受賞作)でデビューし、いきなり芥川賞候補となるなど、異色のユニット作家として話題の大森兄弟。待望の最新刊はかの物語の雄ともいうべき桃太郎の後日譚、その名も『めでたし、めでたし』だ。

 それこそ物語はめでたし、めでたしの手前、猿や犬や雉を連れ、鬼ヶ島に渡った主人公の、まさに血で血を洗う征伐の現場から始まる。が、〈やあやあ我こそは日本一の快男児桃次郎〉と宣う彼は桃太郎ならぬ桃次郎であり、名刀鬼切丸を擁する彼が総大将〈温羅〉の首を一閃、その飛んだ首が己の骸を見下ろし、〈ならばいまそれを見る此方はいったい何者か〉と呟く辺りから、単なる昔話を超えた本作の本領が発揮されてゆく。

 しかもこの桃次郎、持ち帰った宝物の持ち主を募りながら全く返す気配がなく、配下の猿達も首を捻るほど。〈御君はひどくお疲れなのかもしれぬ、きっとそうだ〉と理由を捏造せずにはいられないほど、最近の御君は様子がおかしいのである。

 今でも週に1度は会うという現代のグリム兄弟が、共作を始めたのは10代の頃。

兄「最初は弟が書いた小説を見せてくれて、いいなあと思いながらも、ここは直した方がいいとか口出しもして。自分でも書いてみたのは、弟が高校生で僕が大学生の時でした」

弟「その兄が書いたものを僕もいいと思うんですよね。でもやっぱり口出しもして、添削したり続きを書いたり、それが今に繋がりました。

 僕自身は遠藤周作さんの『白い人・黄色い人』を読んだ時に、こういう面白さがあるのかと初めて思って。書いたら最初に見せるのは当然兄で、社会に出ても交換日記的なやり取りを続けるうちに、これって他の人が読んでも面白いかもと、投稿を始めた気がします」

 共作の仕方も片方が構想、片方が執筆といった分担はなく、作品毎に違うという。

兄「今回で言えば書く前に半年くらいひたすら喋って、大枠が決まった後にお互い好きな場面を試し書き的にどんどん書いていった」

弟「元々書いては渡すことを繰り返すうちに、どこを誰が書いたか忘れるくらい、お互いの文章が違うという認識自体がないんです」

 確かにそうした繋ぎ目を一切感じさせない本作は、心地いいリズムに身を任せ、ぐんぐん読み進むうちにもいつか必ず終わりが訪れる、物語そのものの宿命に抗うような皮肉な物語でもある。

 吉備津に戻り、宝の返還という重大事を前にした桃次郎は、持ち帰った温羅の首をなぜか片時も放そうとせず、返還希望者の詮議にもまるで身が入らない。

 自慢の妻の尻を京の絵師に描かせ、挙句駆け落ちされた〈尻取の翁〉は因縁の屏風を、鉞担いだ亭主とは相撲が縁で結ばれたという〈熊娘〉は形見の陣羽織を返してほしいと訴えるが、行列は港まで延び、野次馬も含む有象無象の整理を従順な犬が、御白州の補助役は賢い猿が務めていた。

 さらに雉は桃次郎の命で島に通い、鬼の残党と闘うが、その苦労も〈三歩歩くと〉忘れてしまう。事情を知るのは傷ついた雉を毎日湯に入れ、介抱する下女の〈佳代〉だけで、彼女との切ない恋の行方も見物だ。

世界が閉じた瞬間お話は生まれる

兄「主を助けたり冒険したりする犬の映画が昔はあったじゃないですか。そういう犬の愛の重さへの違和感が、デビュー作同様、出ちゃった感じはします」

弟「猿も意地悪に書くのは避けようと兄と話していて、それで猿蟹合戦での悪行を後悔する猿にしたのかな」

兄「そして雉は『鶏は三歩歩けば忘れる』という諺を弟がしきりに言っていて」

弟「鳥頭=記憶喪失なんて典型的すぎますけど。でも雉は雄の方がキレイだし、受け専門なんだろうなとか、それで恋愛になったのか」

兄「いきなり佳代ちゃんを出してきたんですよ、弟が。試し書きの段階でもう雉と佳代ちゃんが散歩していて、ああ、こんなしっとりしたトーンで書くんだなって」

弟「僕は素直にいいなあと思った部分ほど記憶にないんですよ。当たり前すぎて」

兄「桃次郎が桃ではなく、川で拾ってきた〈マラフグリ〉から生まれた設定も、ダメ出しされると思ったら、ああ、いいのねって(笑)」

弟「少しギャグっぽい話はお互いニヤニヤしながら書いていますね。特にマラフグリはいかにも兄なんです、私に言わせると(笑)。そういう価値観を共有しているから、1つの作品を書いていけるのかもしれません」

 担当編集者によれば、正視を躊躇うほど剥き出しな人間を描いてきた著者の真価が存分に発揮されるために、昔話という誰もが知る拠り所が必要だったという。

兄「桃太郎にしても、物語はなぜ終わるのかって、確か弟が言い出したんです。登場人物にとっての世界が閉じた瞬間にお話は生まれ、結び目がなくなると今度は三つ編みが解けるみたいに、物語性は失われるって」

弟「一度は終わった物語をどう続けてどう閉じるか、そこは真剣に考えたよね」

兄「その時は『当たり前すぎるクエスチョンかなあ』とも思ったけど、自分もRPGゲームの終盤でずっとウロウロしているんですよ。敵を倒すと終わっちゃうのがイヤだから。そんな話を延々とできるくらいだし、たぶん今後も2人で書いていきそうな気はしますね」

弟「うん。2人で書くのが兄と僕の当たり前なので」

 宝を返さないのも物語が終わることへの抵抗なのか、人や鬼も含めた多くの欲や意地が渦巻く様は滑稽でも悲壮でもあり、どこか遠い御伽噺に見えて全くそうではない近さも、大森兄弟作品の不思議な魅力の1つである。

【プロフィール】
大森兄弟(おおもりきょうだい)/兄(左)は1975年、弟(右)は1976年、共に愛知県一宮市生まれ。「その後に東京の大森に移り、だから大森兄弟。捻りがなくてすみません」。兄は看護師、弟は会社員の傍ら、2009年に『犬はいつも足元にいて』で第46回文藝賞を受賞。翌年の芥川賞候補に。著書は他に『まことの人々』『わたしは妊婦』『ウナノハテノガタ』。今も兄は横浜、弟は川崎に住み、「中間あたりのルノアールとかで週1回は会います」。兄・165cm、62kg、A型。弟・170cm、72kg、B型。

構成/橋本紀子

※週刊ポスト2024年8月9日号

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